進むべきか退くべきか――
 修復の状況と戦場までの距離を考えれば、到着は翌日になるだろう。問題は、一日の遅延をマンスター軍が持ちこたえられるか、である。この橋が壊されていなければ間に合うのは間違いなかっただけに、アクシデントの発生は悲観的にさせる。
 もしもマンスター軍が壊滅していれば目も当てられない。撃破して士気が上がっているトラキア軍を相手に、援軍が間に合わず落胆するレンスター軍とでは勝負になるわけがない。各個撃破されるのは目に見えている。
 かと言って守備を固めるのも問題である。間に合わないのであればそれもやむなしだが、現時点ではマンスター軍はよく戦線を支えている。もしかしたら持ちこたえてくれるかもしれない。それに救援に行かないというのは見殺しにするというのと同じであり、取り止めたという報が届くだけで援軍を期待して頑張っているマンスター軍兵士の心の糸は切れてしまうだろう。
 進むべきか退くべきか――
 軍内において秤は前者に傾いていた。何しろ百年間も同盟を結んでいる仲である、危険な賭であってもカルフ王に自重を勧める声はなかった。蜜月関係の相手を救援に行くのに「どうせ間に合いません」とはなかなか言えるものではない。
 今のレンスター軍には全盛期の精強さはない。単独でトラキア軍と戦えるだけの力はないので、連合は必須である。しかしキュアンとゲイボルグとランスナイツの半数を失っているとは言え、まだまだ立派な機動戦力である。立ち回り方と友軍との連携さえ上手く運べばトラキア軍とも充分にわたりあえる。それだけに、遅延して自分も孤立、という話は避けたい。
「……」
 橋を修復している間は、考える時間がある。
 これまでの対トラキア戦の場合、まずマンスター軍が斬り結び、隣国のコノート軍がすぐさま参戦して支え、その間にレンスター軍が到着して奮戦、アルスター軍が戦線の隙を埋めて膠着に持ち込む。補給に余裕がないトラキア軍相手ならば膠着状態で上等である。
 ところが、今回は違うケースである。
 本来ならばマンスター軍と共にトラキア軍と交戦している筈のコノート軍が不在である。国王カールが重病とあれば軍が動かないのはやむを得ないが、トラキアが本気であるだけに痛い話である。「数日の遅延はあれども必ずや」という回答は、カルフにしてみれば不十分であった。
 コノート軍不在と橋の崩落が原因でもし増援が間に合わなかったとしたら、次の戦線はここである。マンスターに早々に見切りをつけるなら、今のうちにここに陣地の設営に勤しむべきであろう。
「修復、……」
 修復中止・陣地設営、と言いかけて、カルフは思い止まった。
 もしもこの川を防衛線とするならば、橋は壊れたままにしておいた方が都合がいい。
 いくらトラキア軍に川など気にしない竜騎士がいるとは言え、単独で運用すれば射手の獲物でしかない。地上軍との連携が不可欠である以上、橋が壊れている方が守りやすい。無論いつまでも凌げるわけではなく、川越しに投石器などが並べられれば戦線を下げねばならない。しかしそのやりとりだけでも時間は稼げる。
 と、そこまで分かっていながらも、カルフは命令を下せなかった。
 ここに陣を敷くということは、マンスター軍を見捨てるということである。慎重なカルフの見立てでは間に合わない可能性の方が高いが、所詮は可能性である。裏を返せばマンスター軍がしぶとく耐え続けている可能性もある。そんな僅かな希望を残したままでの見殺し命令は、兵の士気に関わる。トラキア軍との戦いは兵の発奮が必要なだけに、カルフは中止命令を出すのを嫌ったのである。
 結局は、何事もなかったかのように作業を進めさせた。
「待ってろよマンスター!」
「……」
 兵士たちの声とは裏腹に、カルフの腹は後向きの時間稼ぎであった。
 カルフにとって、最も邪魔なのは『間に合う可能性』である。これさえなければ、この川に防衛戦を張ることに躊躇いがなくなるからだ。事こうなると、橋の壊れ具合が小規模であったのが悔やまれる。もしも完全に破壊されていたならばスッパリと諦めが付いただけに、約一日で修復可能というのは今にしてみれば中途半端もいいところであった。
「急報、急報ーッ!」
 作業がちょうど終わった頃、カルフの密かな願望が届いた。マンスター軍壊滅の報である。
 それを耳にして動揺する兵士たちと、前進の理由がなくなったことを密かに喜ぶ国王。
「前進中止、直ちにこの地に陣を築き、トラキア軍の来襲に備えよ!」
 マンスターの敗残軍がこちらに向かっている可能性もあるので、さすがにせっかく直した橋をまた落とすわけにはいかない。それに前向きに考えれば、敵の投石器を叩くための突撃路は確保しておいた方が面白い。
「コノート城へ早馬を出せ! 我が軍がここに布陣することを伝えるのだ!」
 平地が多いマンスター王国とは違い、川を防衛線にすれば守りやすくなる。それにコノート軍が加わればさらに強固なものとなるに違いない。
 国王危篤で出陣どころではないコノートでも、自国内が戦場となるのであればそうも言ってられない。だから必ず駆けつける――という目算がカルフにはあった。
 ……ところが、である。
「急報、急報ーッ!」
 今度の急使は南からではなく、コノート城のある北東方面からであった。
「コノート国王カール陛下が崩御なされましたーッ! 城内は喪旗で溢れ返っております!」
「なっ……!」
 危篤ならばともかく、王が死んだとなると話は違ってくる。
 喪旗が掲げられたと言うことは、参戦放棄の宣言に等しい。
 喪中の敵を討ってはいけない、という決まりごとは存在しないが自然と控えたがるのは人間の性であろう。トラキア軍にとっても敵が減るのは有難い事だろうから、そっとしておくだろう。
 上手い具合に死におって……と口に出しはしなかったが、病弱なコノート王のこの時期の崩御にタイミングの良さを感じた。劣勢が予想される今回、臆病風に吹かれて中立を決め込んだのだ……という気がしてならなかった。
 コノートが参戦しないのならば、ここで迎え撃つ理由はない。支援を受けられないどころか、喪中の隣に陣を敷くなど居るだけで士気が下がる。
「急報、急報ーッ!」
 そして、3度目の急使は北からやってきた。

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