聖戦士とは?
 彼らがロプト帝国を打倒した英雄であるのは間違いない。
 その一方で、彼らはユグドラルに君臨する新たな支配者としての顔も持つようになった。
「聖戦士にあらずんば、王にあらず」
 大陸南西の王国ヴェルダンは、この言葉に当てはまらなかったために蛮族と卑下されることとなった。王や皇帝が神の代行者であるとするならば、神器を操る聖戦士こそが王たるに相応しいという理論である。
 この政治体制は、これまではおおむね平穏を与えてはいたが、見えないところで澱みや濁りを生じつつあった。
 聖戦士の血統は、絶対的な階級差別を生み出した。能なくとも聖戦士であれば王となり、能あれども神器が使えないだけで卑下されなければならない。神器という物的証拠がある分だけ理論武装になっているが、聖戦士の血統が一つの貴族階級を生み出したのは間違いない。
 グランベルが王国から帝国に名を変え、世界が新たな時代に入ったとしても、この部分だけは変わらなかった。皇帝アルヴィスはおおむね善政を敷いているが、血統の枠外の者が転覆を狙うならこの基本的制度をも打倒しなければならないだろう。

 同じく帝国の転覆を目標として掲げているロプト教会であったが、それでもこの部分を侵すつもりはなかった。暗黒神ロプトウスを中心に据える彼らにとって、神を頂点とした身分制度のピラミッドを築こうとしているのには違いがないからである。正確には、ロプト帝国が築いたピラミッドを現在の光の神々が乗っ取った格好であり、今のロプト教会に言わせれば自分たちのしていることは単なる復古運動に過ぎない。
「……」
 それだけに、自分たちよりも深い部分でグランベル帝国を憎んでいる者の迫力は凄まじいものであり、レィムは完全に気押された。
 コノートのヒットマン・アサエロの紹介で会った男は、間違いなく"本物"であった。「十二聖戦士しか狙わない」という触れ込みは、醸し出す雰囲気だけで証明できていた。世界そのものへの憎悪、そしてそれに打ちひしがれることなく打倒を志す高い気構え----自分の知的好奇心と腕試しと成り行きで皇帝に挑んでいるレィムとは雲泥の差があった。
「……」
 男は、名乗らなかった。
 後でアサエロにも聞いてみたが、暗殺者ギルドの誰も名を知らず、三人称で彼を語るときは、思想をそのまま引用して"聖戦士を討つ者"と呼んでいるそうだ。
 闇の組織では、名前が無い者も、訳あって名前を名乗れない者も多い。前者は正体不明にして伝説の暗殺者"D・E・W"が例に挙げられ、後者は傭兵ギルドに一時期在籍していた"傭兵王"が典型であろう。アサエロのようにコノートの民衆にまで名を顔を覚えてもらいたがっているのは完全な例外である。
 この"聖戦士を討つ者"はどちらに属するのだろうか。彼が生まれついて不遇な状況下にあり、闇から闇へと渡らなければならなかったのか。あるいは日の当たる世界で活躍していたが、何らかの事情で闇に身を落とさざるを得なかったのか。どちらにしても、皇帝や帝国を憎むでもなく聖戦士という存在そのものに、世界の骨子そのものを憎悪するようになるには相当な事情が必要である。現在のロプト教会においても原理主義的な急進派が聖戦士全員を打倒すべきだと息巻いているが、それとはまた違った雰囲気があるように感じられた。
 いったい、どのような人生を送ればこのような域に達するのだろうか。身体つきから測ればレィムと同年代に見えるが、顔の彫りの深さは壮年を思わせる。明らかに時間の密度が違うからだろう。
 マンフロイのように人の心の闇を覗いたりはできないレィムであるが、持ち前の洞察力は、相手の表情に高貴の相を垣間見た。もしもやんごとなき身分の者であるとするならば、聖戦士の家系と一線を画された伯・侯爵位あたりの者であろうか。それだけでは説明しきれないような気もするが、それ以外に思いつきもしなかった。
「準備設営は任せる」
