凱旋式は滞りなく進んでいた。
 だがグランベル史上、ここまで華やかさと縁がない凱旋式は存在していない。
 アルヴィスが派手さを嫌う性格なため元々から押さえ気味になっていたという理由もあるが、最大の原因は凱旋する側も迎える側も極度の緊張状態にあり、楽しもうと言う気構えがまるでなかったからだ。
 もう一戦ある事はシグルド軍側も全員が知っていた。
 ただ名目上はバーハラ王家に弓を引いているわけではないために先手を打てない事情と、この一戦が戦略上の決定的勝利とするためにはできるだけ深く進まなければならない都合によって、沈黙を守っている。
 いつ仕掛けてくるか分からぬ銀の刃が光る花道に挟まれながら行進は続き、ついには作法通りの所定の位置にまで進んでしまった。
 バーハラ全軍を挙げてのものである、シグルド軍の左右には蟻の一穴と呼べそうな隙間はまるでなかった。その人の壁と壁の間に、シグルド軍は窮屈に押し込められていた。各々の兵士達は、凱旋式ということで名目上の整列を余儀なくされている。つまり得物を振り回すスペースは全く与えられていないわけである。
 この状態のまま、兵士達は心中でその時を待ち続けて整列状態を保っていた。

「シグルド殿、晴れての凱旋、めでたいことだ」
 別に晴れてもいなければ凱旋でもない上に、これがめでたくとも何ともないことは誰でも知っていた。
 シグルドは今もって逆賊の汚名を背負ったままであり、バーハラへ向かうのは侵略行為である。そしてそれを祝うためにこれが挙行されているわけではないのは言うまでもない。
 これは茶番である。だが、お互いが仕掛けどころを探っている状況ならば、たとえどんな茶番であろうとも名目上の凱旋式を続けなければならない。
「……陛下が病に臥せっておられると伺っているが」
 グランベル王国においては、凱旋式は国王自らが出迎えるのが慣例になっている。凱旋式はグランベルの市民の賞賛を一身に浴びることができる、将軍位にとっては最高の晴れ舞台である。だがその賛辞の声がグランベル王国に対してよりも大きいことなどは絶対にあってはならない。よって、勲功を打ち立てた将軍を国王が迎えるようになっているのである。観衆の目の前で将軍が国王に拝謁すれば、その功は将軍個人のものではなく国王、ひいてはグランベル王国全体の栄光へと昇華されるからだ。
 だから(名目上は)凱旋式なのだから、本来ならば国王アズムール自らが将軍シグルドを出迎えなければならない。シグルドは王の容態を尋ねたが、暗に出て来なかったことをアルヴィスに咎めたのだ。
「陛下は重いご病気で、最早身を起こすこともかなわぬ。よって今では私が政務の全てを代行している」
 アルヴィスは王女ディアドラと結婚したのだから、夫君殿下として全権代理人となる資格は有している。だが王の具合が芳しくないからと言うのは事実ではあるが建前に過ぎない。
 アルヴィスの権威はあくまでも「ディアドラ王女の夫」を拠り所にしたものであって、アルヴィス個人のものではない。いくら全権を預かったとはいえ、権力の強さはバーハラ王家と等しくない。もしもこの凱旋式にアズムール王が出席していた場合、アルヴィスは大鉈を振るうことはできないのである。例えば、もしもアズムール王がシグルド軍に捕らえられた場合、アルヴィスは抗戦を選択できなくなる。
 戦争は、戦況がどれだけ劣勢でも敵のトップを討てば勝ちが転がり込むものだ。この“ボトムライン”の完全包囲の中、シグルドが勝利の可能性を探るとしたら、この勝利条件しか現実性を見出せないだろう。
 この時、そのトップが炎魔法ファラフレイムを操るアルヴィスなのか、まともに立って歩くのもおぼつかないアズムール王なのかでは、シグルド軍勝利の確率は天地の開きがある。アルヴィスは万が一の可能性を考えて、病気と言う理由を盾に、通例となっていた国王の出席を蹴ったのである。
「……それはお気の毒なことだ。私の事でも陛下には随分ご心痛をおかけした。後程王宮に参り、お詫びをいたすとしよう」
 無論、シグルドのこの発言は本心ではない。
 合致している点は「王宮に参る」ところのみである、それは決して頭を下げに行く目的ではない。
「…………」
 一瞬だけ、アルヴィスの視線がシグルドから逸れた。視線を合わせたくなくなったからではない、シグルドのすぐ脇から遥か先の直線上から、準備の完了を知らせる合図が送られてきたからだ。
「それには及ばぬよ、卿には反逆者としてここで死んでもらう。王に目通りはかなわぬ」
 アルヴィスの右手がゆっくりと上がった。
「全軍に告ぐ。反逆者シグルドとその一党を捕らえよ。生かしておく必要はない。その場で処刑するのだ!!」

