北トラキア四王国は、アグストリア諸公連合のように主従関係があるわけではない。
 しかし、そうでありなが四王国の外交方針は見事に一致しており、連合としての組織力はアグストリアのそれを上回っていると言っても過言ではない。
 アグストリアの場合、盟主であるアグスティ王国は黒騎士ヘズルが興した国で、それ以外の王国は当時から先住していた地方豪族である。となれば何かにつけ都合不都合と言うものが存在し、主従関係によって統制を保っていたと言えた。
 ところが、北トラキア四王国の場合、建国からして「(南)トラキア王国からの独立」という同一の理由で誕生し、それ以降百年間に渡って仲良く南の脅威に曝されて来た。程度の差こそあれ、日和っていられた国はなく、「対トラキア防衛」という日常的な基本理念は四王国に共通していた。
 よってアグストリアのように共同体でなくとも四王国は強固な連合体であった。便宜上、書類上の同盟関係は結んでいたが、実際には口約束の握手だけでも充分に成り立てた四ヶ国であった。
 ……というのは、759年までの話である。

 グラン暦760年。地槍ゲイボルグを継承する槍騎士ノヴァの家系であり、四王国の盟主的地位にあったレンスター王国がグランベル王国の大内戦に介入したことによって、四王国は言わば「自我」を持ち始めることになった。
 それまでも、キュアン王子のシグルド軍参加は不穏な空気を漂わせてはいたが、ほとんど個人参加ということもあって起爆剤とまでは至っていなかった。
 しかし、シグルド軍がグランベル本国に攻め入った際にキュアン王子がランスナイツの半数を率いて参戦し、その途上でトラキア軍の奇襲に遭い全滅。この事実を目の当たりにすると、四王国はそれぞれ独自の行動に出るようになった。
 四王国が一致団結すれば必ずトラキアの猛攻を防ぎきれるわけではない。グランベル王国からの援軍に頼らねばならないケースはこれまで何度もあった。実際に救われたことがあり、存在そのものがトラキアへの抑止力となってきた。
 ところが、レンスターがグランベルと敵対したことによって、いざという時に援軍を送ってくれない可能性が出てきた。レンスター単独の暴挙であっても、他の3王国はお咎め無しという保証はどこにもないのである。あるいは、レンスターを止めきれなかった罪を問われる可能性もありえる話である。
 レンスターは、アルヴィス政権のグランベルに無視されても構わなかった。
 しかし、他の3王国にとっては友好関係を確認しておかなければならない。対トラキアの際に援軍に来てくれるかが問題なのである。捨て置かれればトラキアが攻めてきて自動的に国家の危機となるからだ。
 これに関して、大打撃を被ったレンスターよりも明日の平穏について神経質になってしまうのは、彼ら小国の性というものであろうか。
 そんな中、マンスター王国は国王が好戦的な性格であることもあって、自力でトラキアを撃退する方針を選んだ。しかし悲観的な残り2国はまったく別の道を選んだ。
 コノート王国は表面上は静かなままで、病弱な国王に行動力が無いせいだというのがもっぱらの噂であった。だが実は百年の禁忌を破ってトラキアへの降伏を心に決めてしまっている……とは表に出ていないが。
 そしてアルスター王国もまた静けさを装っていたが、ここもまた影では活発に動いていた。その最たる使者がグランベルに向かったのは、皇帝戴冠式の40日後であった。

