シグルド軍は、何故、敗れたのか――
 ユグドラル史上で最高峰の指揮官であるシグルド公子が、自身が育て上げた最強の軍を率いていながら、バーハラの戦いで敗れた決定的な理由――

 彼にとっての唯一の不幸は、その率いる軍の絶対的な兵士数が不足していたからに他ならない。
 シグルド公子が敷いていた軍の運用方式は、その特殊性が故に大兵力を率いるに適してはいないが、バーハラの戦い時点での兵力がその飽和量に達していたわけでもない。
 兵力が不足した原因。それは、シグルド軍の内訳と、今回の大内戦でシグルド公子に組した勢力とのギャップにある。
 シグルド軍が非常に稀有な、多国籍な軍であることは以前に述べた通りである。そしてシグルド公子に手を貸した勢力は、レンスター王国とシレジア王国とノディオン王国、既に形の無い旧イザーク王国と旧ヴェルダン王国、そしてエッダ公家と多彩ではある。
 だが、明確な形でシグルド軍に兵を供出できたのはレンスターのみでしかなかった。その一方で、シグルド軍の中枢に食い込んでいたはずのシレジアとノディオンは怠惰もいいところだった。
 その理由は、両者に共通する事項、王家内での騒動にある。

 シレジア王国。
 この国は先王の崩御の後、若過ぎる王太子レヴィンの即位の是非を巡って後見争いが勃発。先王妃ラーナと、先王弟であるダッカーとマイオスの両名、計三者による対立関係が生まれた。その中で当のレヴィン王子の出奔により、権力争いは白熱化し、内戦突入寸前にまで深刻化した。
 この三者の勢力図、マイオス公は大きな軍事力を有し、ダッカー王はグランベルの後ろ盾を得て力を伸ばした。そして残りのラーナ先王妃は打開策に窮していた。
 シグルド公子はここに目をつけ、自らの軍事力を売り込んで根拠地を得た。
 内戦の結果は、シグルド公子の天才的な軍事的センスがラーナに勝利をもたらし、シグルド軍は新たな根拠地を得たのだが、その後に一つだけ禍根が残った……当のラーナ本人である。
 世界の頂点であるグランベルの玉座を狙うシグルド公子と、野心がシレジアの枠から出ないラーナ。その違いが最後に出た。
 目的の達成のためならばシレジアの命運を放棄する気概の有無が、シグルド公子にはあってラーナにはなかった。グランベル本国侵攻において、シレジアは多くの兵を本国守備に回した。内戦で軍事力の大半を失っていたとは言え、シグルド公子に命運を託した身にしてはいささか身勝手ではないだろうか。
 推測するに、ラーナは最後の最後で保身が優先したのではないだろうか。内海を渡っての上陸を狙われていれば守備に兵を割かねばならないのはやむを得ない。しかしシグルド公子は、シレジア王国そのものを囮にした逆侵攻を敢行して作戦を中止に追い込んだ。彼の冷徹な戦略眼がシレジアを無傷に留めた。
 これは、本当にやむを得なかった話なのだろうか。
 世界を流転しているうちに、祖国グランベルの玉座がユグドラル大陸の覇者としての椅子に映るようになったシグルド公子だからこそ、一国の運命を容易に捨てる賭けに出られたのは確かだ。
 そんな経験などあるはずも無いラーナに、シレジアを捨てさせる気概が無いのは致し方ないのも確かだ。
 問題は、そのやむを得ない話が、どうしてそのまま放置されていたのか、と言う点だ。
 シレジア王国は、現在のところ空位である。先王崩御の後そのままの状態なのだ。王太子レヴィンが帰還し、内戦を終わらせたにも関わらず、彼は即位しなかった。
 内戦終結後、彼はそのままシグルド軍の部隊指揮官に戻り、シレジアの国政に関与しなかった。もしも彼が実権を握っていたのならば、より多くの兵をシグルド公子に託していたのではないだろうか。シグルド公子の軍事的勝利がどれほど意味があるのか、母親よりも理解が深いのは間違いないのだから。
 先王崩御の直後、何故にレヴィン王子が出奔したのか。それは現状では窺い知れない。後見争いに嫌気が差して飛び出した説が有力だが、母親と不仲だったのではないだろうか。推測の域を出ないが、レヴィン王子が帰還した事をラーナは喜んでいなかったのではないだろうか。グランベルと親密であったダッカー公の主張を是とするのならば、ラーナは権力欲に溺れてレヴィン王子を放逐し国政を壟断していたことになる。その帰還を面白くないと思ったのは当然であろう。だから、即位させなかったのではないだろうか。
 結論。シレジアが兵を出さなかったのは、シレジアでの栄華の保持を優先したラーナが実権を握り続けていたため。レヴィン王子の国王としての支援よりも、風魔法フォルセティの使い手としての吟遊詩人レヴィンを欲して、シレジア王室内まで介入しなかったシグルド公子の判断の誤りが、あのような結果を生むことになった。
 追記。シグルド公子を失ったシレジア王国は、生き残りを賭けて必死の奔走を始めるだろう。戦いに敗れたレヴィン王子が舞い戻れば戦争責任を巡って大きな政変が起こるのではないだろうか。シグルド軍の根拠地であり討伐が急がれるシレジアだが、放っておいても自滅の道を歩むと思われる――

