「それまで! 勝者、オーギュスト!」
 審判の声と左手が挙がると、またもや予想外の結末を迎えた闘技場はまた大きな歓声に包まれた。
 武闘会を観戦する権利は市民にも開放されており、久しぶりの開催に多くの観客が詰めかけていた。単純な興行ではなくて国家主催の祭りであるため、闘技場に入るのに金を取られることはない。1Gでも取れば国庫は大いに潤うのだろうが、アグスティ家の財政は安定しておりそんな心配は必要なかった。それ以前に、運営自体が税金で賄われている以上、その上で料金を徴収するのは筋が違うと言うのがこの時代の考え方であったからだ。
 人々が英雄を求めるのはいつの時代も同じである。
 アグスティに住む市民は騎士団を憎んだ事はなかったが、開拓民の男が騎士を連破して勝ち上がっては応援が偏るのは自然の流れであった。
 特別に派手な剣筋ではない。目も止まらぬ連続攻撃も、一撃で決める必殺の一太刀も、劣勢を覆す大逆転の一閃も、このオーギュストという剣士は持っていなかった。淡々としてそれでいて終始押している、言わば基本の最も延長線上にありそうな試合運びで完勝を収めていた。
 勝ち名乗りを受け、退場する際に観客席から盛大な歓声が寄せられるオーギュスト。好意的な声援に対し彼も手を振って応えた。にこやかさとは縁がない無表情は、淡々と勝利を収めた剣とよく似ていた。

「何だあやつは!」
 収まりがつかないのは、勝手に悪役に仕立てあげられた騎士とそれを後見する貴族階級の者たちだった。
 下馬評で優位であることは、勝ちが計算できることである。後見人たちは、自分の子飼いがオーギュストと渡り合っている最中も次の試合に思いを馳せていたに違いない。何しろ前回の開催から10年以上経っているため、下馬評は知名度に準じている。当然ながら無名の開拓民の評価は最下位であり、対戦する騎士やその後見人たちは、組み合わせの幸運に小躍りしていたのであろう。
 ところがそれはあっさりと覆された。勝ちを計算できる相手に敗れたとあっては納得しきれるものではない。剣を交えた騎士達がオーギュストの実力を認めても、後見人たちはそうもいかないものである。特徴のない剣筋では、自分を納得させるだけの説得力に欠けたのだ。
「いやいや、えてして珠は泥に埋まっているもの。それを見つけ出すことこそが人材登用の妙というものありましょうな」
 貴賓席の前列(爵位が高いほど後方=高段)に陣取っていたグレアムが、二本指で自慢の口髭をなぞらせながら、そうポツリと漏らした。ちなみにこれが周囲に聞こえたのが意図的であるのは明白であった。
「伯! よくもわしの面目を潰してくれたな!」
 今の試合で敗退した騎士の後見人である侯爵が、数段高いところから罵声を浴びせてきた。
 グレアムは気付かないふりをして流した。無視したことで怒気が沸点まで高めることになっただろうとは承知していた。
 勝者もいれば敗者もいる。時には反則まがいの“妙手”で決着がつくこともある。それが元でトラブルが発生しないように、出場者や後見人は勝敗の判定には絶対であることを誓約させられる。これは国王の名によって執り行われるため、破れば王命に背くことになる。
 なのでグレアムがいかに厭味ったらしい言動を垂れ流しても、大会期間中は安全が保証される。その後、不興を買い占めた結果がどうなるのかは想像に難くないが。
 グレアムとてそれは承知の上であった。何事もないのならば、大会が終わればただでは済まない。だが、この武闘会で全てがひっくり返るのであるから、結末は訪れない――そういう確信があった。
 それに、後の席を刺激して分かったことがある。大貴族たちは、オーギュストをまだ警戒していない。被害に遭っていない貴族たちは、開拓民なんぞに後れをとるとは弱いのう、と見ている段階である。むしろ、なかなかやるではないか、と喝采を送っている。
 大貴族たちが共同して潰しに来れば早期に敗退する危険性もある。だが、今の様子を伺えば準決勝あたりまでは無事に行けそうだろう。
 剣士としてのキャリアは浅かったが、黒騎士の血統がよく補っていた。半年ばかりの剣の修行でどこまで行けるのか当初は不安であったが、開拓民の村でも剣は教え込まれていたらしく、素養は充分にあった。大会にエントリーした頃には優勝も狙える自信も涌いていた。
 オーギュストが黒騎士の正統後継者であることを公表するならば、どうせならば大きな舞台に立っていた方がいい。この武闘会の、決勝戦であり、優勝者を称える壇上であり……。

「むむ……」
 ほくそ笑むグレアムと、敗れて激昂する大貴族と、まだ眼中に無い他の大貴族。
 その三者三様とは離れたところで一人唸っている者がいた。宰相ルーウィンである。
 ルーウィンにとって剣術は苦手な分野である。なので淡々と勝ち上がるオーギュストの実力がどれほどなのかよく分からない。だが、元来の悲観主義と宰相としての勘が、オーギュストの快進撃が続くことを予感させていた。
 グレアムがオーギュストを担ぎ出して政変を企んでいるのは知っている。なので舞台が整う前に敗退してくれた方が有難い。栄光の場でなければ説得力に欠けるだろうからだ。
 だがその前に心配しなければならないことに気がついた。
 エントリーしてきたのはグレアムである。だが、それを承認するか否かは宰相権限である。つまり、オーギュストに面目を潰された大貴族が、出場を認めた自分に八つ当たりしてくるのではないか――そんな危険性が頭をよぎった。
 保身という言葉は好きではないが、自分の身は可愛い。武闘会の興行としては大当たりで評価を上げたルーウィンであるが、大貴族に睨まれては損失の方が大きい。グレアムの野心は自分と直接の因果関係はないだけに、彼の中で優先順位が逆転してしまった。
 幸い、まだこの宰相席に駆け込んで来るほどではない。先手を打って潰しておくべきであろう、と判断した。それに必要な小細工は、宰相の真骨頂であった。
  ……他の試合が進み、勝ち上がった者たちの次の組み合わせが発表された。オーギュストの相手はツァイア、アグスティで今最も勢いのある若き騎士であった。

Next Index