ヴェルトマー領内某所、ロプト教会――
「来たれり、我らが運命の刻……」
 ロプト教会は、半ば強制的に一大転機を迫られていた。
 ある朝突然に、自分達が知る由もない、聖剣ティルフィング強奪の咎を帝国から責めたてられたからである。
 冷静に考えれば、ロプト帝国を打倒した十二聖戦士の神器を、ロプト教の彼らが欲しがるはずがない。しかし、こうして現実に疑いの目を向けられたどころか、完全に包囲網を敷いてきたのである。
「覡のもとへ参る……貴様達はアイーダの側を張れ……」
 ロプト教会はヴェルトマー領内にあるため、領地を預かるアイーダの管轄となる。逮捕するのは司法の仕事だが、この手際の良さはアイーダ自身が関わっていないと達成困難である。
 マンフロイは、アイーダと仲が良くない。
 ロプト教に対する彼女の価値観はともかく、アルヴィスの右腕として仕えていたところに割り込んだマンフロイを快く思っていないのは当然だろう。アルヴィスを帝位に押し上げた代償を請求するものが、今の状態のような信教の自由だけではないことぐらい看破されているに違いない。ロプト教の復権がグランベル帝国の害となると見て除きたくなったのだろう。
 また、現在逃亡中の背教者レィムが、アイーダと接触していると言う情報は、彼が後からアイーダの背中を押したと考えさせるに充分だった。マンフロイにとって、娘婿が何をしたがっているのか見当もつかないが、リスクを背負って出奔した以上はロプト教会に味方する理由はない。それでアイーダと接触しているのならば共闘していると考えるのが筋であろう。
 そこまでは分かったが、だからと言ってティルフィング強奪の釈明材料になるわけではない。いかに潔白を証明する材料を揃えたとしても、それで無実が証明されるわけではない。おそらくアイーダは、ロプト教会がシロだと知っていながら、叩き潰す好機と見て仕掛けてきたのである。勅令によってロプト教徒に平等を与えられはしたが、まともな司法の場が与えられるはずがない。教会に兵士が殺到しその場で斬殺したとしても、非難は上がらないだろう。一般人のロプト教へのイメージはそんなものである。ロプト教とティルフィングに何の接点がなくても、神器を強奪するような狂気の者はロプト教徒に違いない――と断定されれば納得するような段階だ。
 マンフロイが運命の刻と独りごちたのはそれ故である。ヴェルトマー兵と戦闘して負ければ壊滅であり、勝てば勝ったで今度は反乱の罪を着せられて深みに嵌まるだけだろう。かと言って嫌疑を晴らすことも通じない、お手上げの状態なのである。
 これをひっくり返すには、アイーダを止める権限があるアルヴィスを動かすしかない。しかし、嘆願で動くような皇帝でないし、マンフロイの辞書に嘆願という言葉もない。しかし、バーハラに赴くことで何か変わるような気がしてならない。大司教としての運命的感知能力と言うべきか、とにかくバーハラには何か"ある"のだ。

