バーハラ城――
「申し訳ありません、みすみすティルフィングを届けただけになってしまいました」
バイロンをシグルドの元へ送り込む事によって、シグルド軍の指揮系統、特に最古参で直属であるグリューンリッターのそれを混乱に陥れようとした計略は、アイーダの報告の通りに失敗に終わった。
シグルドは実の父であるバイロンを斬り、ティルフィングを受け継がせて力尽きた、と言う形式を作り上げたのである。
十二聖戦士の末裔が治めるグランベル王国の者であれば、神器の継承は実に重いものと受け取っている。裏を返せば、そうさせなければ戦力的に大幅に減退するもの、と解釈している。
アイーダは、バイロンを救出した際に行動に疑念を抱かせないためにティルフィングを返したのだが、シグルドまでは騙せなかった。
一方のアルヴィスは、意外にも穏やかな顔で聞き入っていた。報告が終わると、未決裁の書類の最後の山を手にとりながら労をねぎらった。
「シグルド相手に一挙両得は期待できんよ、片方が叶っただけでも及第としよう。ご苦労だった」
「では作戦通り、フリージ公に進撃するように伝達します」
アルヴィスは書類にペン先を走らせながら頷き、アイーダは踵を返して退出した。
グランベルの対シグルド討伐の青写真は、フリージ軍がザクソン城に駐留するシグルド軍の後方、つまりシレジア王国中央部に海路にて上陸して、東の陸路沿いのドズル軍と連携して挟撃する、と言うものであった。
だがアルヴィスは、シグルド軍の対応の早さを考えれば不完全であると計算し、上陸作戦が確実に成功するようにと一計を案じた。それがバイロンなのである。
シグルドがバイロンを救出しようと東に討って出た分だけ、西の上陸部隊に対する距離は遠くなる。余裕を持って上陸した後は当初の予定通りに挟撃しても良いし、逆に西進してシレジア城を奪取するのも面白い。“西”を指揮するのは宰相レプトールなので彼ならば先王妃ラーナを屈服させ、ザクソン城の民衆を蜂起させる手も可能だろう。

……となる目論見は、翌々朝になって再びアイーダと接見した時にあっさりと崩れ去った。
「そう来たか、してやられたな」
新たな報告を受け取ったアルヴィスは、特に驚きも悔しさも見せずにこう述べた。
シグルド軍が西に戻れば予定通りだったのだが、さらに東に進むのはアルヴィスにとって計算外であった。シレジアは完全にがら空きとなるが、逆に上陸は困難なものとなってしまったのだ。
確かに今ならば間違いなくシレジアは奪取できる。だがそれを行ってしまうと、今度は逆にグランベル本国が手薄になってしまうのである。
もしもシグルドがリューベック城を陥落せしめてしまえば、そこから留守を窺われる事になる。
……アルヴィスはシレジア上陸作戦を無期限に停止せざるを得なかった。
互いに相手の本国を奪い合うと言うノーガードの殴り合いは、その価値の面においてグランベルとシレジアでは天地の開きがある。ましてやグランベル軍にとっては失うのは祖国であるが、シグルドにとってのシレジアは同盟者に過ぎない。シグルド軍内部にシレジア人がどれだけいるにしても、シグルドならば正念場であればシレジアの運命を切り捨てるのを躊躇ったりしないだろう。
だからグランベル本国を空ける事は絶対に出来なかった。
シグルドが相討ち狙いとも言える進軍を採ると読めなかったのは、アルヴィスの責任ではない。各地で転戦してきたシグルドとは違い、生粋のグランベル人であるアルヴィスには、根拠地を放棄する考え方そのものが無かったからである。
「楽をしてシグルドに勝つのはさすがに無理か、やはり当初の方針で事に臨むとしよう。ランゴバルトには悪いが」
アルヴィスの余裕は、手段の数に拠る。
選択肢が多いと言うのは、優位に立つ者の特権である。
極めて強力ではあるが、全ての敵を打ち破ると言う切り札を初めから見せなければならないシグルドとは違い、アルヴィスは切り札を見せるタイミングを自由に選べる。バイロンと挟撃の作戦が破られたとは言え、所詮はそれは見せ札のカードに過ぎず、手数を消費しただけで大勢に影響が出るほどではないのだ。
「レンスターの様子はどうだ?」
そしてアルヴィスが切った札の効果は、シグルドには通じなかったが、影響はここに出ている。
レンスター王太子キュアンはシグルドの実妹エスリンを妻に迎えており、シグルド軍がユングヴィ・ヴェルダン・アグストリアと転戦している間、個人としてだが参加するなど蜜月関係が続いている。
キュアンはトラキア王国のトラバント王と同じく、トラキア統一の野望に燃えていると言うのが専らの評判であり、そのためにはグランベルの内戦でシグルドが勝利するのを大いに望んでいるのは間違いない。
そしてキュアンはシレジア内戦には参加せず、レンスターに戻って軍備に勤しんでいたのは周知の事実である。となれば、シグルドに連携して軍を動かすつもりなのだろう。
シグルドにとって、唯一の援軍であるレンスター軍との合流を阻止するのが
、アルヴィスが選択した三番目の手である。片手間にそう言う事が出来るのが、シグルドに対する優位性と言うものである。
「出撃の予定が早まったために、極秘出兵の隠蔽工作が不完全なものになっています。“傭兵王”ならば嗅ぎつけられると思われます」
“傭兵王”とは、トラキア国王トラバントの異名である。
由来については、あまりの貧しさのために国王自ら傭兵をやっている事実を嘲笑したものだと言う説と、同業者を敬称で呼ばない習わしである傭兵達が、国王であるトラバントを呼ぶために名付けたものだと言う二種類あるが、本人はどちらが正しいとも主張しないので定説と言うものは無い。
そのトラバントが、北トラキアを渇望しているのは誰でも知っている。
実際に何度となく侵攻を試みたのだが、レンスター王国と同盟関係にあるグランベルの介入によって全て涙を飲んでいる。
だが、それは過去の話であって、現在の状況はその頃と大きく異なる。
正式に宣戦布告をしたわけではないが、キュアン=シグルドのラインによってレンスターはグランベルと敵対関係に入っている。つまり今のレンスターはグランベル王国の支援を受けられない、と言う事になるのだ。
トラバントにとっては、まさしく絶好の機会である。グランベルが介入しない戦争であれば、トラキアには絶対の優位性がある。空から襲う位置的な優位、傭兵として実戦を経験してきた優位、そして勝たなければ明日は無いと知る兵士達の気構えの優位である。

結果は、アルヴィスの分析通りの展開となる。
グランベルとシグルドとの開戦が当初の予定が狂い数十日単位で早まったために、キュアンの出撃準備は隠密性を伴わなくなった。この動きを察知したトラバントは最精鋭部隊を編成し、騎馬の動きの鈍るイード砂漠で仕留めるためにキュアンを追尾すべく、密かにトラキアを出撃する。
そして、各個撃破の的となってしまった右翼・リューベック城は大激戦の末、ついに陥落するのである。

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