バーハラ城、玉座の間――
「承認する。全ては貴公の眼目に委ねる――と伝えよ」
「御意!」
 使いは、ドズル家新当主ダナン公爵から発せられたものであり、その出所はリューベック城であった。
 ドズル家が管理するイザーク地方に駐屯していたダナンの軍は、バーハラの戦いに敗れたシグルド軍がリューベック城を放棄したのを受けて進駐している。シレジア王国の領土であるノイマン半島の出入り口に位置し、対シレジアの重要な拠点である。ダナンの父ランゴバルトはこの城でシグルド軍の急襲を受けて戦死したが、変わらぬ橋頭堡であるのに変わりはない。
 そのリューベック城にいるダナンからの使いは、アルヴィスにとある許可を求めてのものであった。
「好機あらば独断でザクソン城を攻略する」
 戦場から近しい者ほど情報が早いのは当たり前である。いくらアルヴィスがロプト教徒を使っていても、毎日のようにザクソン城と小競り合いをしているダナンに敵うわけがない。シレジアに隙があるかどうかはダナンの方が素早く察知できるだろう。
 ダナンと言う人物は父親であるドズル公ランゴバルトの戦いぶりを受け継いで、戦場においては正面からの攻めを得意としている。力攻めと言えば聞こえは悪いが、小細工を弄して士気を殺いだりせずに兵士の昂ぶりをそのまま敵にぶつけさせる効果は高い。
 また、ダナンは「力攻めで勝つための準備」に力を入れる戦略型の将軍であり、その彼が攻撃の許可を求めてきたのであれば勝算あってのものだろう。

 同、廊下――
「それで、許可を出したのが不満のようだな」
「……」
 公用にてバーハラを訪れていたアイーダは、主にあっさりと本意を看破された。
 密かにレヴィンと共闘しているアイーダにとって、ザクソン城が東西から挟撃されるのは避けたい。そもそもレヴィンに隙が出来る事は、ラーナを操るマンフロイの陥計が成功したことを意味する。ロプト教の台頭を阻止するならば、この対シレジア戦略で功を立てさせるわけにはいかない。
 とは言え、グランベルの臣としてはシレジアの勝利も御免である。英雄として覇権を掌握しているアルヴィスにとって、玉座に上るまでに挫折する事はあってはならない。アルヴィスの戴冠への道は、皇帝即位のムードに水を差されるか否かにかかっている。帝政を敷いたことがないグランベルがあえて帝国を名乗ろうとするのは、大陸統一の偉業と栄華を讃えてのものだ。しかし、ユグドラル大陸はロプト帝国と言う悪しき前例を抱えるため、帝政というシステムに生理的な嫌悪感を覚える者も数多くいるだろう。そういう類の者をどこまで熱狂で騙せておけるか――その手段として外征での大勝利は必要不可欠なのだ。
「ダナン公子に功を挙げさせれば、グランベルが勝利の色合いが薄くなります。ドズル家もグランベルの臣に違いありませんが、本国からの出兵なくしては大陸統一の主旨から外れます」
 臣とは言えイザーク地方の王となるダナンがシレジア征伐を行ってしまえば、グランベルの栄光は完璧には輝かない。逆賊シグルドの同盟者を討つだけであればダナンに全てを任せればいいが、この戦いは大陸統一へ向けて地図を塗り替えるのがテーマであるため、アルヴィスの手で行われなければならない。
 実際に軍を指揮するのはダナンなりブルームなりで良いが、彼らが挙げた功績がアルヴィスに帰属しなければ意味がない。皇帝への道は、常に栄光に満ち溢れていなければならないのだ。そのためには、アルヴィス自身が動かなくともグランベル本国からの遠征が必須となる。出兵と凱旋が揃ってこその勝利なのである。
 と、言っている事に間違いはないのだが、アイーダが返した答えは本心ではない。
 彼女の心配事は、至高の極みまで上り詰めた後の話である。
 アイーダが望むのはあくまで「ロプト無きグランベル帝国」である。大陸統一までのどこかでロプトを切り捨てたいところではあるのだが、信賞必罰に厳格なアルヴィスならば功績を挙げたロプト教徒を邪険にしないだろう。臣下であるアイーダにはそこに口を挟む余地など無い。
 となれば、ロプト教徒が失脚するためには功を立てさせない事が必要になってくる。密かにレヴィンに接近したのはそのためである。アルヴィスの指揮下ではないレヴィンならばマンフロイを討つ事に制限が無く、そこまで至らなくともマンフロイの工作を妨害するだけでも大きい。
 そこをダナンに横槍を入れられてはたまったものではない。挟撃されてレヴィンが敗北すれば元も子もなく、シグルド軍最重鎮の一人であるレヴィンを除かせたマンフロイの功績は大となってしまう。
 レヴィンとの共闘はアルヴィスにさえ内密で行っているため、実情を明かさないように主を誘導しなければならない。ただでさえ比類なき器のアルヴィスを思い通りに動かすのが至難であるのに、その上、主を騙さねばならない苦痛はアイーダに大きな負担となっていた。ましてや、アイーダは常にアルヴィスの側にいるわけでなく、平時ではヴェルトマーに戻っていなければならない。
「どのみち冠雪までにシレジア平定は無理だ。それにダナンもザクソンを陥とすまでしか求めていない。別に城一つくらいならば特に問題も無かろう……それで良いな?」
「はい……」