 シレジア王国新王都、トーヴェ城――。
「急報ーッ! 暴動です! 城内で民衆が蜂起しました! 一部の兵士も加わっている模様!」
 永世中立が長かったシレジアの民は、気質的にのんびりしていた。しかし即位以来のレヴィン王の無気力っぷりには耐えきれるものではなかった。
 グランベルとの戦争で、シレジア王国は領土としてきたノイマン半島の南半分を失った。人口が集中していた2都市と広い耕地を失い、シレジアは窮地に立たされた。シレジアはその気候上、特産品が多いため産業に困ることはない。しかし経済規模が半分になったのならば色々と手を打つ必要はある。
 しかし、レヴィンは文字通り何もしなかったのである。ぶらりと城内を放浪し、ときどき笛を吹き、珍しく執務室に籠もったかと思えば視線が宙をさまよう。城の中にいればまだいいが、気がつけば姿を消してしまったりもする。
 王が王としての責任を果たさないのならば、民衆は抗議するのは当然であろう。むしろ今までよく我慢したとも言える。
「王妃様! 陛下はいずこにおわすか! このままでは収拾できません!」
 事を収めるためには、レヴィンが交渉のテーブルにつくしかないだろう。民衆は革命を起こそうとしているわけではなく、半ば眠った状態の王を揺り起こそうとしているだけにすぎない。ここで王が精力を取り戻して王としての務めを果たすと確約すれば暴動は収まるのは誰もが分かっていることなのだ。
 しかし、王妃フュリーは首を振った。国王はまたもや城にいないのである。
「王が不在であれば王妃の役目。私が参ります」
 そしてこれからも――とフュリーは内で続けた。
 レヴィンが放浪するのはよくある話だが、フュリーに告げて出て行ったのは今回が初めてだからである。
 バーハラで開かれる、皇帝主催の晩餐会に出席するためであり実はこれは毎年恒例の行事なのであるが、これは民には告げていない。国内は何もしないのに皇帝のご機嫌とりは行くのかと言われれば立つ瀬がない、と王の周囲が配慮したからである。実際には無気力のレヴィンは言われれば断ることはしなかった。断る気力もなかったからである。だからレヴィンがいるときに民衆が蜂起すれば「ああ、それでいいよもう」と要求を丸呑みしただろう。
 皇帝からの招待状は、国王と王妃の二人に対してであったが、出席するのはいつもレヴィン一人のみである。無気力状態のレヴィンならばともかく、シグルド軍の指揮官として戦ってきたフュリーにとって、再びあのバーハラの地を踏むのは抵抗が強すぎるのだ。
 その晩餐会へ、レヴィンは初めてフュリーに一言告げて行った。明らかに何かが違う。
 フュリーにはそれが何かは分からないが、レヴィンはその招待状に何かを感じ取ったのかもしれない。そしてその一言は、分かれの言葉だったのかもしれない。もう帰って来ることはない――そんな気がしてならない。

 グランベル帝都バーハラ城――
 皇帝の側近であるフェリペにとって、人生で最も主君に食い下がった日であろう。
 彼にとっては特別に無茶な要求ではないつもりである。皇帝に対し休暇をとるように勧めただけなのだから。
 即位以来、皇帝アルヴィスは一日たりとも休むことはなかった。皇帝として責務を立派に果たしていると言えたが、逆にその姿勢が周囲に心配させることになったのだ。
 皇帝の権威を高めるためとアルヴィス自身の能力もあり、帝国は宰相位をもうけていない。激務を負担してくれる者がいないわけだから、それこそ皇帝に休みなどない。それが分かっているからアルヴィスは何度も突っぱねたのだが、皇帝の身体を気づかうフェリペは執拗に食い下がった。
 押し問答の結果、晩餐会の日の午前中だけ、という結果に落ち着いた。皇帝にしてみれば書類の山が溜まるだけと不機嫌だったが、戦果を挙げたことで満足している側近の顔を見て表情に出すのは差し控えた。
 一方のフェリペもまた口に出さなかったが、休暇を勧めたのは帝室が多くの問題を抱えていたからである。
 皇妃ディアドラはユリウスとユリアを産んで以来、病気がちである。バーハラ決戦に触れたことが精神的外傷になっているのではないかとは典位の弁だが、何にしても彼女には癒しが必要であり、夫であるアルヴィスが(休暇をとって)側にいてやることが何よりであろう。
 また、ユリウスとユリアもまた、言ってはならないが奇妙である。まず、公の場に二人が揃うことはまずない。二人とも非常に聡明なのであるが、二人が会話している姿が目撃されることはほとんどない。あったとしても何故かたどたどしい会話がポツリポツリとあるだけだ。と思いきや、子供だましに芝居がかった会話が繰り広げられることもあり、関係者の首は何度も捻られることになる。毎日の食事の席も一緒になることは少なく、決まってユリアが部屋に籠もって一人で食べたがる。たまに揃ったかと思えば二人とも半分づつ残すという奇妙な同調ぶりを見せたりする。試しに食事の量を減らしてみると二人が揃う頻度が上がったという噂だ。
 継承者同士の結婚で、双子という特異なケース。何が起こっても不思議ではないし二人は皇子と皇女である、滅多なことは言えない。しかし、この違和感は拭いようがなかった。もしかしたら、激務の父親が愛を注ぎ足りないせいかもしれない――何であれ、多感な時期に(休暇をとった)父親と交流するのは良い影響だろう、とフェリペは踏んだのである。

