「一突きで必ず葬るべし――。
何故ならば、仕留め損なった場合、応援を呼ばれてしまいこちらが生命の危機に陥るからだ。
とは言え、どんな手練の暗殺者でも毎回必ず心臓を貫くのは難しい。
よって比較的容易な肺を狙うべし。
肺に突き入れ、そのままナイフを捻って隙間を作ってやればどうなるか。
大声で応援を呼ぼうとして息を吸い込んだ瞬間、隙間から吸い込んだ空気が洩れ、声を挙げる事無くそのまま酸欠状態に陥って窒息死する。
よって使うナイフは大きな隙間を作れる、幅の広いものを選ぶべし。
なお、ナイフを突き入れる際に正面から狙うのは適切ではない。刃先が肋骨によって致命傷を与えるのを阻まれる可能性があるからだ。
それを回避するため、肋骨の下からかいくぐるようにして突き上げる感じでねじ込むべし――」
暗殺を生業とする達がバイブルとして扱っている一冊の本の、その最初のページに乗っている言葉である。
その言葉は、二十年程前から大陸に名を轟かしていた伝説の暗殺者のもの。
その名は……正確なものは残っていない。

トーヴェ城、昼過ぎ――。
シグルドの侍従であるオイフェ少年が、いくつかの資料を抱えて廊下を歩いていた。
この城を陥としたのは今朝である、だから誰でも今日ぐらいはゆっくり疲れを癒したいところであるが、そんな日でもラケシス王女は日課の“ティータイム”を欠かさないつもりらしい。
となれば同席者も現れるだろうし、会話の内容も聞き逃せないものになるだろう。よってオイフェはそれに備えて様々な資料を準備していたのである。
「あの話は出るかな?」
そして特にオイフェの知的好奇心を強烈に刺激している事項が一つある。
恐らく今日のティータイムで誰かが質問するだろう謎――トーヴェ城の跳ね橋は何故に下りたのか、あるいはどうやって下ろしたのか。
対岸に位置する跳ね橋の守備隊に対し、フュリー隊が夜襲を仕掛けた事までは知っている。だがいくら真上から襲えると言っても強攻策で目的を達成できるとはどうしても思えなかった。
「あれ……?」
廊下の先、今日からシグルドが主となった執務室の扉が開き、そこから見知った人物が出て来るのが見えた。
だがおよそ執務室に縁が無さそうな人物だったものなので、オイフェは首を捻った。
とりあえず駆け寄って声をかける。
「シグルド様に何の用だったんだ?」
オイフェは環境柄、敬語を用いないで話せる相手がほとんどいない。
数少ない例外がイザーク王太子シャナンと、このデューと言うあどけない顔をした盗賊の少年である。
シャナンは完全に年下なので弟みたいなものだったが、デューは詳しい年齢は分からないものの同世代のようなので、密かにライバル視していた。無論、競い合うものは身長である。
精神的に優位に立っている方が相手を「見下す」ように、実際に物理的に視点が高い方が優越感に浸れるものである。
ある年上の女性に恋したものの、その女性に――実際に子供なのだが――子供扱いされた過去があり、成長過程とは言え背が低い事実に強い劣等感を覚えていた少年にとって、身長で勝てる相手がいると言うのは嬉しい限りである。
ヴェルダンで初めて顔を合わせて以来もう三年近くなるが、なのに全く変化の無いデューに対し、オイフェの身長は随分と伸びた。見上げて来るデューの視線にえもいえぬ心地良さを感じていた。
「ちょっと呼ばれたんだ、オイラ、お礼を言われちゃった」
「へぇ……」
見下している相手の、いかにも子供らしい無邪気な回答に、オイフェは率直に感嘆した。
シグルドが感謝の意を表した事など記憶に無かったからである。
確かにデューはいい働きをしている。
実戦指揮官などではないが、盗賊として、様々なところから資金を調達して来てくれるからだ。
おかげで軍の財政も助かっているのだろうけれど、でも何で今頃になってだろう、ともう一度首を捻っている間にデューは「それじゃ」とだけ言い残して行ってしまった。
「あ、待……」
どんな風に謝辞を述べたのか気になったので引き止めようとしたが、デューはもう廊下の角を曲がって姿を消してしまった。

ティータイムを迎え、オイフェは速記に専念している。
魔術のタネは、出撃したフュリー隊は陽動で、跳ね橋を下ろしたのは潜入した間者による工作と言うものだった。
シグルドはこの席上で「……間者を用いた」と一言で述べたが、実際に達成はそこまで簡単なものではない筈である。
各部隊指揮官に跳ね橋は下ろされると断言した自信は、それを確実に遂行するだけの絶対的な能力を持った間者を用意できたからだろう。
「それで、どんな間者を用いましたの?」
だからオイフェも、それに付いてラケシスが質問すると、シグルドの返答を聞き逃さないように手を止めて待った。
「……長所と短所は表裏一体、どのような特徴であれ、それが優越となるか劣等となるかは活用の仕方次第だ」
「……?」
オイフェはまたもや首を捻った。
シグルドの言葉だけを抽出すればもっともなものなのだが、この言葉が何故この時に出て来たのか全く見当が付かなかったからだ。

オイフェに限らず、男であればある程度の身長は望むものである。
だが子供の頃の大怪我が元で、不幸にもそれ以上の肉体的成長が完全に止まってしまった少年がいた。
本来ならばこれからの長い人生を棒に振ってしまうような悲しい事故であるが、劣等感を抱きながら大人になれない人生に絶望などしなかった。少年はこの身体的特徴を逆手に取り、十年後には大陸最高の暗殺者にのし上がる事になる。
何しろ子供と言うのは本当に得である。
どこへ行っても怪しまれる事が無く、よしんば不審に思われても大人のそれと比べて警戒の度合いが遥かに低い。
その一瞬の隙を突けば逃げ出すのも懐に飛び込むのも自由自在である。
確かに膂力では及びもつかないが、それは戦士の都合であり、彼のような生業の者にとっては怪しまれない事の方が最高の財産である。
しかも子供の身体を持ちつつも大人の思考が出来るとしたら、潜入される方にとっては極めて恐ろしい存在となる。
少年は外見を維持したまま精神的成長を続け、実年齢はもう壮年から初老へと移り変わる頃である。
だが普段はあくまで少年を演じ続けている。
そしてその背伸びしない子供らしい素直さがさらに好印象を与え、気が緩んだ相手は彼に対しさらに大きな隙を見せる事になる。
子供に見られる事を、劣等感ではなく武器としている者だからこそ出来る芸当なのだ。

彼の名前は、正確には伝わっていない。
二十年程前からの伝説である彼について三人称で呼ぶ際、同業者達はその名声を尊重した通称で呼んでいたからである。
やがて、三つの単語で言い表していた彼の通称が、長すぎて呼びにくいためにその頭文字で呼ぶようになる。
そして時が経つうちに頭文字の意味も忘れられ、彼らの間ではその三文字“D・E・W”を人名の綴りとして読むのが現在の主流となっている。

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