コノート王国領南端――
「陛下! 橋が打ち壊されております!」
 トラキア王国軍との戦端を開いたマンスター、そこへ向けて援軍を発したレンスター軍であったが、その途上で思わぬハプニングに見舞われていた。
 コノート王国の領土は、北トラキアに肥沃な土壌を作った大河が、長い年月を経て生み出した三角州である。つまり領土の左右を流れる二本の川はいずれも国境線であり、同時に交通の要所でもあった。そのうちの一本、マンスターとの境である川に架かる橋が、打ち壊されていたのである。
 橋が壊れているということは、当然ながら通れないことである。一刻も早くマンスターへ救援に向かいたいレンスター軍にとって、こんなところで足止めを食っている場合ではない。
「橋の修復を急げ、斥候は迂回路を探せ」
 救援軍を率いるレンスター王カルフの命令はいたって正論であったが、効果的とは言い難かった。その手しかなかったのは確かなのだが、橋を壊されていた時点でマンスター軍は孤立したことになる。
 この橋を打ち壊したのは誰であろうか。
 遠路はるばる竜騎士を派遣したとは考えられない。いくら機動力に優れていると言っても、敵の勢力圏内に踏み込んで工作できるほど甘くはない。国王危篤で大慌てのコノート領内の出来事とは言え、最低限の警戒心さえ残していれば防げた事態であるから、やはり竜騎士隊飛来説は薄い。
 しかしカルフ王は橋の修復に重点を置いたために、情報収集は成果を挙げられなかった。何者でもよい、友軍と合流するのが先、という観点からであった。

 援軍というものは、単純に兵の数が増えるだけではない。
 士気の向上は言うまでもない。疲弊しきった現存兵力とは違う、元気な戦力の投入は戦局を動かす一手となり得る。戦場の混沌とは離れたところにいる部隊は、効果的な運用が可能である。などなど、基本的にいいことづくめである。
 トラキア軍を真っ向から受け止めているマンスター軍にとって、レンスター軍の接近は嬉しいニュースである。軍の勢いは依然としてトラキアにあったが、援軍が近付いているという報を聞いたマンスター兵士も奮い立ち、劣勢が続く中でも軍に崩壊の兆しを見せない。太陽が上りきる頃には到着するだろう、という予測は、マンスター兵士にそこまでの戦闘意欲の継続をもたらせたのだ。
「レンスター軍はもうすぐだ! 飢えた奴らの目の前で豪華なランチタイムをおっ広げてやろうぞ!」
 昼になれば、戦局は一変する――それはイルグ王の饒舌にも自然と含まれていた。
 実際にはレンスター軍が加わったとしても簡単に押し返せるような相手ではないのだが、そこは方便というものである。軍容で劣っていても、士気さえ持続すれば何とか戦えるのが戦争というものである。
 ……もっとも、援軍が到着すれば、の話である。
 途上の橋が壊されレンスター軍が立ち往生しているという情報は密かにイルグ王に届いていた。こんな報が流布すれば士気は急下降するため、イルグ王はその報を握り潰し、方便を振りまいて粘る道を選んだ。
 退却・籠城は考えられない。
 大陸で最も機動力に優れる竜騎士を相手に背中を見せて損害を抑えられるわけがなく、あまり知られていないがトラキア軍は攻城戦に滅法強く、平城のマンスター城はひとたまりもないだろう。過去百年、北トラキア四王国が全て野戦に討って出たのは、トラキア相手の籠城戦があまりにも下策だったからである。
 イルグ王は、より一層の大きな声を張り上げて士気の維持に努めた。
 しかし太陽が南中を過ぎ、待てども現れず、という状況になると兵士たちに焦りの色が浮き出てきた。向かって来ているのは間違いがないが、永遠に待ち続けられるものではない。トラキア王国軍の猛襲を、昼までという時間制限付きで耐え忍んできたマンスター兵士にとって、それ以上の時間延長は負担が大きすぎた。
 「まだか」が「いつ来るのだ」に変わり、ついには「来ないのでは」と絶望に支配され始めると、イルグ王の饒舌も効果を発しなくなっていた。いったん疑心暗鬼になるとどんな言葉も逆効果になってしまうのだ。
「わっはっは、いくら待てどもカルフは来やせぬわ!」
 トドメを刺したのが、時期を見計らって前線に現れたトラバントのこの一声であった。イルグ王の信じるなという声ももう通用しなくなり、マンスター軍は一斉に崩れ出した。
 もともと士気だけで支えていた戦線である、それが失われると崩壊は早かった。攻勢に出たトラキア軍の津波に飲み込まれるかのように、マンスター軍は姿を消した。
「トラキアの“飢族”め! 我が必殺の槍を味わえ!」
「ふん! 貴様ごときが止められるわしではないわ!」
 頼みの綱は敵将トラバントの撃破であったが、イルグの槍筋を完璧に見切ったトラバントの完勝であった。天槍グングニルに刺し貫かれたイルグの身体は、そのまま飛翔する黒竜の背の上で掲げられ、完全な決着を否応もなく証明した。

 継戦能力を失った敗残兵がマンスター城へと落ち延びていく頃、トラバントの怒号が鳴り響いた。
「掃討やめい! 我らの目的地はここにあらず!」
 言いたいことはすぐに伝わった。北トラキア四王国のうちの一つ、グランベルの援軍を数えれば五戦のうちの一つ目が終わっただけである。トラキアの民が追い求める夢は、まだ始まったばかりなのだ。
 国王と軍の大半を失ったマンスターは、もはや無害な存在であった。トラキア軍は追撃を取り止め、北進を開始した。

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