エッダ当主クロードが叛乱軍に参加していたために、現在のエッダ家は当主空位の状態である。クロードから3親等以上の血縁男子は存在するものの、皇帝アルヴィスの命によって相続は却下された。
 エッダ家はユグドラル大陸全土に影響力を持つエッダ教会の総本山であるため、最高司祭を兼ねていたクロード亡き後は、領地ともども教会の有力者たちによって運営されるという形になっていた。
 多神教のユグドラル大陸であれど、エッダ教はグランベルの中心に据えられている大勢力である。十二聖戦士の血統が政治形態の根幹にあるのがグランベルであるため、それに名を連ねる大司祭ブラギが祖であるエッダ教は、聖戦士の子孫たちにとっては都合が良いものであった。
 グランベルの祭事を一手に引き受けるエッダ教会。当然ながらその分だけ各地にネットワークを広げており、その発言権は絶大である。特に政治的威光の浸透が希薄な辺境地においては、点在するエッダ教会は多くの功績を残した。グランベル王国の征服は嫌悪感を示す辺境の民は数多くあれど、その地にエッダ教会が建てられることについては反対する者はいなかった。
 エッダ教会の最高司祭がグランベル六公爵エッダ家当主だという等号関係も、グランベルが大陸制覇の野望を抱き続けているのも、どちらも知られていてもなおエッダ教会の侵入が止められることはなかった。そして実際に戦時中などはグランベル軍が補給のために利用することもしばしばあり、半ば前線基地化していた。たとえ兵士であっても傷ついた人は助けるという名目の下、グランベル軍の負傷兵の治療のために大いに活躍したのであった。
 ところがエッダ教というものは、意外にも不安定な存在である。
 最高司祭であるエッダ家がグランベル六公爵の一員である以上、教会の性格がグランベル王国の都合に沿ったものになるのは自然の流れである。
 だがその一方で、政治と宗教は一体ではなくブラギの教えは政治によって左右されるべきではないという敬虔な信者もまた存在する。言っていることは正論であるため、表面的には彼らが弾圧されることはなかった。さすがに、エッダ教会の意図ではなくブラギの教えに忠実な“ブラギ派”を異端だと認定するには無理がありすぎたのだ。
 クロードは温和な物腰で人気が高かったが、実のところは野心も高かった人物であった。政治的にディアドラを獲得しようとシグルドに接近するなど、政権欲が強かった。結果的には、そのディアドラがヴェルトマー家に奪取されると言うアクシデントによって帰る場所を失い、なし崩しに叛乱軍に参加して身を滅ぼすことになった。しかし“エッダの神託”によって叛乱軍に与えた大義名分は、大内戦を激化させることに大いに貢献した。
 政教分離を考えている人であれば、クロードは死ぬことはなかったであろう。政敵を討つために神託を操作したりもしなかっただろう。その意味でクロードはエッダ教会派の最右翼と言っても良かった。
 しかし、クロード個人はそうであってもその真実を知るのは彼に親しいごく僅かな者のみである。遠目から見たクロードは、公爵でありながらブラギの神託に沿ってシグルド軍に参加した聖者であった。
 つまり、ブラギ派の信者にとってクロードは、真実に反して、輝かしいまでの“ブラギ派”なのである。何とも皮肉なものだが、エッダ派の頂点の行動ぶりが、ブラギ派の熱狂を呼んでしまったのだ。
 そして最終的には、過熱したブラギ派は教会のコントロールを離れて独自に動き回ることになる。教会の指針に合わない行動を堂々と採り、ひいては帝国に反抗する司祭たちまで現れることになる。しかもその際に自分のことをエッダではなくブラギの司祭だと免罪符代わりに言い放っていたのはこれ故である。奇しくも、クロードのエッダ派的な政治的野心が、ブラギ派の暴走を招いて教会を内部崩壊に追い込んでしまうことになったわけである。