 イザーク地方北西部、隠れ里ティルナノグ――
「では殿下、行って参ります」
 皇帝主催の晩餐会は、貴重な情報収集の機会である。表の者が一堂に会する場所は、裏の者も集まるからである。反帝国の勢力を結集する必要があるセリス達にとって、警備が厳しくなると分かっていてもバーハラ潜入は回避するわけにはいかなかった。むしろこの毎年の恒例行事がなくなる方が恐ろしいのだ。
 旗頭であるセリスは体調を崩して寝込んでいたため少し心配であったが、指揮を執るオイフェは残留するわけにもいかない。この地方の王であるドズル家とは悪い関係ではないので留守にしていても問題はないのだろうが。
「オイフェー、行くよー」
 14歳でシグルドの側近として戦場に出て10年余、オイフェは気にしていた身長も伸びて青年に生まれ変わっていたが、彼の親友は何年経ってもあどけない少年のままである。まぁ、まさかこんな子供が密偵とは思わないかなぁ、と苦笑いするオイフェはまさか彼が大陸最高の暗殺者だとは気づいていない。その能力は気づかせない故なのであるが。
 オイフェにとって、シグルドが敗れたバーハラに赴くのは辛い。しかしセリスの未来のために耐えなければならない。師として父親がわりとしてセリスを育ててきたオイフェにとって、精神的弱さを露呈することは許されない。セリスには、何ものにも負けない精神力を備えた王に成長してもらわないといけないのだから。
 そのためには、帝国打倒のためには、多くの協力者が必要である。このバーハラ潜入で、何か運命が変わればいいのだが――。

 アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア……
 ユグドラル大陸において「数字」とは不偏の存在である。
 貴賤や貧富の差によって生まれる、人間の不平等。これを消滅せしめる手段として、この不偏の存在を使うことができないだろうか。
 数字には列がある。10人に10種類の数字を割り振れば、その大小によって順番を出すことができる。人間で言えば序列と置き換えることができ、階級社会を組成することができる。たとえばアインスからツヴェルフまでの12の数字を与えて頂点とすることで、十二聖戦士と同じ支配体制を生み出すことができる。
 十二聖戦士は神の血と神器を受け継がせることで、自分の系譜が変わらず支配できるシステムを作った。世襲制は支配体制の維持には向いているが、生まれによる不平等ももたらす。誰よりも能力がありながら、聖戦士の血を受け継いでいないだけで差別された者の悲劇を生み出す。
 しかし「1の子」に特別な数字はない。世襲制の十二聖戦士は系譜によって支配するため子には特別な地位が与えられるが、数字はもともと他の数字との間に因果関係などないのでこれが成り立たない。つまり血統によって人と人とが分け隔てられることがなくなる。
 とはいえ、それだけではまだ不充分である。完全に公平な能力の査定は至難の技であるからだ。同程度の能力であれば家の格で決まってしまうのは人間の性というものであり、そういうものに囚われない基準を設けなければ意味がない。たとえば、統一した試験を課すとか。たとえば、剣を持たせて闘わせてみるとか。そういった普遍的な査定システムを構築する必要がある。
 それをやるならば、人を集めるためのシステムもまた必要である。シグルド軍の部隊指揮官は若い者ばかりだった。まだ子供と言える歳で部隊を率いて戦ったのは、シグルドには打算があったと思われる。
 人間は時期によって成長にバラツキがある。若いけれどもそのぶん多感な頃に多くのことを叩き込むことで、シグルドは優秀な指揮官を短期間で育て上げてきた。シグルドは人材登用について即戦力よりも将来性、現時点での能力よりも成長の伸び代をとかく重視して起用していた。これはシグルドがその時点での軍の強さよりも、完成された軍の強さを念頭に置いていたからであろう。
 完全なる暗黒神ロプトウスが世界を包括するロプト帝国は、完全な世界でなければならない。となれば、シグルド軍と同じように将来性重視でなければならず、伸び代を多く残した状態でバーハラに呼び寄せて育成しなければならない。
 しかし人材発掘を国家レベルでやろうとすると、ある程度器が光ってくれないと発見できない。珠を見つけるのにあたって全ての石をバーハラに運び込むのは不可能だからである。しかしこれだと、発見したときには成長期を過ぎてしまっている可能性が高い。
 となれば、無作為に抽出してでも若い人材をバーハラに集めなければならない。子供を手放すことを嘆く親は多かろうが、親子の情で珠を磨き損ねるようなことがあってはならないのだ。これは"子供狩り"と非難されてでもやり遂げなければならないことなのだ。もちろん非難を和らげるための措置は必要だが、絶対に妥協してはならない――

