ヴェルダン地方。
 森と湖に包まれた神秘的な異世界は、歴史の表舞台に立つのが最も遅かった土地である。開拓者によって切り興されたヴェルダンであったが、彼らを取りまとめる者が存在しなかったために国家としての枠組みが誕生しなかったからだ。森を切り開き、獣を狩り、魚を捕り、余剰分を他の物資と交換する。彼らが生きていくための行動について、部族以上の単位を必要としなかったのだ。
 開拓民たちは、自分が蛮族と呼ばれていることについて気に留めなかった。生きる事に没頭している者たちにとって、そもそも他の地方の話など知った事ではなかったからだ。自分たちは楽しくやっているのだからそれでいいじゃないか、そんな柔らかな雰囲気に包まれた部族が点在するのが当時のヴェルダンであった。
 その牧歌的な毎日が崩されたのは、彼らを蛮族と呼ぶグランベル人が現れてからであった。
 狩猟と採集で食を営んでいたヴェルダンの余剰分を、凶作に見舞われて物資が不足したグランベルが欲したからである。正確には未開拓の商業ルートを開拓して大儲けを狙おうと言う商人たちであったが。
 貨幣と言う存在そのものは無かったわけではない。だが、ロプト色一掃を図った十二聖戦士が貨幣も一新したために、僻地であるヴェルダンには行き渡りきっていなかったのだ。しかも必要のないものであれば流通しないのは当然の結果である。物々交換を野蛮的と嘲るのは文化人を自称する者の勝手であるが、そもそも貨幣制度とはあらゆるものを同一の価値観に置き換えるためのものであり、その役目を別の物が務められればそれでいいのである。食料を中心に動くヴェルダン人にとっては、貨幣制度と言うもう一つの価値観などあっても邪魔なだけなのだ。
 ところが、グランベル商人の登場で社会は変わってしまう。達者な口車に乗せられて「やっぱり貨幣制度は便利」だと受け入れてしまうと、悪魔の発明品は急速に浸透して行った。
 貨幣と言う存在は便利には違いない。確かにあらゆるものを換算できる統一理論があるのは理想と言うものであろう。だが、貨幣には重要な欠点があった、「食べられない」という点である。
 貨幣とはあらゆるものに交換できる代わりに、貨幣単独では何の意味もないという特異な存在である。食料を中心に回していた頃は、腹が減れば食べれば良かったのであるが、貨幣が手元にあっても飢えは凌げないのである。「食料を買う」と言う行動を費やす必要がありその分だけ手間がかかる。さらに売ってくれる人がいなければ貨幣を抱えたまま飢え死にしなければならない。つまり、貨幣制度とは物資の流通システムが確立されない限りは迷惑な存在なのだ。
 しかしこれはもう持ち込まれてしまった。ヴェルダンで採れる食料や角が見事な鹿の剥製など、グランベル商人が買い求めるには貨幣制度の方が都合が良かったからである。
 その一方で、ヴェルダン地方は大混乱に見舞われた。流通が滞り、今まで何の不自由もなくやってきたのが、途端に物資不足となった。あるところにはあるのだが、それが無いところに移ってくれない。何をするにも貨幣と言うものを中継しなければならないのに、金の使い方が未熟なために流通ルート全体が血栓症を起こしてしまったのだ。
 この事態に、ヴェルダンの各部族は二派に分かれた。貨幣制度を放逐して昔に戻すべきだと言う意見と、貨幣制度を完全に浸透させて流れをスムーズにさせようと言う意見である。前者は最も手っとり早い手段であり貨幣制度によって痛い目を見た者が集まり優勢であったが、後者はグランベルが密かに手を貸した。せっかく打ち込んだ楔を潰されたらたまったものではなく、好意的な集団にヴェルダン地方の主導権を握らせれば利権はさらに膨らみ、勝たせるための投資は充分に回収できると踏んだからだ。
 グラン暦724年、バトゥという名の若い族長が友好部族をまとめあげて容認派の旗頭となり、グランベルの経済支援を受けて反対派を破り、ヴェルダン地方を掌握した。
 族長バトゥは、ヴェルダン初の王制を敷くことを選んだ。貨幣制度の積極的受け入れは、グランベル王国との付き合いを伴うわけであり、ヴェルダンはそれ相応の国体が存在しなければならないという考え方であった。
 だがグランベルはヴェルダン王国の誕生に冷ややかであった。ヴェルダンに干渉していたのは商人たちの勝手であり、グランベルの総意ではないからだ。それどころか勝手に自分たちと同じ格の王国を名乗られたことへの腹立たしさが最優先した。
 結果、ヴェルダン国内は貨幣制度が順調に浸透して安定したが、外交面では「蛮族のくせに」と蔑まれることになる。バトゥが王制を敷いたのは国内では成功し、国外では裏目に出たのだ。
 留学に行った第一王子の死、その落とし子のジャムカ、永遠につきまとう蛮族の汚名、十二聖戦士の血の渇望……結果はエーディンとイチイバルの強奪であり、国の滅亡であった。
 王国が滅び、ジャムカ王子がシグルド軍が参加して以後のヴェルダンは歴史の表舞台から姿を隠す。758〜760年のユグドラル大陸がシアルフィ公家を中心に語られていては、その戦場とならなくなった地が日の目を見ることがないのはやむを得ないか。
 シグルド軍がアグストリアにいた頃、ヴェルダンは生産拠点として意味があったが、シレジアに追い落とされると孤立してしまった。当然ながらグランベルからの圧力がかかったが、シグルド軍に参加しているジャムカ王子が人質の役目も兼ねており、勧告に従うことはできなかった。
 結果、再びグランベルの軍事侵攻に晒されることとなった。端から観れば主がシグルドからアルヴィスに代わっただけであるが、当のヴェルダン人には影響が大きかった。
 アルヴィスはあくまで政治家タイプの人間であり、ヴェルダンを行政の対象として捉えていた。
 彼はまず、ヴェルダンに大量の役人を送り込んだ。グランベルの領土とした以上はシステムに組み込むためにこの方法を選択したのは間違っていない。だが、自由な気風で育ったヴェルダン人には迷惑千万もいいところである。
 それは承知の上で、そこらへんの少々のトラブルには目をつぶり、できるだけ早く『グランベル式』を浸透させたいアルヴィス。ここは強引の一手を貫く姿勢であった。シグルドもアルヴィスもグランベル人である以上、主の変更は大きな話にならないと踏んだからである。
 ただ、ここにアルヴィスの計算違いが一つだけあった。
 シグルドはアルヴィスと同じくグランベル人であったが、グランベルに弓を引いた時点でグランベルの枠から外れていたという点である。
 王家を根こそぎ葬ったのはシグルドの軍だし、生き残ったジャムカを軍に組み入れ、半ば人質としてヴェルダンに負担を強いてきた。アグストリア侵攻の際、エバンス城が拠点として機能したのはヴェルダン人を徴用した拡張工事のおかげである。
 ここまではいかにもグランベルらしさが漂っていたが、彼が正式に叛乱を起こして以来はヴェルダンへの方針も変わった。
 それ以降は、シグルドはヴェルダンに負担をほとんどかけなかったのだ。最終的にはやはり武力で解決する軍隊であるシグルド軍は、ヴェルダンに対し政治的要求をしなかったのだ。補給に関する命令も無理なことは何も言わず、ただ強く要求してきたことは、参戦中のジャムカ王子の部隊の最精鋭化に尽力するようにということだった。ヴェルダン選りすぐりの射手が集められ、唯一生き残った王子の元へと送り出す……それのみに没頭すればよかったのだ。
 大陸最強を誇ったシグルド軍の、さらにその中核を担った部隊は4つ。イザーク王妹アイラの歩兵、ノディオン王妹ラケシスの騎兵、シレジア王子レヴィンの魔導師、そしてヴェルダン王子ジャムカ率いる射手である。軍を形成する4つのカテゴリー全てが非グランベル人によって占められていたのは、どれも祖国が総力を挙げて一個部隊の強化に務めたからである。
 つまり、シグルドがヴェルダンに課したのは、ジャムカ王子への絶対の忠誠なのである。ただただジャムカを手助けする、それだけで良いのならばシグルドの支配は我慢できないレベルではない。各地を転戦するジャムカの武勇伝が届けば、自然とシグルドへの好意も沸いたりもした。
 結局のところ、アルヴィスにとってみればシグルドとの戦いはグランベル人同士の争いであり、大内戦の締めくくりであるのに比べ、間接的に関わったヴェルダン人から見ればシグルドはグランベルに対抗する周辺諸国の代表である。アルヴィスの、グランベル王国=ユグドラル大陸と捉えるグランベル人の典型的な偏見が微妙な食い違いを生み出したのだ。
 トップがそう捉えているのだから、赴任した役人もそういう価値観を抱いているのは当然の帰結である。新皇帝の平等政策によって同一ラインに立つことを許されただけで、位としては下と見るのは、グランベル人ならば当たり前の感性なのだ。この辺は、グランベルが貴族社会である点も影響しているだろう。同じ人間であっても命の価値は平等ではないと考える彼らだから、同じ帝国民であっても住む場所で上下をつけたがるのは普通の考え方なのである。
 そして、不満の溜まる民衆を、聖霊の森の者たちが焚きつけた。