 その序曲が流れ始めている現在、エッダ教はロプト教の登場によって混乱ぶりが加速されていた。
 ロプト教そのものはエッダ派もブラギ派も否定しているのだが、皇帝公認とあれば付き合い方を考えなければならない。特にエッダ派にとっては皇帝の機嫌を損ねるわけにもいかないために、エッダ教会としてもロプト教を公式に容認する声明を出さざるを得なかった。一方でブラギ派は否定を継続したい雰囲気ではあるが、皇帝の勅令までも無視するわけにはいかなかった。
 そんな中で、エッダ教には新たな勢力が出現してきた。ロプト教との融合を掲げた“マイラ派”である。この一派は、大司祭ブラギがロプト教マイラ派の教えを受けて育ったと言う関係に着目し、エッダ教もロプト教も元々は近しい関係だと唱える人々によって構成されている。
 このマイラ派は、元はと言えばエッダ教会から異端を認定された勢力である。大司祭ブラギがロプト教と繋がりがあったのは歴史の真実ではあるが、エッダ教会にとっては出来ることならば伏せておきたい部分である。それがいかに周知の事実であっても、それを公式に認めるか否かは重要な問題であるのだ。
 かつては異端として追放された一派であったが、皇帝のロプト公認の勅令に前後して異端認定を取り消されて復権を果たした。ロプト教と仲良くしようとする思想を異端のまま放置したらどうなるか、皇帝の機嫌を伺うエッダ派が慌てた結果である。
 正統と認められてもすぐにエッダ教会の有力な地位に就けるかと言えばそうではない。だがそのマイラ派の司祭たちの中で、際立って優れた初老の男がいた。神学知識、教会礼法、そして癒し手としても有能だった初老の男は、教会に復帰後、すぐに発言権を得るようになった。マイラ派にも“議席”を与えて格好をつけようとしたエッダ派の保身が手助けした結果である。
 ところが「一人ぐらい別にいいではないか」という甘い見方が後に大きな落とし穴になる。
 彼、その初老の男の名はロダンと言う。

「もし、ブルーム将軍」
 ロダンは教会内で地位を得ると、ふらりと姿を消して各地の有力者と折衝を行い始めた。
 エッダ教の司祭という存在は爵位の高さと別世界なため、バーハラ城の廊下でフリージ公家当主を呼び止めても無視されることはない。
「見ない顔だが、司祭殿か。俺に何の用だ?」
 このときのブルームは、軍事上の案件で皇帝アルヴィスに謁見した帰りであった。トラキア王国が北への侵略を行うと言う情報を入手したグランベルは、これまでの例通りに出兵する方向で固めていた。
 援軍を請うて来るはずの北トラキア四王国はキュアンの暴走のせいで混乱に陥っていて意見にまとまりがない。しかしトラキア王国に肥沃な地を渡せば脅威となると知っているグランベルは、侵略される側の都合に関わらず遠征するつもりであった。
 ブルームは、それの編成について調整するためにバーハラを訪れていたのだ。トラキア竜騎士団に対抗できうるのは、大内戦にて無傷で温存されたフリージ軍のゲルプリッターしかいない。よってブルームは遠征軍の総指揮官としての任を帯び、たびたびバーハラを訪れては皇帝アルヴィスと調整していたわけである。
「愚生、ロダンと申します。此度のトラキア出兵について、将軍にお願い申し上げたき儀がございまする」
「聞く気はないが、聞こう」
 ブルームの珍妙な回答は、軍略について聖職者に口出しされるつもりはなかったが、ロダンと名乗った男の腰の低さについ釣られてしまった結果である。
「御芳志、厚く御礼申し上げます。将軍の暖かき……」
「あぁ、気持ちは分かったから用件を話せ」
 ブルームは聖職者を邪険に扱う方ではなかったが、ロダンの腰の低い口調に合わせられるほど気が長くもなかった。心の内に悪魔を飼っているフリージ家は精神力には優れていたものの、こういうものに耐えるのは別の能力が必要とされるのであろう。