「来た! 気張るンだよッ!」
 シグルド軍の各指揮官の怒号が、降り注ぐ炎の着弾に混じって響いていた。今までこの軍の勝利は全て先制をとっていたのが一つの理由である。戦線の展開を思い通りに出来なかった戦いは、これが始めてである。
 号令後、シグルドと距離を開けるために後退し、そこで攻撃開始を確認したアルヴィスは、後に控えていた女性の方に向き直った。
「ディアドラ、下がっていなさい。ここは危険だ」
 アズムール王は病床と言う事で通したが、もう一人の王族であるディアドラ王女の出席は妨げるものが無かった。
 王太子クルトは既に亡く、他に該当者がいない以上、女性と言えどディアドラは王位継承権の第一位である。実権はアルヴィスに委ねられていても、形式としてディアドラには出席の義務があった。
 もちろん、凱旋式挙行の実務経験があるはずも無いディアドラでは式の進行は務まらないから、全てをアルヴィスに任せているので危険な位置にまでは出ない。しかしそれでも、その身がこの場にあると言うのはアルヴィスにとって唯一の泣き所である。だがそれでも出席を認めたのはアルヴィスである。無理矢理に欠席させることも不可能ではなかったが、戦闘が始まった折に下がらせれば安全だと踏んだからだ。
 だがそこに落とし穴があった。
 人は思考が悲観的であればあるほど警戒を強めるものである。裏を返せば事態を楽観視できるようになれば、自然と警戒は緩むものだ。
 シグルドがあえてアルヴィスの罠にかかりに行ったのも、この僅かな心の隙を弱点として衝くためだった。自分が張り巡らせた策略にかかってくれれば、アルヴィスであっても喜ぶ。もしも正々堂々と両軍が正面から激突したのならば、たとえ僅かな時間と言えどもアルヴィスはディアドラの後姿を見送ったりはしなかっただろう。これはアルヴィスの油断と言うにはあまりにも酷である。
「な……!」
 向き直ったアルヴィスが見た光景は、包囲網の中で未だ一向に崩壊しないシグルド軍と、猛然と突撃してくるシグルド直属部隊の騎士たちであった。
 アルヴィスが推し量った光景では、包囲網に押し潰されていく軍とその先頭でもがくシグルドだった。包囲網の密度から言えば、これは皮算用ではなかったのに。何故だ――いくら冷静なアルヴィスでも、これぐらいは頭を占有する。
 シグルドが育て上げた軍は、慎重なアルヴィスの予想のさらに上を越えて精強だったのだ。

「圧を倍化。正面は補強しつつ微後退、賊軍の突出部を左右から押し潰せ」
 とは言え、アルヴィスも慌てはしない。シグルド軍の主力部隊は未だに包囲網の中であり、今現在アルヴィスへ向かって突撃しているのは凱旋式の際に前列にいた部隊のみである。言ってみれば、シグルド軍はさらに前後に間延びする格好になった。
 シグルド軍の強さが自分の予想をさらに上回っていたことを実際に見て感じたアルヴィスは、この包囲網をさらに有効なものへと改造させ始めた。突撃と対しての後退によって前後に伸びたシグルド軍の組織的抵抗力は、当然のこと先ほどと比較して落ちている。この方向性で進めていけば、いつかは包囲網の攻撃力の曲線とシグルド軍の抵抗力の曲線とが交差する。グランベル軍はその時が来るまでゆるりと後退し続けていれば良いのだし、この公式を実践し続けるだけの兵力の余裕も充分にある。余所見をしていたせいで投入時を僅かに逸してはいたが、致命傷になるほどでもない。
 
 だが――。

「シグルドを止めろ!」
 日が沈み始める頃になると、アルヴィスの声は先ほどよりも大きく荒れたものになっており、もう後退の命令も出していない。
 予想外の事が起こっている――アルヴィスの計算は狂い始めていた。
 
