ヴェルトマー城----。
「ロプト教会の代行者レィムが出奔した模様」
 城主アイーダはこんな報告を受け取っていた。
 邪教の身内話が外に漏れて来るというのはそうそうない話である。ただこの場合は情報を掴んだ幸運さを喜ぶよりも、話のきな臭さの方が気になった。
 従来のヴェルトマー家は情報収集能力があまり高くなかった。六公爵家時代の長い間、中立として静観していた立場であったためか、政治的駆け引きに王党派や反王党派のような必死さがなかった。積極的にバランスを取ろうとしていたわけでもなかったために、抱えている間者の情報収集能力は今一つ伸びなかったのだ。
 そしてアルヴィスがロプト教徒を抱え込んで暗躍させるようになると、従来の間者にはますます意味が薄くなった。どう逆立ちしたところで特殊能力の集団であるロプト教会にかなうはずがなかったからだ。
 アルヴィスが政権を握り、ロプト教会がアルヴィスの保護下から離れると、後に残ったのは能力の低い間者ばかりであった。主君がバーハラ城に常駐しヴェルトマーの留守居を任されたアイーダにとっては、この部分が大きなネックとなっていた。実際に大内戦後のシレジア介入において、蹴落とすはずであったロプト教会に大きく後れをとった。このときはアイーダ自ら出向いてレヴィンと交渉することで逆転勝ちを収めたものの、城主がそうそう出しゃばれるわけもなく、ヴェルトマーが高い情報収集能力を要することは課題として残ったままであった。
 それを痛切に感じて以来、アイーダはこの部門の強化に力を注いできた。とりあえず成果はあったが、泰平になってしまった帝国では経験不足は否めなかった。対立勢力が虚偽の情報を掴ませようとわざとばらまいたりとか、そういった実践面での能力が育つような要因が絶対的に足りなかったのだ。
 徐々に成長はしつつも満足できない状態がペースを保ったまま現在に至り、そして今日、この情報をこの質と量で入手することとなった。
 レィムが出奔したという情報だけでは、何かしら行動を起こすにしても判断材料として少なすぎる。出奔が自主的なのか追放されたのか、せめてこれだけでも分かれば話は変わって来るのだが、それすらも不明である。ロプト教会内部から情報が漏れて来るのは珍しいことだが、これだけというのも味気なさすぎる。もっと優秀な間者が揃っていれば、と思わざるを得なかった。
 とにもかくにも、アイーダはこの少な過ぎる情報を元手に判断しなければならなかった。「もっとよく調べろ」とは指示したものの、その結果をのんびり待てるほど呑気でもなかった。
 何しろ、ロプト教会の壊滅はアイーダの野望である。主君アルヴィスが築き上げた帝国を乗っ取ろうとする邪教の集団に敵意を抱くのは、ヴェルトマー家の重臣として当然の感情であった。君臣の間柄以外の色々と複雑な繋がりはさておき、とにかくロプト教討ち滅ぼすべしという観念は強いものがあった。
 そんな中で、レィムだけは数少ない友好関係を築いていた。何をしでかすか分からない狂信者の集団の中で、真っ当な政治的思考ができるレィムには親近感が沸いた。マンフロイ退場後、代行者としてロプト教会の指導者となっていたレィムは、ロプト復権の行動を焦らずに地盤を固めることに終始していた。実際にはこうされた方が嫌らしいのだが、「普通」の範囲内で納まっているうちは警戒心も薄らいでいた。実際にアイーダも、ロプト教会製作の装飾品を一つ持っている。美術から入って来るやり方にはアイーダも膝を打っていたのだ。
 もっとも、同じ事をマンフロイがやれば警戒の度合いは大きく違っていただろう。結局のところ、アイーダにとってはマンフロイよりレィムの方が親しみ易いからであった。個人的感情で敵味方を誤るようなアイーダではないが、やはり真っ当なグランベル人にとっては邪教の大司教そのもののマンフロイは規格外なのである。一方で黒いローブを着ていても今一つ似合わない素朴さが残るレィムはロプト教徒であっても「こちら側」の印象を抱いてしまうのだ。
