最強の理由――

 そもそも通常時の行軍からして尋常ではない。本来ならば(別働隊を除いて)全軍が隊列を乱さずに各部隊が同速度で進むのだが、シグルド軍においては各部隊ごとバラバラに進んでいる。騎兵が重装歩兵の速度に合わせて持ち味を殺される鎖を断ち切った運営だが、その代償として隊列の乱れと各個撃破の危険性を常に孕む事になる。
 それを押して個別行軍をさせているのは、奇襲を受けても大丈夫だと言う各部隊への絶対の信頼があってこそだろう。
 シグルド軍は、各部隊が独立した 「中級指揮官偏重視型」であると言えよう。つまり総指揮官であるシグルド公子が全軍の指揮を担わず、各部隊の細かい管理は各指揮官に委ねると言う、極めて異型の軍隊である。シグルド公子は各部隊指揮官に対し細かい命令を発するが、それ以降は一切関知しないのだ。
 一般的に、どんな将でも戦術指揮有効範囲はせいぜいが3クワッドまでと言われている。(※クワッド:一般人が徒歩で一日進む距離が5クワッドに相当)
 当然ながら、この指揮能力が及ぶ範囲内に収まっている方が、軍は強くなる。だがシグルド公子は自分の手元から各部隊を大胆に切り離して行動させているのだ。
「……私は戦術家としての才に欠けている」
 シグルド公子は、常日頃こう語っていると言う。
 話によると、例えば、気高さと覇気とで兵士の士気を高揚させ続けるラケシス姫が最前線に出て来た時や、(指揮官が恋人同士など)極めて連携が良い部隊同士が近くにいた状態――自分が指揮しても、これらによって引き出される効果とはさして変わりが無いらしい。
 結論として、同時に各部隊の強さを絶対的に信頼しているから、大半の権限を各部隊長に委ねている。よって、各部隊がシグルド公子の指揮範囲の枠に囚われない、実に柔軟な戦略戦術を発揮できるのである。
 このあたりにシグルド公子の人としての凄さが垣間見える。
「……長所と短所は常に表裏一体」とも常日頃言っているが、自ら実践している。
 もしもシグルド公子が大陸に誇る名指揮官だった場合、各部隊は命令系統に拘束されずに済みはしなかっただろう。指揮能力の恩恵を受ける代わりに、その指揮能力範囲から外に出ての行動が存在しなくなる。何故ならば、勿体無いからだ。
 この能力が短所であるシグルド公子は、それを逆手に取って、自分の指揮範囲を完全に解放する事で部隊展開範囲を地平線の果てまで広げたのだ。これは短所でなくては成し得ない芸当だろう。そしてその短所はこれまでの常識を打ち破る長所となったのだ。

