グランベル・シレジア軍事境界線付近――
「……父上、御無事でおいででしたか」
未曾有の野心を実現せんと駆けた親子が、この場所で再会していた。
出撃を選択したシグルドは軍主力を率いてグランベル正規軍の最前線を突破して、単騎で逃亡中であった実父バイロンを救出したのである。
「久しぶりだな。もう3年になるか、お前も立派になったものだ」
「……はい」
蹴散らした守備隊、バイロンを追撃して来たグラオリッターとの戦闘がこの周囲でなおも続く中、この一地点のみが奇妙に静かだった。
バイロン救出が目的で軍を動かしているのだから、シグルド軍の各指揮官は敵軍をバイロンに近寄らせないように努力している。そして珍しくもシグルドから「……諸将も誰も近付かぬように」と言う指示が出ていたからである。
シグルドをよく知る者達は「あの人が、親子水入らずの会話を望んだりするのか」と訝しんだ。
何しろ、私情を挟まない――それ以前に私情の存在すら疑わしい――シグルドである、平時であればまだしも、一時的にせよ戦闘中の指揮を他人に任せるのは只事ではない。よって皆は「きっと親子の再会以外の意味があるのだろう」と踏んだので、シグルドの要望は確実に守られていた。
「それにしても迷惑をかけた。まだ戦端を開くには早過ぎたであろう」
「……親子の情に流されて飛び出してしまいました」
周囲の人間が居合わせたのならば、皆はシグルドのこの言葉は“らしくない”と評するだろう。
シグルドの言葉には後悔が入り混じっていた。
バイロンが指摘した通り、グランベルと本格的な戦争に突入するには、シグルド軍は準備不足であった。にも関わらず自ら戦端を開いてしまったのは、やはり救出すべき相手が実の父親であったからであろう。
「……時に父上、ドズル家の手によって捕らえられたと伺っていましたが?」
ドズル家の捕虜への警戒度の高さは有名である。
当主ランゴバルトの「鉄格子は捕虜を閉じ込めているのではなく、ただの門に過ぎん。丸腰と言えども敵が目の前にいると思えぃ」の言葉が反映されているため衛兵に油断無く、単独での脱出は限りなく至難である。
「心強い協力者が来てくれたのでな」
「……協力者ですか、イザークの者達でしょうか?」
シグルドはイザーク王太子のシャナンを匿っている。
グランベルはイザークと敵対していたのだから、シャナンを匿うのは重罪である。これを持って謀反の意志と見なされるのは当然である。
無論、シグルドにしてみればその時点でディアドラは掌中に収めていたし、主力は東方へと遠征中のために咎めようが無いと踏んでいたし、少々のリスクを負うよりもイザークを味方に引き込む利の方が大と読んでいた。
実際に、敗れたバイロンの隠匿を手助けしたのはイザークの人々である。シャナンを助けてくれた礼であるのは言うまでも無い。
「いや、わしを手助けしてくれたのはアイーダ殿だ」
「……“ヴェルトマーの魔女”が、ですか?」
六公爵家が激しい政治抗争を繰り広げていた頃、ヴェルトマー家は中立勢力であったが、だからと言って日和見を決め込んでいたわけではない。表向きはこの争いに心を痛めている素振りを見せているが、水面下では王党派・反王党派に対して積極的な折衝を行っていた。この時点では両派とも2公爵家ずつで、さらに+1される意味は大きいために中立勢力の抱き込みに余念が無かったのだ。
とは言え、やはり表向きは中立勢力である。当主たるアルヴィスは大っぴらに動けなかった。近衛軍指揮官と言う役職柄、宰相レプトールのように決裁にかこつけて接近する手も使えず、自領に帰る事もままならかったのだ。
そこで当主アルヴィスの代理として暗躍したのが、他ならぬアイーダなのである。
当主の代わりに出て来たのが女、と言うのは初見の相手にとって見れば半ば侮辱であったが、実際に話をしてみるとその識見の高さは全権代理人として何ら申し分無かった。
アイーダ本人はヴェルトマーのシンボルである炎を操る能力にも秀でていたため、皆は敬意を込めて魔女と呼ぶようになったのである……。
そのアイーダが、自ら出向いてバイロンを救出したとなると、只事ではない。
「……アルヴィスはディアドラを巡って争う仲。ヴェルトマーがこちらに味方するとは思えませんが」
シグルドの疑問は正論である。
ディアドラに関する公式発表の中に、シグルドと結婚した事やセリスを産んでいた事は明らかにされていない。この事実は噂レベルで市民の知るところとなっていたが、ディアドラに対する非難の声は挙がっていない。
もともと血族結婚のアルヴィスとディアドラである。禁忌であると同時に、それの裏返しで、二人の愛の深さに賛辞を送る声が全ての土台である。となればシグルドと結婚していた事実を知ったとしても、当のディアドラへは初婚ではない事を問う非難ではなく、おいたわしやシグルドに捕らえられていたのだろう、と言う同情票しか集まらないのだ。
よってシグルドとアルヴィスは決して相容れない関係にあり、陰で動いたとは言えヴェルトマー家の人間であるアイーダがバイロンを救出するのは在り得ない話である。