 そのレィムが、出奔した。いったい何故であろうか。
 まず、自主的なのか否か。と言っても、自主的に出奔したとなるとそれこそ理由に見当もつかない。理論的に片づけるなら、自主的でない場合を考えてみる。
 レィムはマンフロイ不在を受けて代行者としてロプト教会の指導者となっていた。アイーダの採点では、地盤を固めるという方針は高評価できる。それゆえに力量不足を指摘されて解任されたという理由は可能性が低い。もっとも、ロプト教会内部での評価がどうなのかは知る由もないので決めつける事はできない。言い換えれば、教会内に反レィム勢力があった場合、政治闘争に敗れたとも考えられる。
 もしもそうであるのならば、絶対に看過できない。穏健派のレィムを追い出す勢力は急進派でなければ話が合わなくなるからだ。ロプト帝国再建のために手段を選ばないような狂信者たちが教会の権力を握ったとなれば見過ごすわけにはいかない。皇帝以下、要人暗殺の危険性が発生するだけでも大事である。
 となれば、浮いたレィムをどうするか。アイーダが自分の手で保護して支援してやれば、ロプト教会は分裂状態が継続して弱体化を誘うことができる。しかし一方で、レィムを認めることはロプト教撃滅の可能性はなくなる。狂信者に暴走させてやれば皇帝勅令の公認取り消しで根絶やしにできるかもしれない。
「ロプト教会にマンフロイ大司教復帰!」
 手を差し伸べるにせよしないにせよ、とりあえずレィム捜索を指示したアイーダは入れ替わりにこの報を受け取った。
 シレジアで重傷を負って退場し、レィムの活躍もあってすっかり頭から抜け落ちていたがロプトにはこの人物がいた。事実であれば、話は繋がる。マンフロイならば代行者として奔走していたレィムを放逐できる力がある。穏健派のレィムに対してマンフロイは急進派で辻褄も合う。娘婿だからと言って手心を加えるようなマンフロイでもないだろうから、大司教の復帰に伴った政変があったと言う仮説は成り立つ。
 話は分かりやすくなったが、その分だけやりにくさも発生した。マンフロイが皇帝とのパイプを保持している点である。バーハラ城の厳重な警備態勢を無視して皇帝の執務室に姿を現せる異能者である以上、レィムを抱き込んでロプト教会に介入すればマンフロイの線から皇帝に話が漏れるのは目に見えている。ロプト教会はヴェルトマー城内にあるからアイーダの管轄であるのは間違いないが、ロプト教を公認したのは皇帝であるから、その耳に入っているのを承知で叩き潰すのは勅令に反する。マンフロイの存在自体が帝国の脅威であるのは間違いないが、それも踏まえた上で公認している以上は勝手に手が出せない。いくらアイーダがアルヴィスの譜代の腹心であり、あるいはそれ以上の繋がりがあっても、主君と臣下の線引きは変わらないのだ。
「帝都に行く、対ロプトの情報収集はこのまま継続、信徒レィムの保護を最優先に」
「はっ……」
 マンフロイが皇帝に自由に会える以上、独自に動いても意味がない。皇帝を説得してマンフロイに耳を貸さないようにしないと行動に移しても無に返される可能性があるからだ。
 ……ただ、アイーダの行動はあくまで不足気味の情報を元手にしての判断であった。個人の才覚とレィムやマンフロイの人柄を考えて弾き出した答なのだが、仮説が正しいという保証はどこにもなかった。ただ、限りなく筋が通っていたために確信を誘発する効果があった。彼女が判断の誤りに気付いて後悔するのはまだしばらくかかることになる。

 シグルドを復活させる----。
「……」
 何故にこんな結論にたどり着いたのか自分でも今一つ分からなかったが、とにかく結論はこれしかなかった。