 グランベル王都バーハラ城、アルヴィスの執務室――
「……」
 無言で読みふけっていたアルヴィスだったが、ここまで読み終わったところで切り上げた。
「マンフロイ、いるか?」
「ここに……」
 アルヴィス以外に誰もいないはずの執務室。その机の前に座るアルヴィスが誰宛でもなく中空に呼びかけると、薄い人影がそこに立ち現れた。
「影だけか。本体はどうした?」
「所用にてヴェルダンへ飛んでいる故……ときに我らが覡よ、何用で我を……」
 影の頭の部分が僅かに前に揺れた。会釈をしたようにも見えるが真意はまるでわからない。アルヴィスは特に気にすることも無く、話を続ける。
「この考察を書いたのは誰だ。文章は纏まっていないが、分析が実に面白い」
 そう言って、アルヴィスが手にしていた紙束を机の上に投げ出した。マンフロイの影が滑るように前進し、その紙束の様子を眺める。影が物を知覚できるのかは謎だが、アルヴィスの質問に対しての答は知っていた。
「名をレィム、我が娘婿なり……」
「ほぅ」
 シグルドと違った意味で何事にも無関心なアルヴィスだが、珍しく興味深げな視線を送った。
「呼びつけるが良きか……?」
「いや、いい」
 アルヴィスは手を振って制した。考察の内容と、マンフロイの娘婿と言う点は興味深いものがあったが、それだけで謁見を許すようなアルヴィスではない。
「今回はこれに従ってシレジアを揺さぶってみよう。工作は頼むぞ」
「承知……」
 マンフロイの影が立ち消え、部屋には再びアルヴィスだけになった。

「自滅の道を歩む、か」
 考察の最後の部分を繰り返した一人ごち。
 今、グランベル王国にはまともな軍事力がほとんど存在しない。
 シグルド軍を破ったバーハラ近衛兵はあくまで近衛兵であり、機動戦力ではない。シレジアまで遠征に行ける戦力となると、旧イザークに駐留するドズル公家の軍と、フリージ公家がグランベル南部に鎮圧に向けている部隊の両者のみだ。
 しかもどちらも当主を失い、実力充分とは言え家督を引き継いだばかりの若い公子達が率いるとなれば、全幅の信頼は寄せられない。
 しかしシグルド軍残党の討伐は急務である。特に、アルヴィスの正統性を維持するためには、シグルドの嫡子セリスは早急に抹殺しなければならない。何故ならば、アルヴィスの妻ディアドラが、そのセリスの母親である。つまりセリスは父親の系譜では逆賊シアルフィ家の生き残りでしかないが、母親の系譜で言えばバーハラ王家の現存唯一の男子になる。当然、王位継承権第一位であり、アルヴィスがディアドラとの間に子をもうけても無条件では王になれない。
 もしもセリスが公の場に姿を現してしまえば、継承争いが勃発してしまう。父親の咎があるにしても、ディアドラの子でもあるので処断はできない。そもそも、セリスが公の場に出ると言うことは、セリスを担ぎ出してアルヴィスを蹴落とそうと企む者がいるのと同義である。ユグドラル全土の覇権を確約されたアルヴィスにとって、敵対勢力に口実を与えるのは絶対に避けたいところである。
 だから、シグルド軍の残党を徹底的に狩ってセリスを探し出さねばならない。そのためにはシレジアとレンスターへの遠征は出来るだけ早期に行いたい。しかし、その軍事力が完全に不足しているのだ。
 今度の相手はシグルドが指揮する一個軍団ではなく、国家が相手である。ただでさえ国一つ征服するのは非常に困難な計画である。しかも、実行する軍事力が僅かしかないのであっては実現は絶望的となる。
 現状を鑑みれば、シレジア遠征はどれだけ急いでも来年になる。国家としての回復力はグランベルの方が遥かに上だが、それだけ時間があればシレジアも防備を固めるだろう。
 よってシレジアへの早期報復はほぼ不可能――と結論付けるべきである。
 しかし、マンフロイの娘婿であるレィムというロプト教徒の分析に依れば、先王妃ラーナと王太子レヴィンの間に確執があり、そこを衝けば二分させられる。
 自分に強い力が無いのならば、相手の力を弱めてやれば良いのだ。
 シレジア王国が一つの国家として固まっていれば遠征は困難だが、内乱状態であれば討つのはいともたやすい。

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