勢いで勝てる相手ではない。
  ヴェルダンの一件で、レィムはアルヴィスに対し自分には無いスケールの大きさを感じた。
  しかし、シグルドを信奉するレィムにとって、アルヴィスに敗北を認めるのだけはやりたくなかった。シグルドを撃破したのは確かにアルヴィスではあるが、シグルドが作り上げた軍が完璧であれば敗北はあり得なく、言い換えればバーハラで散ったシグルド軍は完璧な存在ではなかったことになる。
  シグルド軍にロプト帝国の骨格を垣間見たレィムは、その実現を生涯の命題と選んだ。それが完璧な存在でないとすれば人生は無意味なものになってしまう。レィム個人はアルヴィスを高く評価していたし、皇帝として尊敬もしていた。だがそれはあくまでシグルドと並列に置いた場合の話であり、優劣をつけるとすればアルヴィスは決してシグルドに及ばないはずなのだ。
 少なくとも、そう信じない限りレィムは救われない。
  信奉者として、レィム個人もまたアルヴィスに負けるわけにいかなかった。レィムはシグルドではないのだから、才能面でアルヴィスに及ばなくても問題はないはずである。しかし、レィムはアルヴィスを打倒することでシグルドが上位であることを証明しなければならないのだ。
  こつこつと勢力を拡大していたのでは埒があかない。
  レィムは、より攻撃的な方針に路線を修正した。

  自力で勝てない相手を倒すためには。謀を用いるか他勢力と同盟を結ぶか、である。
  前者は即座に無理と判断した。皇帝を出し抜くのは至難であり、一度や二度の奇策で勢力比がひっくり返せるほど均衡してもいない。
  となれば後者しかない。手が空いているロプト教徒は、北トラキアに移動した。
  レィムは、ロプトの同盟者としてフリージ家に目をつけた。帝室に次ぐ実力を有しているフリージを味方に率いることができれば、皇帝打倒の目標について具体的な青写真を描くことができる。
  もちろん、単にそれだけで近付こうとするわけではなく、勝算の一つもなければ意味がない。
  ロプトの御子である皇太子ユリウスの、妃候補第一位は、フリージのイシュタル王女である。ロプトとは婚姻関係の仲となるわけだから接点は多い。しかし、ユリウスが暗黒神ロプトウスの生まれ変わりだと言う事実はフリージが知るよしもなく、現時点では何の縁も無い。
  現在では磐石だが、“イシュタルが皇妃になれるかどうか次第にかかっている”程度まで適度に没落してくれるのが理想である。そこまで持ち込めればアルヴィスが退陣してユリウスが実権を握ってくれた方が好都合と思わせることができる。
  レィムはその手助けをやろうと言うのだ。フリージを陰から足を引っ張ることによって。
  北トラキア=フリージ連合王国にとって、足元を掬われかねない不安材料は存在する。現在なお逃亡中のレンスター王太子リーフである。
  ロプト教徒が暗躍してフリージにダメージを与えても、リーフが健在である限り疑いの目は亡国の王子から離れることはない。むしろ、それが皆の評判を呼んで勝手にリーフの存在が膨らみ、ますますリーフの仕業だと思うようになる。
  つまりノーリスクで混乱を招くことが可能なわけであり、攻撃に全力を注げる分だけフリージを傾かせるのが早くなるという寸法である。