 二重三重の罠は用意していない。シグルドが陥計と知って踏み込んできたと分かっていたにせよ、それでもなおこの罠そのものが噛み破られる可能性についてアルヴィスはまるで考えていなかった。それだけこの包囲網には自信があったし、何かあってもその場所に予備兵力を送り込むことで罠は維持できると言う確信があった。
 そもそもこの罠はシグルド軍の強さは熟知してのものだった。
 正面決戦では勝ち目がないと踏んだ。シレジア国境からここバーハラまで誘い込む遠大な縦深陣を敷いてさらに陥計を巡らせたのも、シグルド軍の強さを考慮に入れたゆえだ。
 元来、ここまで徹底することすら馬鹿げている筈である。一個軍団を殲滅するのにリューベック・フィノーラ・ヴェルトマーの三城を放棄し、ランゴバルト・レプトール両公爵を捨て駒にしたのは、臆病者と罵られても仕方がない。
 アルヴィスは、シグルドをそれだけ警戒していたのだ。
 個人としてのアルヴィスとシグルドとは、さして面識はない。アルヴィスがヴェルトマー公爵でシグルドがシアルフィ公太子なのだから、バーハラで会う事はしばしばあった。だが当時のシグルドは単なる優男と言う印象で、彼が軍を率いてヴェルダンを破った時は多くの者がそのギャップに首を捻ったものだった。アルヴィスも当初はそうであったが、シグルドが挙げた功績の質と量を見てすぐに考えを改めた。そして以降、シグルドが奇跡を起こすたびに彼への評価と警戒度はさらに上がって行く。
 シグルドを最大限に評価するそのアルヴィスが張り巡らせた罠である、常識の範囲内で言えば破られる筈がない。だが、一個軍団の中にかつてのロプト帝国の様式を丸ごと詰め込んだ狂気の軍隊であるシグルド軍の精強さは、かつての大帝国の性格と同じく尋常ではなかった。
 

 シグルド軍の運命の扉は、二つの曲線が交わってしまった時だ。そして、実はグランベル軍にも運命の扉は用意されていた――物理的に後退が不可能になった時である。
 包囲網という性質上、シグルド軍と向かい合う正面の軍はバーハラ城内まで下がることは出来ない。城門と言うものはそう簡単に開閉できるものではなく、後退を続けて門をくぐり、いったん閉じてしまうとすぐには開けられない。つまり自動的に包囲網が崩れてしまうわけである。無論、雪崩れ込まれないように城門を閉じないわけにもいかないのは言うまでもない。
 シグルド軍の突撃力は当初と比べて間違いなく低下している。そしてグランベル軍はもう後がない。お互いここが瀬戸際である。
 それが分かっているだけにアルヴィスは引くことが出来なかった。このまま続けていて勝利の目がどちらに転がるかは、アルヴィスにも確証が持てなかった。だが、だからと言って包囲網を解いて籠城戦に移行するわけにもいかなかった。
 守備側が攻撃側よりも大兵力である籠城戦など存在しない。城壁の外周と内周との長さの違いを考えれば、当然ながら有効に展開できる兵力に差が出てくる。ましてや守備側は城壁に登れる数が限られているのだ。
 士気にも多大な影響が出る。外との連絡を絶たれて城壁の内側に引き籠もっている軍の士気が奮うはずなどない。壁を利用しての守備は地の利があるにしても、籠城を選んだ時点で敵の撃破を放棄したのだから勝つ気のない戦闘と断定してもいい。援軍が来るか、補給の都合等で撤退するか――籠城戦は、そんな他人をあてにした勝利しか存在しないのである。
 兵力は優勢、戦況としては現状で五分五分の状態である以上、アルヴィスは籠城策は採れなかった。シレジアから遠征してきたシグルド軍は、バーハラ城を目の前にしてはもはや補給線を考えるつもりは毛頭ないだろう。グランベル軍に増援があるとすれば南部の治安維持に出ているブルーム公子率いるフリージ公家軍のみであるが、到着に何日かかるか不明である。ただでさえシグルド来襲にバーハラ市民は怯えているのである、実際に包囲されて扇動されでもしたら何が起こるか分かったものではない。だから、意地でも野戦で決着をつけなければならないのだ。
 アルヴィス個人が城内に避難する事も出来ない。
 城内からでは指揮が思うようにできないし、何より兵の士気への影響が怖い。シグルドの狙いがアルヴィス個人であるのは明白だが、それでも背を向けて逃げることは出来なかった。指揮系統や戦意が乱れて包囲網がほころべば、シグルド軍は息を吹き返すに違いない。アルヴィスが無事でもバーハラ軍が敗れれば意味は同じである。
 
