「いやいや、ご精勤でございますな」
 アグスティ城王宮内、某所――
 今日も執務に追われていた宰相ルーウィンが早足で廊下を歩いていると、向かいからそんな声が浴びせられてきた。
「グレアム伯も壮健そうで何より」
 軽く会釈。
 一応の礼儀として答礼はしたが、ルーウィンはグレアムとはあまり仲が良くなかった。
 この宰相、「口髭が胡散臭い男は良からぬことを考えている」という、極めて妙な偏見を持っており、それが見事に合致するグレアム伯爵には警戒心を抱いていた。
「ところで伺いましたぞ、今度の武闘会、宰相閣下は誰も後見なさらないとか」
「……今回は運営に専念するつもりなので」
 国を挙げての武闘会、当然ながら優勝すればその栄光は計り知れないものである。とはいえ、将軍や武官は自ら出場して名声を得ればいいが、文人となるとそうもいかない。そこで自分の子飼いを送り出したり無名の剣士を発掘するなどして、言わば「後見人」として人材登用の手腕を競うのが貴族達の愉しみ方であった。
 ルーウィンも本当は後見人として参加したかったのだが、宰相として運営するのは初めてである上、国王ヨトの聖痕問題もあってそれどころではなかった。国王が魔剣ミストルティンの継承者ではないなどと知れたら王家の一大事であると同時に、宰相であるルーウィン自身の政治生命も危うい。
 となれば、全力を挙げて漏洩防止に努めるのを優先すべきと判断しての今回の不参加である。名誉も欲しいがリスクとリターンが釣り合わない賭けをするほど目が眩んでいるわけではない。
「時にグレアム伯、卿が後見されるオーギュストなる者、書類に不備があるようなのだが……」
 宰相として運営する以上、当然ながらルーウィンの元には出場者リストが届く。リストには名前・年齢・所属・父親の名などの他、最後に後見人名が書かれる備考欄も設けられている。
 そしてグレアム伯爵が後見するオーギュストという男の段には、所属と父親の名前が欠落していた。
「騎士以外を出場させても構わないはずでは?」
「……」
 涼しい顔で返すグレアム。普段は不釣合いだが驕った表情をすれば強調するかのように生える口髭が、ルーウィンの頭の中で警鐘を鳴らしていた。
 王宮内で行われる武闘会だが、騎士でなければ参加できないというわけではない。
 先王ゼセルの代のある年のこと、フヴェルスなる市井の剣士が出場し、見事に準決勝まで勝ち上がった。彼の活躍にアグスティ騎士団の面目が潰された格好になったが、ゼセル王は剣技と勇気を称えて彼を近衛兵に取り立てた。ちなみに彼は最後は親衛騎士団長にまで登り、国王の恩義に応えた。
 そんな前例があるため、平民や乞食であってもそれだけを理由に出場を制限はしていない。ただ、ある一点の理由から後見人を立てる義務はある。
 王国側とすれば活躍した者は取り立てる方針である以上、それを拒否されては困るのである。流れの傭兵などに優勝を攫われてはたまったものではない。仕官する気が無い者を出場させるわけには行かないので、身分保障の意味を込めて後見人制度を設けているのだ。
 なお、騎士以上に関しては元々アグスティ家に仕えているわけだから後見人は必要ない。だが、後見人としての名誉が欲しい貴族達と、立身出世のために貴族のコネが欲しい騎士達の思惑が合致する事が多く、将軍クラス以外の出場者は誰かしら後見人を有しているのが通例である。
「所属はそれで良いとして、父親の名が分からないと言うのは?」
 騎士でないのならば所属欄が空白なのは当然の帰結であるが、父親の名前すら不明と言うのは腑に落ちない。
 この出場者に何となく嫌な予感がしたルーウィンは、最終的な出場拒否まで考えて後見人に詰問した。
「いくら身分不問とは言え、ここまで出自が不明とあっては出場を認めるわけにはいかない」
 もしもグレアムに日頃から口髭を蓄える習慣が無ければ、あるいはせめて今日だけは剃って来たのならばここまで言われることは無かったのだろう。ただ、宰相の人物鑑定眼にこんな根拠があることなど当人は知る由もなかった。
 しかし、グレアムはこれに反論した。咄嗟の判断ではなく最初から回答を用意して来たあたり、彼が後見する人物に怪しさが漂うのだが、父親不明の理由が衝撃的だったために宰相に看破の予知を与えなかった。
「ここだけの話ですが、このオーギュストは、さるやんごとなき御方の御落胤であらせられましてな。正当な権利を主張するために出場するわけです」
「……!」
 高級貴族であれば落とし種の一つや二つぐらいあるものだ。ルーウィン自身にも憶えはあり、事後処理を行った事もある。
