――国王の在位年数は、宰相の大皺の数に等しい。
今年はヨト王の即位十周年にあたる。
誰が言い出した話かは不明だが、現在の宰相ルーウィンの大皺の数は確かに十本である。
昨年の彼の大皺の数が九本だったかどうかなど記録に残ってはいないが、国王即位に合わせて宰相職に付いた時にはこれと言った皺が無かったのは事実である。
毎年一本ずつと言うように順当に増やして行ったかどうかはともかく、十年で十本も皺を刻んだのだ、相当な老け込み様である。
もともと激務に追われる宰相職であるから、時間の流れ方が他人よりも遥かに速いのは確かであろうが、少々度が過ぎると言うものである。
直接の原因として最も有力なのは、彼が今現在手にしている書類である。
その書類――即位十周年記念の催しとして行われる武闘会の出場者一覧――を机に投げ出して、小さな溜め息を吐いた。
現在の彼にとって、これが皺の数を増加させる直接的な原因であろう。
先王ゼセルは黒騎士ヘズルの子らしく武勇に秀で、よく武闘会を開いては魔剣ミストルティンを手に自ら出場していた。
先王の勇姿を憶えていた家臣や市民達が、武闘会の開催と新王ヨトの出場を何度も強く望んだのは無理も無い話である。
一方で文の人であるヨト王は今まで武闘会を開催しなかったのだが、せっかくの即位十周年の記念なのだから特別に、と言う世論に半ば押し切られる形で決定してしまったのである。
そう言う主旨ではあるが、次は二十周年記念まで行わずに済むと言う保証はどこにも無い。
皆が待ち望んでいた武闘会なのだ、その余勢を駆って来年も、となるのは目に見えている。
今年は流行り病に臥せっている、と言う事で何とか回避したが、毎年これで言い逃れする訳にも行かないだろう。
「来年は別の理由を考えねばならんのか……はぁ……」
ルーウィンは頭を抱えるばかりである。
押し切られる格好でとりあえず今年だけは行う事にしたが、今後あるかも知れない場合もヨト王の出場だけは避けなければならない。
「しょっぱいものにする訳には行かんし……」
武闘会をつまらないものに仕上げれば来年の開催を阻止できる、と言う考えは即座に捨てた。
何しろ国中が待ち望んでいた興行である。国の事を考えれば何としてでも成功させねばならないし、それ以前に不評だった場合の責任を取らねばならないのは宰相ルーウィン本人なのである。
彼は保身と言う表現は好まないが、やはり自分の身はかわいいものである。
「しかし、かと言って真実は語れんし……」
言える筈が無かった。
十年前、彼が宰相の座に就いた時、神祇官から驚愕の事実を聞かされた。
当時、まだ年端も行かぬ少年であった新王ヨトの身体には“聖痕”が現れていない、と言うのである。
聖痕とは十二聖戦士の神器を受け継ぐ者の証である。
継承者の身体には生を受けた時からその痕が浮かび上がっている筈、と言うのである。
言い換えれば、ヨトは黒騎士ヘズルが興したアグスティの国王でありながら、その血を引いていないと言う事になる。

その半年ほど前、アグストリア諸公連合中央部開拓地帯――。
「お迎えに参りました、オーギュスト殿下」
そのヨト王と同世代の青年は、現在の状況と、その敬称に対してどう反応すれば良いのか分からなかった。
だが目の前でひざまずく、グレアム伯と名乗る貴族風の男の説明にはいくつか合点の行くところがあった。
オーギュストと呼ばれたこの少年は、父の顔を知らない。
物心付いた時には美しい母親しかいなかった。
父親がいない理由に付いては……母親は何も言わなかった。
だが、この話になった時は、母は必ず無意識の内にか自分の肩口にある奇妙な痣を指でなぞっていたのを憶えている。
少年は母の事を――開拓者の村に居を構える貧しい暮らしであるのに――“母上”と呼ばされていた。
他にも、木を切るのにも獲物を捕らえるのに役に立った試しが無い、様々な礼儀作法や学問を教え込まれていた。
……母は最期まで何も言わなかったが、それらはグレアムが言わんとする意図があったのだろう。
「それで、俺に何をしろと?」
今まで雲の上の存在だった種の人間が、片膝を付いているグレアムが一介の開拓民であるオーギュストに恭しく用件を述べた。
「是非とも殿下の剣術の冴えを披露して頂きたく存じます」

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