「無論、それは心得ている。最終的に我々を除くつもりなのは確かだ、だがアルヴィスには他にも除いておきたい奴がいるだろう」
「……」
シグルドは回答しなかったが、バイロンが誰を指して言っているのかは理解していた。レプトールとランゴバルトである。
アルヴィス・レプトール・ランゴバルトの三人は元はグランベル六公爵として対等の立場であり、しかもアルヴィスはグランベル王国への貢献度の面で、両公爵より遥かに劣る。そのアルヴィスが両公爵を飛び越えて王国の全権を握ろうとしている現状は、二人にとって面白い筈が無い。
アルヴィスは御機嫌取りのために、グランベルのではないが玉座を用意した。二人はこの取引を了承したが、それはアルヴィスの君臨を容認しただけであって、アルヴィスに対して服従を誓ったわけではない。
両公爵が治める新王国は、形式上は独立国ではあっても所詮は大陸統一国家グランベル王国の枠内でしかない。二人がそれでも満足だと言うかは極めて怪しい。
裏を返せばアルヴィスにとっては、傘下であるとは言え何かと反抗的な国家を二つ抱える事になる。出来れば、今のうちにどうにかしたい相手なのは確かではある。しかし両名とも王国への貢献度が極めて高く、下手に罪に問うのはリスクが高すぎる。
「……レプトールとランゴバルトは、私の手によって戦死してもらうのが、アルヴィスにとって最も好都合、と……? して、父上を救出するのとにどのような関係が?
「決まっているではないか、わしはお前よりもランゴバルトやレプトールを知っておる。だからアルヴィス卿もわしを助けたのだ。イザークではリングの裏切りで不覚を取ったが、今度は負けはせん」
うむ、と頷いたバイロンであったが、シグルドが何故にアルヴィスの思惑について反疑問形で訊いたのか、そこまでは気が回らなかった。
確かに、バイロンとランゴバルト・レプトールとの抗争が始まってから、かれこれ二十年になる。政敵として両公爵と闘争を繰り広げて来たバイロンと、公子として会っただけのシグルドとでは抱える情報の質と量とに大きな差があるのは間違いない。
だが、バイロンを救出したのはヴェルトマー家である。もしもシグルドを勝利させようとバイロンを助けたのならば、バイロンが加わる事によってレプトール・ランゴバルト両公爵に対して優位に立つ、とアルヴィスが踏むのが最低条件である。
「……なるほど、アルヴィスの真意は分かりました」
何かに納得するように頷くシグルド。
だがそれは、バイロンが解釈した“自分の説明が受け入れられた頷き”ではなかった。
「……時に父上、ティルフィングはどうされましたか?」
シグルドが話を変えた真意を知らず、バイロンは自らの腰に帯びている損傷の激しい剣に手を当てた。
「この通り、ここにある。だいぶ酷使したから鍛え直さねばならんがな」
たかが剣一本であるが、意味は重い。
聖剣ティルフィングはシアルフィ家の家宝であり、聖騎士バルドの直系を表す証でもある。
ましてやイチイバルを失ったユングヴィ家の顛末を鑑みれば、バイロン本人も自分の命を優先してこの剣を放棄する事は出来ない。だからこそ、逃亡中に酷使し、もはや剣としての機能を失ってもなおも捨てなかったのだ。
「……見せていただけませんか?」
「む? うむ」
バイロンは特に警戒無く素直に聞き入れ、ティルフィングを鞘ごとシグルドに手渡した。
シグルドは鞘や柄の部分の装飾から本物のティルフィングだと確認すると、鞘から抜いたりせず、そしてバイロンに返したりもせずに自分の腰に帯び始めた。
「おい、それはわしの……」
少しだけ冗談交じりの表情で息子を咎めようとしたが、言い終わる前にシグルドの返答があった。
「……先ほどの話の続きですが、父上が加わった事で戦況が好転するとは思っていません、私もアルヴィスも」
「何……?」
「……父上がどれだけ両公爵の事を知っていても、実績は敗れた身です。ですからアルヴィスは父上に期待をかけたりはしません」
バイロンは能力・実績共に国内屈指の名将である。しかし王太子クルト暗殺に伴う内戦において、バイロンは敗れた。
ユングヴィ家に裏切られたのが誤算であり敗因であったとは言え、その場に居たわけではないシグルドやアルヴィスにとってはそんな話は知った事ではない。裏切られた事もひっくるめて敗北であるのだ。
つまり、アルヴィスがバイロンを助けたのは、ランゴバルトとレプトールを倒させるためではないのである。
「……私は父上よりもアルヴィスの事を知っています。これは、私よりも上位である父上を放り込む事によって、我が軍の指揮系統が混乱するのを狙った、アルヴィスが仕掛けた罠です」
シグルドは、腰に帯びたばかりの壊れたティルフィングではなく、愛用の銀製の剣を鞘から抜いた。
「実の父を殺すか……」
「……強いて父上の説を推すのであれば、父上が私と再会したのは、私にティルフィングを受け継がせるためでしょう」

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