「縁組……?」
 フリージ城――。
 当主ブルームは、いきなり舞い込んできた話に首を捻った。北トラキア地方、アルスター国王エインからフリージ家に縁談が持ち込まれたのである。
 フリージ家に縁談があるのは決して珍しいことではない。グランベル六公爵家の中でも特に多産系であり、政略結婚を狙う子女(の父親)から話を受けるのはむしろ頻繁といってもいい。
 しかし一国の王から后に迎えたいと言う話となると話は別である。
 国王が独身と言うケースは極めて稀であり、普通は身分が王子のうちに后を迎えるものである。血を絶やしてはならないのが務めである以上、結婚は早い方が良い。
 よくある例外があるとしては、王妃が病死などして空きが出来た場合である。この場合、側室の誰かを繰り上げて立てるケースもあれば、新たに王妃を迎えるケースもある。
 後者であればその話がフリージ家にもたらされたことはある。グランベル以外と言っても王妃を出すのは家の名誉であり、そういう縁談は光栄であった。ただし、先王妃が王子を産んでいたために政治的効果はそれなりに高い程度に収まったのが。
「レーティヴィア様と最後にお会いしたのがおととしの舞踏会でしたが、お元気そうでした。そう言えば、皇帝陛下の戴冠式の時にはいらっしゃらなかった……? けれど、ご病気とかいう話は伺ってないのですが」
 例によって執務室の机を占領しているヒルダが頬に人差し指を当てながら首をかしげた。
 舞踏の腕前となれば当代一のヒルダは社交界において広い人脈を持っており、アルスター王妃とも面識があった。二年間のうちに世を去った可能性はあるが、一国の王妃の死となれば、その報がヒルダの耳に入らないはずがない。
 死別したのではないのであれば、残るは離縁しかない。
「何故だ?」
「仲のいいお二人でしたから」
「うむ……」
 ヒルダは言葉を途中で切った。ブルームもその先に気付いて頷いた。
 普通は、仲睦まじい夫婦が離縁するはずがない。となれば、エイン王がそうせざるを得なかっただけの理由が、王個人かあるいはアルスター王国かに存在することになる。
 アルスター王国の現在の微妙な事情を察すれば、グランベルと婚姻関係を結んで友好状態を強化しておこうという政略的意図が見えてくる。
 一方でフリージ公家にとっても、この婚姻は北トラキアへの絶好の足掛かりになる。よってブルームにとってもまたこの話は悪くないものであった。
 しかし。
「だがティルテュもエスニャも無理、かと言って遠縁の娘では失礼に当たるだろう。残念だが断るしか無さそうだな」
 フリージ家直系の女子で手元にいるのは、ティルテュとエスニャの二人である。しかしこの姉妹は完全に不適格であった。
 ティルテュは叛逆罪に問われて地下で余生を過ごさなければならない。ヒルダの懸命な嘆願工作によって罪一等を減じられて死罪こそは免れたが、アルスター王妃になるなど許される話ではない。ましてや、ティルテュの助命自体がおおっぴらにできないので、アルヴィスへの配慮を考えれば通用しようがなかった。
 そしてブルームの末の妹にあたるエスニャもまた問題外であった。内向的な性格の彼女だったがティルテュとは仲が良く、姉がシグルド軍に参加していると聞くと身を案じて単身シレジアへ旅立ってしまった。普段の彼女のイメージにない行動は家族の心配を誘ったが、シレジア討伐の際にティルテュともども無事に保護され、ブルームは大いに安堵したものである。
 妹思いのブルームはフリージに戻ってきたエスニャをまず医者に見せた。警戒していた伝染病の類に感染してはいなかったが、代わりに発覚した事実はなんと懐妊であり、病気よりも驚かせることになった。
 結婚と懐妊とが手順前後することはよくある話だが、他の男の子を宿したまま王妃となる女性は過去に例がない。グランベル六公爵家にとってアルスター王家など取るに足らない存在とはいえ、さすがにこれでは出しようがない。
 そして、ティルテュもエスニャも無理となると、フリージ家には候補がいない。他の女子は全て既婚であり、かといってあまりに遠縁を探すのは政略結婚の意味から逸脱する。また、ヒルダの家系は帝室ヴェルトマー家にあたるのでこれはフリージ家の管理外になってしまう。
 
 その辺の事情を書いた上でこの縁談を断ったのだが、戻ってきた返事はなんと「エスニャで構わない」という内容のものであった。しかも既に王妃レーティヴィアとは離縁済みと併記されており、ブルームとヒルダとの目を点にさせるには充分であった。
 肝心のエスニャ自身は地下室にいるティルテュと離れ離れになるのを嫌がったが、その姉の勧めもあってこの話を受託した。ブルームは最後まで乗り気ではなかったが、結局は首を縦に振らざるを得なかった。シレジア帰りの私生児持ちとなるとこの先の縁談も心配だったからだ。
 ただ、さすがに身重のままというわけにも行かないため、エスニャの出産を待って、という条件付きでこの縁談は取りまとめられた。

 762年春、エスニャは豪勢な行列を引き連れてアルスター王国の城門をくぐった。
 エイン王との仲はエスニャの性格もあって落ち着いたものであったが、翌々年に王女ミランダを出産するなど妃としての大役は果たした。
 そしてアルスターに「赴任」した政略結婚の手札としてのエスニャは、この後に大きな功績と大罪とを一つずつ生産し、最後までブルームを心配させることになった。

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