「それでは……」
 深々と一礼した後、ロダンは物腰と正反対に苛烈な内容を口にした。
「トラキア遠征軍、その列に、かのロプトの民も加えていただきとうございまする」
「な……」
 皇帝のロプト公認を受けて、エッダ教会もロプト教を認める声明を出したことは、ブルームも聞き及んでいる。
 とはいえ、そこから軍列にロプト教徒を加えろと持ちかけて来るのは飛躍しすぎている。あまりの突飛な要求に、ブルームが絶句したのも無理はない話であった。
「ロプトの民も、皇帝陛下の勅令によって我らと同じ太陽の恩恵を得ることとなりました。我らエッダ教会の総意は、かの人々に同じグランベルの民として共に戦う機会を与えるべきだ、と……」
「……」
 筋は通っている。
 皇帝のロプト公認について、ブルームは心から納得していたわけではない。おそらくグランベル国民全員が同じ感情を抱いているであろうが、皇帝の勅令とあっては不満を漏らすことはなかった。つまるところ納得せざるを得なかったわけであるが、心の底から受け入れたわけではない。
 皇帝の勅令とあれば致し方ない。そして公認する方向で納得するのならば、ロプト教徒との距離を縮める努力をする必要はある。このままであればトラブルが多発するのは目に見えているからだ。
 ユグドラル大陸はもともと多神教で、たとえ暗黒神であってもロプトウスの公認は数がひとつ増えただけである。ロプト帝国の所業と切り離して考えるのが至難なだけなのだ。ロプト帝国が打倒されて百余年。ロプト教の名残りがもう毒気を放出しきって無害になっているのならば、受け入れることに異存はない。皇帝の公認もそう言った判断なのであろう。
 だとするならば、残った問題は彼らとの距離をどうやって埋めるかである。習慣や価値観がどれぐらいずれているのか分からないが、分かり合おうとする努力がなければ永久に平行線のままであろう。
 ブルーム個人であれば努力のひとつもすればいい。だがそれを民間レベルに持ち込めるかとなると並大抵では済まない。
 それを解消するのに、戦線への参加は確かに特効薬になる。軍事レベルでどれほど役に立つのか知らないが、グランベルの民として皇帝のために戦うと言うものは、いいアピールになる。
 とはいえ、ブルームはそれらについて真剣に考えたわけではない。フリージ家としては珍しく武人である彼にとって、ロプト教徒が戦力になるかどうかという点の方が重要である。遠征軍に参加させればトラブル発生は避けられないであろうし、そのマイナス面に目をつぶれるだけの活躍が出来るのだろうか――ブルームの判断基準はそれ一点のみである。政治的効果はあくまで補助的な点数に過ぎない。
 アルヴィスやヒルダに話を振ればその辺も含めた意義ある回答が帰ってくるのであろうが、軍事編成についても一任されたブルームがわざわざ皇帝や妻にお伺いを立てては名折れと言えよう。
「……分かった、要求を聞こう。だが騒ぎを起こすようならば斬る」
「御芳情、感謝いたしまする。将軍の厚き……」
 用件が終わったあとでなおこの調子に付き合う気はなかったので、ブルームは「もういい」と言いつつ手で払う仕草で会話を終了させた。
 最終的に許可した明確な理由は存在しない。ただ、歴戦の将軍としての勘みたいなものが、どこかでロプト教徒を必要としたのだ。そしてその一方で微かに嫌な予感もしたのだが、深くは考えはしなかった。

 翌日。ヴェルトマー城内、某所――
 調略成功の報が届いたロプト教会は大きな安堵の息を漏らした。
 ミレトス地方を中心に暗躍していても、中央への足掛かりを掴むためにはトラキア遠征への参加は外せないところであった。何においても戦勝が最も手っとり早いアピールであることを知っていたからだ。

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