 男は、大役の報奨について全く口にせず、ただ、そうとだけ言葉を発した。彼にとって、聖戦士を討つこと以外には本当に興味がないようである。
 金を支払わなくていいのはレィムにとってありがたがったが、それだけに準備の重要さを身に染みて知ることになった。
 暗殺とは、夜道を襲えばいいというものではない。必殺が唯一無二の目標である以上、そのための環境を整えるのは至難の業なのである。
 暗殺目標が一国の王である以上、護衛は必ずいる。今回は狙撃を用いるが、一撃で葬らなければ護衛に射線を遮られてしまうだろう。つまり失敗が許されないのだから、狙撃位置の選定は最重要項目である。たとえいくら位置が良くても風によって流されたりもするだろうし、雨が降っていれば勢いも鈍る。男は相当な手練だとは見受けられるが、実際にどこまでの劣悪条件でも100%の命中率を誇れるか分からない。できうる限り良い狙撃条件を用意してやらねばならないだろう。
 また、狙撃したあとの逃走経路も確保しておかなければならない。ブルーム王と刺し違える気があるなら考えなくてもいいのだが、狙撃手が十二聖戦士全員を葬るつもりである以上は考慮してやらなければならない。となると、狙撃と脱出がどちらも絶対に成功するような絶好のポイントを探さなければならない。そんな虫のいい話があるのかと言えば微妙なのであるが、それでも見つけなければならない。
 場所探しと平行してやらなくてはならないこともある。諜報活動である。
 当たり前の話であるが、ブルーム王がいつどこに姿を現すかが分からなければ狙撃のしようがない。国王が城の外に出るケースはそうそうなく、そのときは国王の挙動はあらかじめ計画されている。その計画、いつどこを通過するのかをそれぞれ正確に察知しておかなくては狙撃など夢のまた夢なのである。
 狙撃位置は、長時間居座れるとは限らない。数日前からそこに隠れていられるのなら良いのだが、絶好のポイントが僅かな時間しか確保できないかもしれない。この暗殺計画の首謀者役をリーフ王子になすりつけようとしているのだから、ロプトの影は絶対に見せてはならない。だから狙撃するところを見られてはならないのだ。ならば、狙撃位置が人の出入りがありえる場所ならば、そこでのんびりと待っているのは避けたいのだ。
 距離・射線・逃亡、そして時間帯。四次元の都合が交錯する一瞬をいかにして発見するか。準備設営を一任されたレィムは、この芸術を達成しなければならないのだ。しかも、ロプト勢力が諜報活動を行っていると気付かれれば元も子もない。できるだけ慎重に、忍び足のように事を進めなければならないのだ。
 一手で状況を覆すことを至上の喜びとしていたレィムも、これには地味な労苦を費やさざるを得なかった。本質的には真面目な性格であるレィムだが、ここ数年の働きと比較するとなかなか根気が続かなかった。
 ところが、そういうときに思わぬ幸運が転がり込んで来るのは、レィムが運命の名の下に選ばれた役者であるからだろうか。
 アルスター王妃エスニャがミランダ王女を出産。その式典に兄であるブルーム王が駆けつけるというのである。
 実の妹が子を産めば、祝福の一つもするのは当然であろう。縁談そのものはアルスター王国側から持ち込まれたものであったが、フリージ家の北トラキア進出においてエスニャが重要な役割を果たしたのは間違いない。そのエスニャが出産したとなれば姿を現さないはずがない。
 これで暗殺目標の大まかな行動予定が確定されたことになる。あとは、当日の細かな動きを入手すれば場所の選定に移ることができる。大きく前進したと言っていい。
 ……これから起きる事件は、一つの凶事を生み、そしてそれは皆の予想を大幅に超越して多くの運命の糸をたぐることになる。世界が、人の手から離れて届かぬところに行ってしまう瞬間を迎えようとしていた。

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