 アイーダは引き下がってアルヴィスを見送ったが、納得したわけではない。
 アルヴィスにとってはラーナ派もレヴィン派も無く、ただシレジア王国があるだけなのだろう。分裂工作を行うにしても、シレジア全体が弱体化してくれさえすれば良く、どちらに残って欲しいなど考えもしなかったに違いない。レヴィンが勝ち残った方が手強いのは確かだが、そのレヴィン派が拠るザクソン城をダナンが叩くのであれば反対する理由はどこにも存在しない。
 しかし主君はそうであっても、その主を案じるアイーダは同意できない。マンフロイの野望を頓挫させるためにも、レヴィンの死だけは避けねばならない。
「誰かいないか……」
 協力者が欲しい――
 今後マンフロイと対決するためには、レヴィンのような部外の者も必要だが、グランベル内部の者も不可欠だ。政略に明るく、バーハラ中枢に食い込めて、なおかつマンフロイから警戒されない人物が望ましい。
 だが人材難のこの御時世に、そんな都合が良い者などどこにいるのだろうか。もしもいたとしても、その条件を満たすほどの有能な者なら逆に危険な存在となるやも知れない。ロプト教徒の密かな台頭を、その存在自体と共に打ち明けて相談するのは一種の賭けである。こちらに協力する可能性があるのならば、ロプト教徒と手を結ぶそれもまた然りなのだから。
 そう考えれば、レヴィンに対し自然に持ちかけた事が、アイーダにとって小さな衝撃だった。
 ほとんど面識のないレヴィンの、どこを信用したのだろうか?
 風使いセティ直系の聖戦士の血。シレジア王太子。吟遊詩人としての見識……どれも違う。
 答えは、レヴィンがシグルドに関連していたからに他ならない。シグルド軍の強大さを知るからこそ通じるものがあったのだろう。レヴィン個人については不明でも、あのシグルド軍の中枢を担っていたのであれば――そんな、敵同士にしか分からない尊敬の念がアイーダの足を運ばせたに違いない。
 それならば、アイーダが求めるべき協力者は、狂公子シグルドを最も高く評価している者になる。
「そう言えば……」
 バーハラ決戦の直前、シグルド軍の強さの最大限に評価し、その秘訣を纏めた文章が上がって来ていた。シグルドの手法をロプト帝国の理想と位置付け、アルヴィスと並ぶ「ロプトの二人の父」とまで書き記した、シグルドに魅せられた者の言葉。その著者は、ロプト教徒らしい。

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