 各部隊に権限を委ねる事は、大きな危険性を孕んでいる。指揮を任せた各部隊長の能力。他部隊との横の連携。反乱等のトラブルが発生する可能性などが挙げられるが、それはあくまで一般論でありシグルド軍の常識ではない。
 まずシグルド軍の各部隊長は、部隊長程度でありながら軍団長クラスの高度な教育を受ける。
 これはシグルド公子からの細かい命令が無い代わりに自らの才覚で部隊を動かす必要性があるからだ。何しろ、各部隊が独立採算制を敷いている軍は前例が無い。兵士を統率するだけが能の指揮官では務まらないから、高度な教育が必要となるのだ。
 また、部隊が独立していれば、その分だけ他と関わる事が少なくなる。単独での行動が可能な部隊とは言え、一個部隊で戦争できるわけではないから他部隊との連携も必要になって来る。
 これはシグルド軍の基本的戦術が徹底しているから成し得ている。
 例えば敵の編成がが近接戦闘部隊であれば、まず徹底して間接攻撃を行う。飛び道具は卑怯と言う誹りも気にせず、近づかせずに葬り去るのだ。シグルド公子は騎士として正々堂々と剣を交えると言う考え方は存在しないらしく、味方の被害を抑える事に貪欲である。間接攻撃主体の敵なら、その反対となる。
 密な連携が取れなくても、どう戦えばいいのか明瞭にされているので各部隊には実に分かりやすい。シンプルな分だけ息も合わせやすい、と言うところか。
 そして各部隊が独立しているのは、あまり混ぜられない裏事情もあるからだ。
 シグルド軍が叛乱軍と呼称される事が少ないのは、軍にグランベル以外の出身者が大勢含まれている理由があるからだ。当然そんな多国籍な軍であれば、風習や価値観の違いによる内部衝突は避けられない。部隊を独立させた事で防ぐ事は出来るが、代わりに部隊ぐるみの反乱の危険性がある。
 ただでさえ、彼らの祖国が歩んで来た歴史はグランベル王国との外交の歴史でもある。グランベル人であるシグルドに従属して気持ちがいい筈が無いし、シグルドの個人的な野心に付き合わされるのは御免と言いたくなるのが普通ではないだろうか。
 だがシグルド公子はこの問題も見事にクリアしている。
 異国人の指揮官のうち(※最終的に軍を離脱したキュアン王子を除く)王族である四人、シレジア王子レヴィン・イザーク王妹アイラ・ノディオン王妹ラケシス・ヴェルダン王子ジャムカが率いる部隊は、それぞれ魔法・歩兵・騎士・射手の各カテゴリーの中核を担っている。譜代の臣を蔑ろにしてまで異国人を中枢に据えたのは彼らの才能をシグルド公子が正しく評価したからであるが、それによる付随効果が大きい。公平な人事を行う事で彼らからの信用を獲得し、人質ではなく指揮官として軍に帯同している事実は、彼らの祖国にとっては人質以上の効果が及ぼせるからだ。
 しかも、イザーク・ノディオン・ヴェルダン各王国は既に存在せず、復興するためには祖国を占領しているグランベル王国を立ち退かせなければならない。つまり、シグルド公子にグランベルの主になって貰わなければ祖国復興は有り得ないのである。シレジアも座せば滅ぶ運命とあってはシグルドに賭けざるを得ない状況下にあるのだ。
 祖国のためなら、指揮官としてシグルドの下で働く事に異論を挟む事はできない。祖国の未来は、シグルド軍の勝利にしか存在しないのだから、自分が軍に参加して戦う事は、それは祖国の為の戦いに直結していると言っていい。指揮官がそんな前向きの心構えであれば、その指揮下である異国の兵士たちも士気高く付いて来る事になる。

 軍の強さの秘密は、実はもう二つある。一つは、シグルド公子が、兵士の慰撫に余念が無かったからだ。
 足が遅いと言う理由だけで一部隊を無視する非情さを持つシグルド公子が兵士には優しかったか? それは否である。彼はあくまで軍にとって極めて合理的な判断をしたのだ。
 それは常設の楽隊を設置した点だ。楽隊そのものはどこの軍にでもある。だがそれらの任務は、典礼時や陣中見舞いの意味での兵士の慰撫でしかない。しかしシグルド軍の楽隊は、何と危険極まりない戦場の真っ只中で奏でるのだ。剣戟飛び交う中を舞う、まさしく戦場に咲く華と言える踊り子シルヴィアの存在は、常に兵士達を鼓舞し続けた。シグルド軍が尋常でない強行軍を敢行して戦線を破った例が数知れずあるのも、疲れを感じさせなくさせる彼女の存在があってこそだろう。
 もう一つは、情報収集に力を注いでいた点が挙げられる。
 伝説の暗殺者“D・E・W”を擁し、敵の軍の規模や錬度、装備を完全に把握していなければ、大胆な戦力分散は叶わなかっただろう。“D・E・W”の隠密術の前にはあらゆる隠蔽工作も通用しないと言われ、敵中枢部の密室の会話すら筒抜けになっているのではないか、との噂も流れるほどである。
 
