「降伏……?」
 母親と会う時はいつも機嫌が良くないレヴィンだが、この瞬間において眉間に寄った皺の数は過去の追従を許さなかった。
「王子であるそなたが促せば、兵士達も矛を収めましょう。いたずらに血を流すべきではありませぬ」
 シグルドは斃れたものの、シレジアとグランベルとの戦争状態は依然として継続中である。グランベルに対し、シレジア王国として宣戦を布告したわけではないが、シグルドにあそこまで肩入れしておいて無実を主張するのは虫が良すぎる話だ。
 シグルドが退場した現在、シレジアは戦争の継続か降伏かの岐路に立たされている。
 どちらを選ぶにしても、目標は「シレジアの安堵」である。戦って独立を守り抜くか、早々に降伏して許しを乞うか――どちらがシレジアの明るい未来に繋がっているのか、それは誰にも分からない。どちらでも辿り着けそうな気もする。その一方でどう足掻いてももう滅びの道しか残されていないかもしれない――そんな事は考えたくもないが。
「みんなで頭を下げても赦してくれるとは思えませんがね」
 ラーナはレヴィンに和を乞う事を説いたが、レヴィンは難色を示した。
 シレジア王国は、表面上は永世中立を謳っている国家である。アグストリア戦役の際にフュリー隊を送り込んで干渉した事はあったが、この実績は相手がシグルドだったために闇に葬られた。だが今度はグランベルでは逆賊のシグルドに全面協力して軍を出したのである。グランベルにとって見れば永世中立を破棄しての宣戦布告と受け取れる事実だ。これを水に流してもらおうとすると並大抵の詫び方では済まない。シグルドの時でさえ、フュリーの帰属と言う既成事実を作らされてシレジア駐屯の足がかりとされてしまったのだ。利害の一致から交換条件で済んだシグルドよりも、より重い要求が突きつけられるのは目に見えている。
「ですから妾とそなたとでグランベルに仇なす者達を捕らえて差し出すのです」
「俺は気が進みませんがね……」
 グランベルに敵対していない証として、シグルド軍の生き残りを差し出す――
 反グランベルの旗を掲げる者、つまりシグルド一党の生き残りを自らの手で処分することが、グランベルとの友好を明示する唯一の手段である。リューベック城においてレヴィンはオイフェ達と袂を分かったが、それでもシレジア国内にはシグルド軍の生き残りが多く流れ込んでいる。シレジアで1年以上を過ごしたシグルド軍兵士達、その間に家庭を作り根付いた者が多い。そして、末端の兵士だけでなく幹部クラスの者もシレジアに今も滞在している。彼らがグランベルに反旗を翻す意志が残っていなくとも、グランベル側から見ればシレジアに逃げ込んで時を伺っているようにしか見えない。
「出来るのならば、妾もかの者達をそっとしておいてやりたいものですが、これはシレジアのためです。女子供であっても容赦はなりません」
「……」
 レヴィンには反対して論破できるだけの材料がなかった。
 降伏の道を選ぶならば、シレジアが生き残るためには、シグルドとは完全に手を切らなければならない。中途半端な取り繕いで凌げるほど、グランベルとの外交は甘いものではないからだ。
 もしも大粛清を行うのであれば、徹底的に行わなければならない。シグルドに関わった者は、誰一人として例外なく捕らえてグランベルに差し出さねばならない。バーハラの戦いまでの戦略からアルヴィスの完璧主義な性格を推測すれば、一人残らず処刑されるのは目に見えている。
 そうと分かっていても、かつての戦友であっても容赦してはならない。たとえ女・子供であっても――
「ティルテュの首もすっ飛ばすのですか……」
「致し方ありません。レヴィンや、シレジアを守るために私情を挟んではなりません」
 シグルド軍には女性の指揮官もいて、バーハラの戦いの後、ティルテュはシレジアに戻っている。他は(フュリーを除いて)散り散りになってしまい、どこでどうしているのか不明。レヴィンにとって特にシルヴィアとはぐれたのは残念であったが、これから迎えるであろう悲劇に巻き込まれずに済むのならばむしろ幸運だったのかもしれない。
 アルヴィスが女性に甘いとは思えない。尊重はしていても、大逆罪よりもフェミニズムが優先するとは考えられない。ティルテュはフリージ家の公女であるが、そんな理由でアルヴィスが手を緩めるはずもない。つまり、女性であってもティルテュは極刑を免れえず、シレジアはその手引きをすることになるのだ。
「…………少し考えさせてくれませんか。どうするにしても、責任取るのは俺ですからね」
「無理もないことです。よっく考えるのですよ」
 政治面の実権はラーナの手にあるとは言え、風魔法フォルセティを継承した以上は対外的にはレヴィンに王権があると考えるのが妥当である。シレジアに戻ってきて冷淡な性格に変化しつつあるレヴィンだが、即決でティルテュを死なせるほどまでは“シグルド化”が進んでいない。
 それに、まだ抗戦論が破棄されたわけでもない。戦って勝てるのならば戦えば良い。だが、もしも敗れればシレジア滅亡に繋がってしまう。降伏論ならば、全て安堵は虫が良くとも、抗戦論ほど極端な結果は待っていない。大博打を打つか、堅実な損失を計上するか――果たして、どちらが正しいのか。
 
 レヴィンが去った後――
「子を騙す気分は如何かな……?」
 一人残ったラーナの右後方で、例の声が響いた。
「これもシレジアのためじゃ。それよりも、これで良いのじゃな?」
「万事……」
 それだけ残して、声は去った。
 グランベルに仇名す者――その定義とそれを誰から吹き込まれたか……それについてラーナはレヴィンに告げなかった。これがもしも息子に漏れれば、レヴィンを陥れることは不可能になるからだ。それを隠したままで、ティルテュの話に注意を向けさせてレヴィンを降伏論に傾かせたのはラーナの非凡さの表れであろうか。
 レヴィンの推測通り、アルヴィスは完璧主義者で妥協を好まない。グランベルの敵と認識した相手はたとえ女子供であっても全て断罪する――これはその通りである。
 だが実はアルヴィスの解釈はもう少し広いものであった。シグルド軍に所属して軍を動かした指揮官は出自を問わず皆同罪に処す。たとえ、それがシレジアの王子であったとしても――

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