シレジア王国北部シグルド軍幕舎――。
戦闘は既に開始されていた。
春までに決着を付けたいと言う敵味方の利害が一致していたために、戦端が開かれるのにきっかけは必要としなかった。
ラーナ、シグルド、ダッカー、マイオスの四者のうち、王国中央部を東西に走る山脈によって、北部のシグルドとマイオス、南部のラーナとダッカーと言う組み合わせで各個に戦うと言う図式が成立していた。
その中でシグルドは快進撃を続ける一方で、手持ちの軍の一部をラーナへの援軍としてシレジア城に向かわせていたのだが――。
「……断られた?」
だがシレジア城へ向かう途上の橋にて、ラーナ指揮下の守備隊によって追い返されてしまったのである。
「我らに不安無し、よって貴軍はトーヴェ城に全力を注がれたし――との事でございます」
「……存外に信頼されていないと見える」
援軍部隊からの使者の説明に対し、シグルドの表情は珍しくも不機嫌を表現した。
シレジアに向かわせた援軍はトーヴェ城攻略に参加する必要がない余剰部隊で編成されており、戦力を分割して各個撃破される愚を犯す可能性が無いようにしていた。
でありながら断られたとあっては、シグルド軍全体の戦力が甘く見られている事になる。総指揮官であるシグルドにとっては気分の良い話ではない。
「……了解した、命令あるまでそのまま橋の西詰で待機するように伝えよ」
「はっ!」
即座に表情を戻し、使者を返したシグルドは幕舎の来訪者達を見回した。
ノディオン王妹ラケシス、エッダ公クロード、シレジア王太子レヴィン――これにシグルド本人を加えた四名が、シグルド軍の最高決定権を持つと噂される非公式機関“ティータイム”の構成員である。
とは言えこれは当人達以外が勝手に呼んでいるだけで、実際にはそう言う名称の機関は存在しない。単にラケシスの日課に他の三名が同席しているだけであるのだが、このメンバーが揃った場合やはり交わされる会話は和やかな話題とは縁が無いものである。
「……さて、“南”への参戦はトーヴェ城攻略以後となった」
“南”とはシレジア王国を横断する山脈を境にした南側の事で、ラーナvsダッカーの構図を意味する。
「……レヴィン王子、両軍の独力での戦力比はどちらが上か?」
「マーニャならパメラやドノバンには負けないさ。だからラーナも援軍はいらないと言ったのだろうが……そこがヤバいと俺は思うがね」
「同感ですわ、ダッカー公の方から仕掛けるつもりなら勝算あっての事でしょうから」
「グランベルは二年前からダッカー公との連絡を密にしていました。実際に資金援助も行いましたので、屈強な傭兵を集める資金力を有していると思われます。もしかしたらグランベルからの援軍も出ているかも知れませんね」
“ティータイム”の最大の強みは、構成員の国籍が同一ではない点である。これによって多角的な検証を行える点は非常に大きい。アグストリアにおいて現地人のラケシスの意見には信頼が置けたように、今回もシレジア内部の事情に詳しいレヴィンとそれに陰から干渉しているグランベルの中枢部を知るクロードの存在によってシレジア内戦の全体像を見渡す事が出来たので、ラーナはダッカーに敗れる事を弾き出せたのである。
シグルドは個人で稀代の用兵家であるのは確かだが、戦略・政略面でも冴えを見せるのは彼らからの情報あってのものなのだ。
「それではそれまでに援軍に向かうしかありませんわ……トーヴェ城を陥とさないといけないらしいですけれど」
「とは言うもののトーヴェ城は川を利用した天然の堅城、攻略は困難です。どこかで先に渡河して間道を行くべきでしょう」
「この季節じゃ氷の厚さが中途半端だ、舟を浮かべるのも歩いて渡るのも出来やしない。使える橋はかなり上流にあってそこから山道を行くのは時間がかかりすぎる。俺はオススメしないね……ま、シグルドが決める事だが」
最後のレヴィンの言葉の末尾の部分によって、皆の視線はシグルドに集中した。シグルドは既に策を用意していたようで、すぐさま幕舎の外で控えていた伝令兵を呼び入れると、命令と言う形で結論を発表した。
「……各部隊に伝達――作戦に変更無し、このまま東進せよ」
「はっ!」
幕舎から出た伝令兵は命令を伝える事以外は考える必要が無いが、各指揮官はこのまま東進しても川を渡る手段が無い事を知っている。
平時においては跳ね橋が架かっているのだが、籠城策を採ったマイオス公によって上げられてしまっているからだ。
とは言えシグルド軍の指揮官は命令に対して訝しむ事はしなかった。
根拠についての説明は一切無いものの各指揮官の元へはこのような追加の一言が届いたからである。
「……手は既に打ってある、跳ね橋は数日中にも降ろされる」

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