  旧4王国の中で最も統治が難しいと言われるレンスター。四王国の盟主を自負していたこともあり、民は何かと反抗的である。それを厳格な統治方針で鎮め続け、これまで大きな混乱は見られていない。
  ただ、未だにリーフ王子は見つかっていない。ただこれは新領主グスタフ侯爵の手落ちではない。そもそもレンスターを滅ぼしたのはトラキア王国であり、直後にグランベルとの決戦を控えていたために捜査はおざなりなものになってしまったのだろう、その隙に身を隠されてしまった。もしかしたら既に国外に脱出されてしまったかもしれず、そうなれば永久に見つからないわけであるが、もしかしたらまだ潜伏しているかもしれず、今日も今日とて必死の捜索活動が行われていた。
  そんなある日、事件が発生した。捜索に出ていた小部隊が全滅したのである。
  事態を聞いた上層部は直ちに原因の追求と討伐隊の編成を命じた。そして調査によると、リーフ王子に関連する密告が届けられ、真偽を確かめようと向かったところ襲われたとのことであった。
「何故初めから大部隊で向かわん!?」
  と怒鳴ることはできない。5歳ぐらいの男の子などどこにでもいるわけで、髪の色で判別してもまだ星の数ほどいるだろう。つまり目撃報告もまたそれだけ押し寄せられるわけであり、いちいち本気になれるわけがない。まず数名を現場に向かわせて確かめるのは当然の行為と言えよう。
  ただ、今回の事件は信頼性を高めた。
  たいていは間違いか、グランベルへの嫌がらせ目的の偽報であり、こうして返り討ちに遭うケースは特異と言えた。少なくとも、それだけの武力を擁した勢力が存在するのは間違いなく、仮にリーフ王子でなくとも不穏分子を1つ潰せるのは大きい。となればここは本腰を入れる一手であろう。
「草の根分けても見つけ出せ!」
 事件が起こったのは夜。グスタフが赴任してからずっと夜間外出禁止令を出しているから、移動はせずに近場に潜伏している可能性が高い。付近の歩哨の兵士を問い質したところ不審者は見かけていないとのことであり、この辺りに隠れているのでほぼ間違いない。
「怪しい奴は全て引っ捕らえろ!」
 隊長の怒号が夜の静けさに響く。『夜、安心して寝られる』というのが市民にとって平和のバロメーターの一つであるから、彼が職務に忠実であればあるほど矛盾が発生することになるのだが市民の立場ではない彼が知る由もない。むしろ彼はレンスターの治安を守るこの職務に誇りと喜びを感じる善人であったのだが、これもまた反対の立場である市民が気付くことはなかった。
「隊長! こちらの壁に文字が!」
  松明を掲げた兵士が薄暗い空間を指さす。
「読んでみろ」
「はっ。『祖国を踏みにじるものに裁きを、この壁を目でなぞった者に死を』……です。」
「何? ぐっ……!」
  刹那、闇夜を切り裂いて飛来する矢に眉間を、立て続けに喉元を撃ち抜かれて絶命した。

 指揮官が討たれ混乱する討伐隊を尻目に悠々と脱出した犯人たちは、今回の功労者をねぎらった。
「……見事なお手前。コノートのヒットマン“アサエロ”の名は伊達ではありませんね」
「俺の腕前じゃ銘の面汚しさ。ま、あれぐらいの仕事なら朝メシ前だがね」
  いくら疑いの目をリーフになすり付けられると言っても、暗黒魔法など使えばさすがに怪しまれる。あくまで刃でなければならない。そこでレィムはミレトスで挙げた収益をもって暗殺者を雇った。
  この大陸に暗殺者ギルドがあって、帝政の今なお健在なのはそれだけ需要があるからなのだろうか。同じ闇の側でありながら、レィムにはいま一つ想像できなかった。
  ともあれ、北トラキアで凄腕と評判の暗殺者を雇ったところ、彼がやってきて、依頼者がロプト教徒であることなど気に留めず仕事をこなした。
「本当はクライアントと雑談するのは好ましくないんだが」
  とは言いつつも、アサエロは色々と喋った。最初は学者志望で好奇心旺盛なレィムに迫られて渋々と語り始めたという感じだったが、どうやらもともと饒舌の人らしくレィムの欲望を充分に叶えた。
  本人によると、“アサエロ”という名前は一種の屋号みたいなもので、代々受け継がれてきたものである。代替わりしても名前はアサエロであり、その方が時代が変わってもネームバリューを維持できるので商業面で有利であるそうだ。その歴史は三百年に及ぶらしいが、これについては本人も苦笑いを浮かべた。しかしたとえ話半分であっても少なくともロプト帝国時代から続く技能に違いはなく、そのせいかロプト教徒には抵抗が少ないらしい。最終的には名前だけではなく、コノート中の人間が顔を見て逃げ出すほど有名になるのを目指しているそうだが、これは一種の比喩であろう。
「ブルーム王だぁ!? 悪ぃ、パス」
  フリージ家をさらに混乱に陥れるために、今日みたいなことを続けて依頼することは承諾したものの、最終的にブルームを狙うと聞かされるとアサエロは途端に尻込みした。
「言ったろ、俺の腕前じゃ“アサエロ”の名の面汚しにしかならんって。そこいらの将軍クラスまでなら仕留める自信はあるが、聖戦士は無理だ」
「……そうですか、それは残念です」
  闇の者にとって守秘義務は絶対の掟である。ブルーム暗殺を持ちかけてもそれが外部に漏れることはない。だから気軽にオプションを頼んでみたのだ。しかしさすがに神の子を相手にするのは無理があるらしかった。
「あ、そう言やそれ向きの奴がいた」
「……?」
  本来ならば同業を紹介すると言うのは正しい行為ではない。ギルドはあるがそれは依頼主の要望に応えられるよう総評が把握するために存在しているのであって、仕事を横に振るためのものではない。闇の者にとって契約は絶対であるからそこに他者が介入してはならないのだ。
「奇妙な奴がいるんだ、『十二聖戦士の汚れた血を引いた奴しか狙わない』って全ての依頼を断っている奴。本気かどうか知らんが、腕は本物っぽいぜ」

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