 日没を迎え、夜となった。
 夕方頃から曇り始めた空は、月と星空を完全に覆い隠していた。
 その下で、降り注ぎ続ける炎だけが戦場を灯していた。
「ファラフレイム!!」
 アルヴィスはついに個人での戦闘参加に踏み切っていた。
 総指揮官が戦闘するのは、本来ならば望ましくない。いかに十二聖戦士の遺武器とは言え、全兵士を動かした方が得られる成果は大きい。シグルドは中級指揮官に各部隊の運営を全てを任せられる制度を敷いているからこそ、総指揮官でありながら先頭に立って突撃する事ができているのだ。
 五分五分だった戦況の秤は、シグルドに傾いていた。
 新たな重りが乗せられたわけではなく、お互い先の見えない戦いを続けた結果、シグルドの方が優勢だったのだ。
 ただ、それでもシグルド軍主力を封じ込めている包囲網は今もって健在なのでアルヴィスは動けなかった。このバーハラ決戦の中で、シグルド軍が優勢な場所はシグルドとアルヴィス両個人が相対する一箇所のみであり、他は全てバーハラ軍が互角以上の状況である。ユグドラル大陸の中の局地戦の、そのまた限定された場所が劣勢なのを嫌って全箇所に悪影響を及ぼさせる選択はアルヴィスには採れない。退く事も包囲網から兵を回すのも出来ない以上、アルヴィスは自力でそこを打開しなければならなかった。個人としての戦闘参加は、それゆえである。
 炎魔法ファラフレイムの威力は、今日ずっと雨粒の代わりにシグルド軍に降り注いでいたメティオの比ではなかった。一個人の戦闘力が大勢に影響する事は本来ならば存在しないのだが、勝敗の分かれ目がここ一箇所での賽の一転がりにかかっている状況では、戦況を左右もした。悪魔と見まごうばかりの恐ろしさを誇っていたシグルド直属の騎士達が、熱と光に焼かれて次々と力尽きていく。
 この光景にアルヴィスの周囲にいた兵士達は奮い立った。シグルド軍の突撃の前に後退し続けていた兵士達は、意気盛んに打ちかかり始めた。指揮官の指揮も何もない、原始的な戦いがここにあった。
 形勢逆転か――そう思われ始めたころ、今度は炎の着弾点で小さな白い光が灯った。そしてシグルド軍の、規模的に言えば恐らく最後の組織的な突撃が敢行された。
 押し留めに入った兵士たちが潰され、その間に襲い掛かったメティオの炎が騎士たちの生命を燃やし尽くす。激しい応酬の中、その中心やや手前で白い光が幾度となく舞い回っていた。白い光が描いた軌跡に触れた兵士達の四肢が次々と切断されていく。シグルドが抜刀した、聖剣ティルフィングである。
 シグルドはこのバーハラ決戦が激しいものになると踏み、ティルフィングを使用を要所のみに限定して来ていた。その最後の山場が今なのであろう、もはや鞘まで投げ捨ててアルヴィスへ向かって突撃する。ユグドラル全土を揺るがしたシグルドの本気の突撃である、いかにユグドラル全土から選りすぐられたバーハラ近衛兵と言えども為す術なく蹴散らされた。
「ファラフレイム!」
 そしてついに最後の人の防壁が破られ、アルヴィスは凱旋式が中断する直前の距離にまでシグルドの接近を許した。もはや二人の間に割って入る者は誰もいない。それを見て取るや、アルヴィスは再びファラフレイムを放った。今度は完全にシグルド個人を標的としたものである。
 紅い光がシグルドへと降り注ぐ。熱と光の円筒の中でシグルドを滅ぼすために。
 だが、シグルドがティルフィングを天に向かって翳すと、あの白い光が薄膜を生み出し、卵の殻のようにシグルドを包み込んだ。直後に襲った紅い光は、白い光の膜によって遮断されてしまった。
「な……!」
 騎馬術によって回避される可能性は考えていたが、防がれるなどとは思ってもみなかった。ファラフレイムは太陽の光熱である、どんな強者であろうとも耐えられる筈がないのに。
 だが、シグルドが翳したのは炎魔法ファラフレイムと同じ聖遺物であるティルフィング。聖剣を謳うだけあって、魔法に対して特別な力を有しているようだ。無効化ではないにしても、シグルドはファラフレイムを耐え切ったのだ。
 アルヴィスには打つ手がなくなった。
 ファラフレイムは思ったほど通用しない。しかし剣を抜いて肉弾戦を挑んでもティルフィングを持った馬上のシグルドが相手では勝負にならない。後退しようにもこちらは徒歩。そしてアルヴィスを守るべき近衛兵は周囲におらず、アルヴィスのファラフレイムが防がれるぐらいだから魔導師程度のメティオでは危機を救える筈がない――
 勝敗は決した。
 シグルドが、アルヴィスへ向けて馬上からティルフィングを突きつけた。
「……チェックメイトだ」

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