ノイマン半島グランベル・シレジア国境線上、ダナン幕舎――
「断る」
「し、しかし」
 この地に布陣し、毎日のようにレヴィン軍と小競り合いを繰り返していたのは何だったのか。本国に使者を送って独断でのザクソン城攻略の許可を取り付けたのは、この時のためではなかったのか――なのに今までの戦略を根底から覆すようなダナンの返答に、ラーナからの密使はおろか同席していたダナンの側近まで慌てた。
 西から攻めるラーナ軍と歩調を合わせて挟撃すれば、レヴィン撃破・ザクソン城攻略は容易になる。
 ラーナからの密使の言を聞かずとも、それぐらいは誰にでも分かる。しかし、ダナンは首を縦に振らないのだ。
「強大な敵を討ってこそ武人の誉、そして背後を見せた敵を討つのは騎士にあらず。ラーナ殿には悪いが、我が軍はあくまで正面からの完勝にこだわらせてもらう」
 グランベル本国がシレジアの分裂工作を行っているのはダナンの知るところである。
 これは来春の遠征に合わせたものだから、今のダナンに工作に同調しろと言う命令は来ていない。よってダナンにはラーナの要請を断る自由があるのは確かではある。
 とは言え、これに乗らぬ手はどこにもない。
 ラーナ軍と呼吸を合わせて西進すればザクソン城に拠るレヴィン軍を挟撃できる。ザクソン城をどちらが陥落せしめるかはともかくとしても、少なくともシレジア討伐の足がかりになるのは間違いない。ダナン軍がザクソン城に進駐できればシレジア領内に進入したと同義であり、仮にラーナ軍に先を越されたとしても対峙する相手がレヴィン軍よりも与し易くなる。
 だから、ラーナからのこの要請を蹴らなければならない理由は何一つ無い。
 しかも、ダナンは拒否の理由に挙げたような人柄でもない。武人であり騎士であれども、真正面からの決戦を挑んで勝利を望むような頑迷なタイプのそれではない。軍略に頼らず力押しで臨む指揮ぶりは父譲りだが、それと旧時代の騎士道とは何の関連も無い。勝つための最善の手段が力押しだと信じているだけで、正々堂々と戦う精神とは無縁である。
 むしろどちらかと言うと、フリージ家のブルーム公子の精神がそれに近い。戦場において精神を昇華させる事によって内なる闇を浄化する――などと言うおよそ他人には不可思議な精神論の持ち主で、代々政治屋の家系でありながら戦場に出ることを好む。
 よって、件の台詞がブルームのものであればまだ理解もできるが、これがダナンの発言だったために側近たちはどうしても腑に落ちなかった。
 結局、周囲からの説得にもダナンは耳を貸さず、その真意も明かさぬままにラーナの要請は正式に拒否する格好になった。

「閣下!何故でございますか!」
 拒否で決定してしまい密使が帰ってからでも、配下の者たちはまだ納得していなかった。
 ラーナを討つのならばともかく、逆賊シグルドの右腕だったレヴィンが相手ならば大義名分も充分ある。シレジアの地に踏み込むにこれ以上の条件は無いはずである。
「武人など騎士などはただの方便だ。我が軍は別にラーナと同盟しているわけでもないんだ、向こうの要請に乗ってやる義理などないだろう」
 確かに、ラーナとダナンは同盟関係にはない。ラーナとグランベル王国との接点はマンフロイ個人を通してのものであり、いくらその先がアルヴィスに直通していると言っても、マンフロイ自体が非公式の存在では無関係と言い放っても不都合はない。ロプト教徒の暗躍を知らないダナンにとってのラーナは、シレジア内の一勢力以上に扱われる事はない。だから同盟者でもない相手の話を蹴るのは自由ではある。
「しかし、これに乗らぬ手はありません。お父上の恨みを雪ぎ、お家の勢力を強める絶好の機会ではありませんか!」
 だが彼らの言う事ももっともである。
 ザクソン城に拠るシグルド軍残党はダナンにとって親の仇である。シグルド本人は世を去ったが、その勢力を討たずしてランゴバルトの魂は弔いようがない。
 また、この一戦にはドズル家全体の都合がある。何しろ、丸二年続いた大内戦の中で、ドズル家はこれと言った功を挙げていないのだ。
 バイロン討伐戦においてはシアルフィ軍の奇襲を受け、その後はよく凌いだものの終始圧倒されっ放しで地味な存在に終わってしまった。また、その子シグルドを討つべく遠征したアグストリアでは、倒すべき敵がシレジアへ逃亡してしまったので戦功の挙げようがなかった。
 アルヴィスはそのどちらをも高く評価してドズル家をイザーク王の座を約束したが、それは故ランゴバルトに贈られた勲位である。代替わりしても安堵されはしたが、大内戦中はイザークに駐屯して未参加のダナンでは大きな顔は出来ない。何か大きな功を挙げておかないと今後アルヴィスとの駆け引きで優位に立てないのだ。
 その為にも、ドズル家によるザクソン城攻略は今後の切り札となり得る。残党と言えども、大グランベルを心胆震え上がらせたシグルド軍の生き残りである。それを討ち滅ぼした功績があれば、それを盾にして新イザーク王国の発言権を強めることができる。
 その意味で、この一戦は敗北が許されない。その戦況が有利になるのであればたとえ非同盟者であってもラーナと連携すべきであろう。しかし、当のダナンは差し出された手を蹴り飛ばしたのだ。
「お前達の言いたい事は分かる。だがそんな事でシレジア人なんぞと手を組めるか」
「閣下……」
 ダナンは、色んな意味で純粋なグランベル貴族である。
 その高潔さの裏返しで、グランベル王国の枠外に関して敬意を払うことは滅多にない。
 爵位が公から王になるとは言え、グランベル本国から出てイザーク地方に安住しなければならないなど、本来ならば受け入れはしなかっただろう。もしも3年間の進駐のうちにグランベル式統治の青写真が出来上がっていなければ、ダナンは王位を断ってアルヴィスと対立していたかもしれない。
 そんな彼にとって、先王妃と言えどもシレジア人のラーナに対等扱いされる言われはなかった。もしもラーナがグランベルと正式に同盟関係を結んでいてその上での要請であればさすがに断らなかったであろうが、無関係な格下相手の要請ではどんなに好都合であっても呑む気になれなかった。
「とは言っても、俺のプライドだけでお前達に迷惑をかけるわけにも行かん。使者は追い返したが、ラーナの話には勝手に乗るぞ」
「は……?」
「連携話を蹴って静観しているフリをしていろ、我が軍が動かないと見ればレヴィンは安心して西を向くだろうよ。ラーナを囮にしてザクソン城に肉薄するぞ、勝利の栄光と美酒は俺達グランベル人だけの特権だ」

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