 聖霊の森、南口。早朝----
 毎朝、家業の前に道を掃き碑を清める習慣。数えたことはないが、たぶん数千回ぐらいは行っているだろう。
 若い男が、聖霊の森を奉る碑と、その隣に建てられた墓に水を撒いていた。無造作に桶を放り投げて、首にかけていた手拭いで熱心に石を磨く。
 この墓は、シグルド軍がヴェルダンに侵攻してきたときに殺された、ある偏屈な老人のものである。
 飄々としているせいか、この若い男は生前の老人と仲が良かった。口を開けば皮肉と厭味の応酬であったが、相手への信頼があっての口喧嘩であり、一種の友情表現であった。老人の死後、その忘れ形見を娶った彼は、碑と同じように墓を毎日磨いていた。
「行ってくるぜ、じいさん」
 無論、返事はない。
 話しかけて何か返って来るわけではないぐらい分かっている。だが、それでも話しかけたいときもある。今朝みたいに、何か大きなことをする日のように。
 男は持参していた、いつも木を切るのに使っている斧と、獲物を獲るための弓と、そして扱えもしない手槍を携えて立ち上がった。
 この手槍は、まだ『グランベル人』だった頃のシグルドが老人を貫いた運命の槍である。あの時を忘れないために、今まで取っておいたのだ。
 もともと部族制だったヴェルダン人は、他国の国家と言う枠にはあまり執着しない。なので、シグルドがグランベル出身であることはあまり気にしない。憎むべきは『グランベル式』なのであり、それを強要してくるのが彼らにとってのグランベル人なのである。だから、この手槍も投じたのはシグルドであっても、老人を殺したのはグランベルというシステムそのものなのだ。

 グラン暦762年、ヴェルダン地方の各地にある庁舎が一斉に襲撃された。
 自由を求めたヴェルダン人による武力蜂起であり、後に悪夢を見る引き金となった一件である。

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