 芸術家は、創作アイデアが浮かぶことを神が降りると言う。
 今のレィムには、二重の意味で神が降りていた。彼のペンは数日前から止まる気配がなかった。その胸元には錆びたまま淡く光るティルフィングが抱えられていた。

 その数日前に、レィムは儀式を執り行った。"神降ろし"の秘術である。
 狂気に触れた芸術家は、悪魔に魂を売り渡すことでアイデアを得るという。レィムはこれにヒントを得たのである。
 シグルド復活を至難として断念したレィムは、完全な世界を作り上げるためのアイデアを得るために、代わりに抱え込んでいる聖剣ティルフィングにシグルドの魂を降臨させる儀式を行ったのだ。本人を生き返らせる代わりに、身近な品に魂を降ろして身につけることでシグルドの域に達しようとしたのである。
 剣が話すはずもないから儀式が成功したかどうか確証はない。枯渇することなく湧き出続けるアイデアの波は、まさしく神がかりだと言えた。ティルフィングと黒い聖書という二つの神器を抱えている自分が、今が最高の状態であると絶対の自信をもって言えた。
 アイーダの使いに用意させた紙は底を尽き、補充が到着するまで壁に書き続けた。閃きの奔流で溺死しそうな感覚を覚えているからだ。書き続けても追い付かず、次第に書体は速度重視になり本人以外は解読困難なものになるがそれでも余裕は生まれない。
 この状態を数日続けているのだから肉体はとうに限界を迎えていなければならないが、レィムの右手が休むことはなかった。シグルドが宿ったティルフィングを抱えることで、彼もまた神の域に達したからである。
「……!」
 部屋中に舞い散っている紙の山、書き殴られたことで異様な雰囲気を醸し出している壁。そんなもので部屋が埋めつくされようとした頃、レィムのペンが不意に止まった。
「……足りない」
 そう、これでは完全なものではない。
 普通の人間がこの文章をまとめて読めば、一遍の隙もないように思えるかもしれない。しかし神の域に達したレィムにとっては、完全な世界を作り上げるためにはピースが足りないのである。
 ティルフィングにシグルドの魂を宿らせることで、シグルドが築き上げようとした世界は全て書き綴ったはずである。しかしそれでは完全に及ばなかったのである。
「……バーハラへ」
 レィムは、ティルフィングを手にしたままふらりと部屋を出た。
 シグルドが完全な存在でなかったとするならば、それは彼がバーハラで敗れたことで証明できるだろう。裏を返せば、バーハラに行けば足りない部分を埋めることができる。それによって、レィムは完全な世界を作り上げるための最後のアイデアを得ることができるのだ。

 誰かが意図したものであるとしたら、神の名を挙げるだろう。
 歴史の鍵を握る人物が、偶然にも帝都に集まろうとしていた。
 神の域に達してなお高みを極めようとする者の影響を受けたのかもしれない。
 ならば、彼の動向によって世界は様変わりすることになる。彼が追い求めた男が、姿を消すことによって世界の姿を変えたように――。

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