 代行者を辞して身軽な立場になり、シグルドならばイシュトー(※神あるいはその上位者)をどう制御するのかじっくり考えてみたが、最後まで答は浮かばなかった。レィムほどのシグルドの信奉者も研究者もいないが、所詮は傍目からの観察でしかない。灰色の人であるシグルドが何を考えていたのか知る由はない。行動からある程度窺い知る事はできるかもしれないが、シグルドのような人間に一般的な価値観が通用するのかはなはだ怪しい。
 研究者としてのこれまでを全否定しかねない考え方であったが、とにかく「文献からではシグルドを理解しきることは不可能」と判断したレィムは、その解決方法にシグルドを復活させるという突拍子もない結論に辿り着いた。
 例えて言うなれば、密室殺人事件の謎にぶち当たった当局が、推理で犯人を突き止めるのではなく、被害者を復活させて犯人が誰か聞くのと同じぐらいの暴論である。こういう考えを思いつくだけでも、レィムは普通の人間から一本ずれた道を歩いていると言えよう。
 さて、問題はシグルド復活が可能かという点であるが、魔法は傷を癒すことも、逆に殺めることもできる。一般人から見ればまさに万能の力なのであるが、死んだ者を再び現世に呼び戻すことだけはそうもいかなかった。
 厳密には不可能ではない。死者の身体の保存状態が良好で、さらに運命的な余命が残っている(運命的に死ぬべきではないが命を落とした)のならばまだ見込みはある。しかるべき準備を整えた上でエッダ家当主が聖杖バルキリーを振りかざせば、死者はは生還すると言われている。
 ロプト教会の指揮権を放棄し、半ば自由の身となったレィムは、エッダの血も聖杖バルキリーも無いのにそれに挑戦しようとしていた。あまりに馬鹿げている計画なので、誰にも打ち明けてはいなかった。
 亡きクロード公でしか成し得ない技であるのか否か。理論的には否である。バルキリーの杖やエッダの血はあくまで優秀な発動体であり家系に過ぎず、それを補うだけの外的要因があれば代用は可能である。現実にロプト教にも死者蘇生の魔法は存在するのだから、エッダにしか使えないというわけではないのだ。
 レィムは、材料として3つのものを必要としていた。
 一つは、暗黒神ロプトウスの復活。すなわちグランベル帝国皇太子ユリウスの覚醒である。当たり前の話だが、死者蘇生のような最高位魔法を使うのならば祈るべき相手がいないと話にならない。
 二つめは、生贄である。儀式に生贄が必要とされるのは、術者の内的な魔力には限界があり、それよりも大きな魔力を必要とされる場合は人命をも消費するしかないからである。裏を返せば、人命はそれだけ貴いものであるという物的証拠でもあり、教義で説かれる命の平等性について、邪教の方がしばしば信頼性がおけるのはそれゆえである。ただ、生贄は誰でもいいというわけではなく、大がかりな儀式を執り行うならばある程度の人選が必要となる。この場合は死者に関わりがあった人物を使った方が成功率は高い。もちろん、そんな人材を調達して来るためにはまた別の準備が必要になるわけだが。
 そして三つめは、死者の身体である。魂を呼び戻すならば、その入れ物を用意しなければならないのだが、死体の保存状態に期待などできないのが蘇生儀式の厳しいところである。初めから蘇生を考えた上での死であれば、氷漬けにするなど保存に気を配っておける。ロプト教の内部であれば石化という手もある。ところが普通に土葬にされた場合は想像以上に劣化が速い。腐った肉を治療しながらの蘇生となると、必要な魔力は一気に高くなる。もっとも肉体があるだけでも幸運と考えるのが通例で、これが火葬などされていては目も当てられない。腐敗以外にも身体に欠損があればまた面倒なことになり、罪人を蘇生しようとすれば首と胴とのうち片方しかなかったりする。
 結局のところ、死者蘇生が基本的に不可能とされるのは、そんな魔法が存在しないからではなく環境を整えるのが不可能だからなのだ。聖杖バルキリーは「ある程度の融通が利く」から偉大なのである。
