グラン暦761年春、ノイマン半島――
 雪融けと同時にシレジア侵攻を開始したグランベル軍は、少々の小競り合いを経てシレジア城を包囲した。
 アルヴィスが率いるグランベル本国の軍は湾を渡って南岸に上陸する進路を取ったが、シレジア軍はこれを防ぐことはしなかった。上陸作戦の可否が対シレジア戦略の要であったにも関わらず、何の妨害も無かったのである。
 東にあるザクソン城に駐留するダナンの軍勢が、水際防御するならば横撃を入れんと牽制し続けていた好フォローがあったのが表面的な理由であるが、その実は、シレジア軍兵士の士気低下が深刻化していたからに他ならない。

『本年中に逆賊シグルドの遺児セリスを引き渡せば、軍を撤退させ、無期限に不可侵とする恒久の盟友となることを確約する』

 シレジア王国に対し昨年中に発せられた、アルヴィスよりの親書である。
 大仰に封をされた紙切れ一枚で、内戦を終結させて一枚岩になれたシレジア王国は大混乱に陥ったのだ。
 そもそもラーナとレヴィンとが対立していたのは手段の食い違いによるものであって、「シレジアの安堵を守る」という目的そのものは同じであった。別にグランベル本国に逆進攻して世界の覇権を握ろうなどと言う野心を持つシレジア人などいやしない。要は、シレジアが平和であれば良いのである。百年もの永世中立を貫いてきたシレジアに生まれてきた者ならば「平穏無事」こそが理想とするのは当然であろう。
 そんなシレジア人にとって、アルヴィスが突き付けて来た条件は、是非とも飛び付きたいところであった。
 しかし、レヴィンはこれを受け入れることができなかった。何故だと詰め寄る周囲の者に対しても、口が達者なレヴィンであっても説明のしようがなかった。
 この親書が策略であることをレヴィンは看破していた。グランベル王国史上、周辺諸国との外交でここまで譲歩したことは一度も無い。セリスを差し出せば無罪などと言う条件を本気で提示してくるなど信じられるはずもなかった。
 アルヴィス公からの公式の提示ですから、罠であってもグランベルは信用を失いますし、何よりセリス王子を引き渡してもシレジアの国益は損ねますまい――という市井の識者もいた。確かにそうなのであるが、「本当に差し出してみる」という手段が採れない事情があった。
 何しろ、シレジア王国領内には、セリスはいないのである。あの状況であれば誰でもシレジアが匿っていると考えるであろうが、セリスの保護者であるオイフェは虚を衝いてイザーク地方への逃亡を選択していた。シレジアが保身のためにセリスを差し出しかねないと言う心配もあっての選択であったが、オイフェの判断は正しかったのだ。
 一方で、レヴィンとしてもセリスの無事を願ってイザークへ送り出したのだが、こういうカードの使われ方をされると手元にいないことに軽い後悔の念を覚えた。
「セリスはここにはいません、イザーク地方へ逃げ込みました。だからシレジアは無関係です」
 そんな言い訳がグランベル相手に通用するはずが無い。
 アルヴィスは本心からセリスの首が欲しくて譲歩してきたわけではない。「セリスを差し出せば無罪」というのは「セリスを差し出さなければ同罪」の裏返しである。アルヴィスは、グランベルがシレジアを征服する大義名分を作るために譲歩に見える提示をしてきたのだ。
 無論、本当に差し出されて困るのはグランベルの方である。改めて難癖をつけて攻めるのもグランベルらしさではあるが、そこまで泥臭いことをするほど余裕が無いグランベルでもない。つまり、そうなることは無いと踏んでの提示なのだ。
 そう、シレジアがセリスを差し出せない、つまりシレジアにはセリスが不在であることを知っていながらこんな大芝居を打ったのである。いない人間を差し出せと言うのはこの上ない無理難題である。しかし正直に不在と答えても「嘘をつくな」で封じ込める力があるのがグランベルとシレジアとの戦力比の現れである。
 レヴィンとしても(ティルテュの首をすっ飛ばすのはともかく)シレジア国内で匿っているシグルド軍残党を引き渡しての講和であれば考慮もしたが、物理的に不可能な条件を提示されてはどうしようもなかった。しかも無理なものを無理と言えないところが急所であった。
 バーハラ戦以後、セリスの居場所についてシレジア王国は公式の発表はしなかった。陰ながらセリスの無事を祈るレヴィンとしては、すぐにイザーク全体に網が張られないように「シレジアには不在」の真実をすぐに打ち明けたくなかったからだ。しかし盟友との友誼がこんな形で悪用されてシレジアが危機に追い込まれるとは思いも寄らなかった。
「……」
 思い返せば、レヴィンほど波乱の人生を送っている国王もいないだろう。
 父を亡くし、その後釜を狙って暗躍する親類縁者たちに囲まれ、半ば放逐される形で祖国を飛び出した。流浪の果てには禁断の軍勢に巻き込まれ、ようやく解放されたかと思えばその後始末を巡って母親と対立してする気もない内戦をけしかけ、幽閉してしまっている。
 シレジア王国のために自分の運命を振り回されそして行き着いた先は、一枚の紙切れによって打たれた必死の一手であった。
「……」
 そのあまりな無常さを知ったレヴィンは、ある朝、唐突に無気力になっていた。