「しかしグレアム卿、王家の名のもとに行う武闘会にお家騒動を持ち込むのは賛成できん」
 運営する立場にとって、武闘会の主題がスキャンダルになるなどもっての他である。
「おや、宰相閣下はオーギュストの父君を御存知で?」
「いや……」
 ルーウィンは高級貴族の家柄の出であるが、大貴族というわけではない。権威に権力まで持たせるのは危険と言う考え方から、貴族階級で中の上あたりに位置する階層から宰相が選出されたのである。
 表面上は大人しくしているが、その大貴族たちからの風当たりは当然ながらあり、ルーウィンは誠実さと無難を主眼においてここまで渡ってきた。その大貴族たちのスキャンダルとなると大事であり、でき得る事なら余計な波風を立てなくないと言うのが本音であった。
 しかし、わざわざ武闘会のような大舞台に上げようと言うあたりにグレアムの絶対の自信が伺える。そこまでやるぐらいなのだから、どこから探してきたのか知らないがオーギュストが「本物」なのは間違いないだろう。それを下手に扱えばとんでもない事になる可能性がある。
 グレアムがわざわざ危険を冒して後見するのは、オーギュストを押し立てて権勢を振るうのが目的だろう。となれば、多産の家の末っ子あたりを出しても意味はほとんどない。侯爵位か公爵位か知らないが家督継承権第一位を主張できなくては、後見するグレアムに実入りは無い。
「僣越ながら宰相閣下の手が届く話ではござらんのです、もし介入しようとすれば……お分かりですな?」
「……」
 グレアムの耳打ちを、ルーウィンは拒否できなかった。
 宰相であっても家柄の上下関係というものは存在し、大貴族たちの家庭の事情にまで踏み込める立場ではない。オーギュストの出場を拒否すればとりあえず事は収まるかもしれないが、グレアムは別の手でオーギュストを舞台に上げようとするだろう。次を阻止できなかった場合、不興を買ったルーウィンはただでは済まないのは間違いない。わざわざグレアムがオーギュストの正体を打ち明けてきたのは、邪魔しないように釘を刺しに来たのだ。
 ルーウィンとすれば、アグスティ王国を案ずれば阻止するべきであろう。しかし、だからと言って自己責任で大貴族の嫡子を無下にする事などできないし、自分の身も可愛い。
「さぁて、当日が楽しみですな。ははは……」
「……」
 笑い去っていくグレアムの背中は、明らかに野心を語っていた。それを見送るルーウィンは、口髭のジンクスを再認識すると同時に、武闘会当日の運営と演出の再構築する必要性を感じていた。
「確か……」
 脳裏の出場者リストを見直すルーウィン。グレアムは詳しくは言わなかったが、可能性があるとすればオーギュストよりも年長の男子がいない家系にしぼられる。
 全てを記憶しているわけではないので一部は曖昧だが、この条件を満たしているのはごく僅かに限られる。そこまで限定できれば、グレアムが何かアクションを起こすにしても対策の立てようはある。
 これならなんとかなりそうだ、と安心した大きな息一つ。緊張がほぐれて、無意識に独りごち。
「陛下よりも四半年ほど年上か…………まさか、な」
 何気なく口から出てきた事実を自分で否定したルーウィン。
 確かに条件には合致する。だからと言ってそうであるとは限らない。可能性があるからと言ってそこまで考慮する必要があるだろうか?
 実際には、そんな恐ろしい事など考えたくなかったからだ。大貴族の嫡子であってほしい――そんな希望が、そうさせたのだ。
 ヨト王の身体には聖痕がなかった。つまり、魔剣ミストルティンを受け継ぐ王太子ではない。という事は、ヨトよりも先に生を受けた王子がどこかにいる。もしかしたら、それがオーギュストなのかもしれない。
「まさか……いや、まさかな……」
 首を振って、その可能性を否定しようとするルーウィン。
 そんな事はあってはならない、だから考えてはならない。人は現実から目を背けてはならないのだが、時として背けるのが人間の性であり、そうしなければ人は精神を維持しきれない時がある。
「……」
 ルーウィンは、グレアムとの会話を忘れる事にした。
 忘れようとしても簡単にできる事ではないが、執務に没頭することで思考に余裕をなくし、思い出さないように努めた。
 その必死の努力により、武闘会は斬新な演出によって幕を開けた。宰相の手腕は高く評価されるだろう……何事もなければ、の話だが。

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