 ちなみにこの時期、そのバルキリーの杖がどこにあるのかは明らかになっていない。当時の持ち主だったクロードはバーハラ決戦で戦死したが、手にしていたバルキリーの杖は見つからなかった。シグルド軍の生き残りが回収して逃亡したと見られるが、その後どうなったかは手がかりが無い。仮に見つかってもレィムには使えない代物なので構わないのだが、聖者ブラギの血を引く者にしか使えない物を回収していったということは、クロードには杖を受け継ぐべき子がいたことに繋がる。帝国は捜査を打ち切っており公式にはエッダ家は断絶とされているが、その事実をひっくり返す可能性を含んでいることになる。
 とにかく、レィムは実現不可能といっても過言ではない難事業に挑戦しようとしている。
 そして、困難なのは蘇生だけではなく、条件を整えること自体に問題があった。
 ユリウスの覚醒は、もともとはロプト教会の最終目標の一つである。これを皇帝が支持するとは考えられず、実行に移そうとすれば本格的な対立は避けられない。皇帝を除くのも目標の一つであり、達成できれば越したことは無い。だが、これのために今まで奔走していたのだから、死者蘇生の条件としてこれを挙げるのは明らかな手順前後である。
 生贄の調達もただでは済まない。ロプトの教義では儀式のために生贄を捧げるのは禁忌でも何でもないが、グランベル帝国の法においては立派な殺人である。皇帝は信教の自由は認めたものの、それはあくまで法の枠内での話であり、強行するにはお縄を頂戴する覚悟がいる。
 シグルドの肉体が現存しているか。答は否と言うべきであろう。人一倍用心深いアルヴィスが丁重に葬ったとはどうしても考えられないからである。
 結局のところ皇帝に対し正式に反旗を翻さないと実現不可能な条件ばかりである。ロプト教会の最終的な目標もそこにあるとはいえ、現状でその段階を踏もうとすれば教会は不支持に回るだろう。悲願達成の目の前で遠回りをさせられているロプト教会であるが、代行者となったレィムは地盤を固めることの重要性を常々説いていたから今では随分と慎重派の者も増えた。説明できない理由のために命運を賭けさせてはくれないだろう。
 そんなわけで代行者を辞して独自行動に出ることを選んだレィムであったが、初っ端から教会を欺く必要があった。
 ロプトウス復活のためにアルヴィスとディアドラとが必要だったが、生まれてきたユリウスを覚醒させようとすればロプト教会の秘宝"黒い聖書"が不可欠である。成人して確固たる自我が確立されればその中に潜む心の闇からロプトウスは目覚めるのだが、純粋な幼子である今のユリウス皇子から引っ張り出すには外的要因が必要になってくる。心の表裏が存在しない5歳児に心の闇を発生させるのは不可能に等しいので、神器に頼らざるを得ないのだ。
 それでその黒い聖書であるが、ロプト教会門外不出の秘宝であり、これに手を触れるのは代行者の時ですら許されなかった。力ずくで奪取するか、マンフロイを焚きつけて使わせるか……どちらにしても、穏やかな話では済まなくなる。前者は言うまでもなく、後者も教会の迷走という点で危険である。教会そのものについてはいい方向に進んでいると思っているレィムであるから、できる限り変化してほしくないのだ。イシュトー出現によるロプトウス絶対性の崩壊はレィム個人だけが知っている話であり、その解決はレィム個人で行わなければならない問題である。
 できるならば教会を巻き込みたくはない。だが、そんな甘いことを言えるほど生易しい問題でもない。
 そして好戦的な方の選択肢を採用したのは、最終的にはロプト教会すらも不要である点と、計画の実現のためにはグランベル中枢とのパイプが必要でありマンフロイと衝突を起こせばアイーダが釣れるという目算があったからである。

Next Index