 シレジア王国は、アルヴィスの親書を無視する格好になった。正直に答えても無駄であることは分かっている以上、開き直って戦うしか方法はなかった。しかしセリスさえ差し出せば、と思う平和を願うシレジア将兵の士気は落ち込む一方で、戦争どころではなかった。
 雪が融け、なし崩しにグランベルと開戦したシレジア王国はその進攻を食い止められず、あっさりとシレジア城を包囲された。初めから万策尽きていたレヴィンは、グランベル軍の篝火を望みながら略式の戴冠式を挙げて王位を継ぎ、名実ともの最高権力者として世論をまとめた上でその日のうちに降伏を申し出た。
「もう勝手にしてくれ」
 いかにも投げやりなレヴィンに対し、アルヴィスは淡々と事務的に交渉を進めた。
 結果、ノイマン半島南部の割譲を骨子とした和平案を丸飲みしたレヴィンは、ぼんやりとした視線でラーナの処刑を見届けてから僅かな手勢を引き連れてトーヴェ城へと移って行った。
 大内戦の傷が癒えないグランベルにとって、シレジア王国の全征服は非現実的な話であった。機動戦力が足りないグランベル軍にとって、シレジアに大軍を駐留させておくことは出来ない。シレジア城やザクソン城と言った都市部に人口が集中する南部だけであればまだしも、小さな村が数多く点在する北部の治安維持となると消費する労力に無駄が出過ぎてしまう。冬場がさらに厳しい北部は、グランベルにとっては未開の地もいいところであり、アルヴィスも「版図に加える価値無し」と判断したのであった。
 それならば北部はシレジア王国の枠組みを残したままで預けて懐柔していた方が利点は多かろうと言うのがグランベルの判断であった。吟遊詩人との二足のわらじで大論戦を仕掛けてくると思われていたレヴィンが予想外に従順であったのも、グランベルに好印象を与えていたからだ。
 結局、アルヴィスはシレジア城に4日間滞在してバーハラへと戻った。昨年暮れに生まれたユリウス王子とユリア王女を放っておくわけにもいかず、そして本国に戻ればいよいよ初代皇帝として戴冠式を挙げることになっているからだ。なお、途中でヴェルトマーに立ち寄って近衛軍を再編成し、華美な軍装でバーハラへと行進して凱旋式の主役になる予定になっている。

 一方で残されたレヴィンは、無気力のまま政務には全く手を付けず、ぼんやりとしたまま日々を過ごして行った。そして数年後、国王への心配が非難に変わり、それが爆発しそうになりかけた頃、レヴィンは昔と同じように忽然と姿を消した。排斥によって追放されたのかそれとも自主的に放浪の旅に出たのか、どの証言も説得力に欠けるものであり、王妃フュリーは最後まで沈黙を通して没したために真相は闇の中のままとなった。
 後に、大陸中で反帝国運動が盛んになると、陰ながら参加しているレヴィン王の目撃情報が寄せられるようになるが、シレジア王国正史にはその事についての記述はされていない。事実、レヴィンはついにシレジアに戻ることはなく、十年以上の空白の後に崩御していたと扱われ、空位となっていたシレジア王位は王太子セティが継ぐことになる。グラン暦777年のことであった。

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