 シグルド公子のおそろしい部分は軍だけに留まらない。
 例えば、こんなエピソードがある。
「……我々は捕らわれの身であるノディオン王の救出の為にやむを得ず侵入したのであって、侵略者ではない。それを証明する為にアンフォニー王国の横暴から諸君らを解放した。だから諸君らは今までの生活を続けてもらって構わない。ただし、安全保障費として、それぞれの村はグランベル軍に対して5000Gの軍資金を供出せよ。ただし戦火に巻き込まれた村に付いては、それぞれ程度を考慮して軽減する」
 対アグストリア諸公連合の時の、シグルド公子の台詞である。
 進攻理由の説明は置いておくとして、後段である。
 シグルド軍は略奪はしないが、代わりに高額の資金を要求している。戦火に巻き込まれなかったとしても一介の村にとって5000Gは厳しすぎる数字であるし、しかも特別な財宝がある場合はそれも容赦なく徴収している。
 その代わり、その最初の臨時徴収以降は全くと言っていいほど手を出していない。怨まれる事は先にやっておいた方が後々は有利であると踏んでの事であろうか。
 余談だが、戦地で盗賊に襲撃される可能性がある村に対しては、躍起になって確保に尽力している。5000G持って行かれる村々にとっては有難迷惑と言うものだが、戦禍から守ったと言うのもまた事実である。

 人事に関しても、尋常ではない。
 出身・出自を問わず、能力完全主義の人事を行っているのは前述したが、未来へ向けての人事も怠っていない。
 シグルド軍には女性の指揮官も珍しくない。女性であっても能力があればと言う事なのだろうが、シグルド公子が各指揮官の性別を意識している事が一点だけある。指揮官同士のロマンスである。
 戦場で命のやり取りをしていれば惹かれ合う男女が出て来るのは当然だが、シグルド公子が心砕いたのは、その組み合わせである。
「血統」と言う単語があるように、人間の出来にも両親の組み合わせによって良し悪しが偏ってくる。
 シグルド公子は各指揮官の適正を把握し、次の時代を担う最良の指揮官が生まれて来るべき最上の組み合わせを考えて、そうなるように実践した。その組み合わせの男女同士を一緒に行軍させて、人工的に愛情を芽生えさせるのだ。


 ――結論。
 シグルド公子は極めて合理的な人間であると同時に、人間の救われぬ美徳である感情を超越した存在である。
 私情を排し、全てに対し平等に臨む。能力のある者には最大限の翼を与え、能力無き者に生きる資格を見出さない。篩いにかけ続けて残った優れた者同士を交配させ、より秀でた優良種を生み出し、それを新たな時代を支える柱に据える――これを繰り返して、より純度を高めて行く事によって、集団はより完成に近づく――あの軍隊は、その小さな実行例だと言える。
 
 我々は、過去にこれを国家レベルで行った偉大なる大帝国を知っている。
 我らが巫女ディアドラ様の最初の伴侶がシグルド公子であったのも、二人が惹かれ合う運命にあったのかも知れない。
 我らが覡アルヴィス様がロプトウス神を復活させる者なら、シグルド公子は偉大なる大ロプト帝国の具現者ではないだろうか。
「聖騎士バルド、聖剣ティルフィングをもって闇を照らす」
 シグルド公子の祖、聖戦士バルドが聖剣ティルフィングをもって闇を照らした時、闇によって遮られていた、我らさえも知らぬロプトの“真実”を垣間見ていたのかも知れない。
 
 覡アルヴィスと狂公子シグルド――新しき帝国の魂と肉体を作り出すべくこの世に生を受けた、ロプトの二人の父。
 この二人が手を取り合えば、完全なる世界が構築できる。
 それなのに――運命の双子である二人は、戦って殺し合わなければならないのだ。

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