吟遊詩人と言う職業柄、創った恋歌は数知れず、その対象となった女性の数も同様だ。
だから女性を悪く言う事は――少なくとも美人である限り――まずない。
まぁ、気が合わない女と言うのはいる。ノディオンのお姫様が良い例だ。
「女のくせに」とは言いたくないが、女は感情論に走りやすい生き物だから、理性が特に必要とされる政治の世界には向いていない。
知り合いの傭兵が「そこいら辺がまだ子供」と評しているように、実際にあのお姫様は、いつもイライラしている節がある。
アグストリアの覇権を巡って他の諸公と対立していた頃、兄のエルトシャンが一時退場したのをいい事に、シグルドを引き込んで行動を起こした。黒騎士ヘズルの直系であるノディオン王家の悲願がアグスティへの帰還なのはよく分かるが、そのためにアグストリア諸公連合と言う身内の喧嘩に外様を、しかもよりによってグランベルを招き入れたのは、いかにも直情的で思慮が足りない。
結果アグスティ王家を倒したまでは良かったが、代わりに国王も騎士団も失ってしまった。挙句の果てに協力者のシグルドが叛乱を起こしたので同罪扱いされてアグストリアを追われ、今では単なるシグルドの運命共同体になってしまっている。
あのお姫様、頭は切れるが「女だから」理性的になりきれない。男だったら極めて優秀な政略家になれただろうに。ま、あれで男だったらシグルドかクロードのどちらかのタイプ――引っくるめて“嫌な奴”――になっていただろうがね。
「…………ィンや」
何にしろ、女が政治に口を挟むとロクな事が無い、と言う事だ。
「レヴィンや、聞いているのですか」
「……ぁ、おっと、考え事をしていました」
それで、この女だ。
礼儀にうるさいフュリーには考が云々と窘められるし、親がいないシルヴィアには贅沢だと泣かれるので極力はこの呼び方を使いたくはないが、二年ぶりに会ってみると実の母であってもやはり“この女”だ。
「レヴィンや、王太子として生を受けたからにはこのシレジアに平穏と安寧をもたらす義務があるのですよ、そのそなたが呆けているとは何事ですか」
「……平穏と安寧ね」
話を聞いていなかったのは悪いが、俺にも言いたい事が山ほどある。
今のこの国には、平穏も安寧も無い。
この女と、ダッカー、マイオスの両叔父上の三人がそれぞれ対立している上に、シグルドもが加わって一瞬即発の状態だ。こんな時にシグルド討伐とか銘打ってグランベルが攻め込んで来たらひとたまりも無い。だから遠征不可能なほど寒さと積雪が厳しい冬のうちに決着をつけてしまおう、と四者とも考えているだろう。
つまり、このシレジアは早ければ数日中にも本格的な内戦に突入する事になる。
「そなたが二年も国を空けている間に、風使いセティから受け継いだこの地には王家に弓引く逆賊がのさばり返ってしまいました。そなたは亡き父上の後を継いで即位し、ダッカーとマイオスの二人を打ち滅ぼすのです」
「……まるで俺の責任だと言っているようですね」
シルヴィアに八つ当たりして泣かれるのにはもう懲り懲りなので出来るだけ平静を保って帰りたかったのだが、どうやら無理な話のようだ。恐らくこの直後、俺は大声を出す事になるだろう。
「当然です。そなたが王太子としての義務を怠ったためにシレジアの民は苦しんでいるのです」
「自分を棚に上げるな! あんたが全ての元凶だろうが!」
予想通りの結果で、自分を止めなければならない、そんな考えは頭を巡っているがどうにもならない。
「シャガールに恩を売るために絶対中立を破ってフュリーと天馬騎士隊をアグストリアに送ったのは誰だ! 軍事力欲しさにグランベルでは反逆者のシグルドを匿ったのは誰だ! 正当性を主張したくて一度は放逐した俺をこうしてここに呼びつけたのは誰だ! 全て権力ボケのあんただろうが!」
シルヴィアが震える姿が頭がよぎり、感情を抑えられなかった事を後悔したが、発散したおかげで目の前のこの女の表情が怒りのあまり一変したのを確認できる程度に楽になった。
「わ、妾を、母をいったい何だと思っているのですか!」
今、この瞬間はっきりと理解出来た事がある――俺は、この女が嫌いだ。
身内だから余計に、と言うのはあるかも知れないが、俺が出会った中ではこの女が最高に嫌いだ。
俺の哲学として女を悪く言いたくはないが、やっぱり嫌いだ。
「分かりません、“ヒントその1”を下さい」
それに気付いた時、俺は何故か冷静になれた。
ちょっと自画自賛してもいい、悪い意味で洒落た返答が出来たのもそれのお陰だろう。
「だいたい母上は父上の妃なだけで、セティの血統とは関係ない。父上はもういないし俺は留守にしていた……ここ二年間、王家の人間はシレジアに誰一人としていなかった訳さ。だから叔父上達は単にその二年間に余所者が実権を握っているのが我慢できなかっただけだ。あぁ、それ以前に叔父上達は立派に王家の人間か……父上の血の繋がった弟だから。母上と違って」
二人称が母上に戻ったあたり、冷静さが進んでいる。
こうして高圧かつ冷静になって物を見ると、目の前でいきり立っているこの女の姿が妙に愚かしく思えて来た。
純粋に嫌いな人間に対しては、こんなにも冷静に興味なく物を見る事が出来るのか。
――あの時の俺もこんなだったのか。
何となく、シグルドの気持ちが分かったような気がする。
シグルドの視点からでは、あの時の俺はこんな感じで愚かに騒いでいた様に見えていたんだろう。
あぁ嫌だ。もうあの頃の自分には戻りたくなくなった。シグルドに似ているのが少し気に入らないが、馬鹿より遥かにましだ。
「シレジアの玉座が女の政治欲なんかに利用されたくない。だから俺は国王にはならない……風使いセティはともかく、父上に悪いから」
二年前にも同じ事を言ったような気がする。
しかし今度は、俺は責任を回避するつもりはない。
王位を放棄して吟遊詩人になっても、シレジアに平穏と安寧をもたらす義務を背負い続けているのを知ったからだ。
「ま、叔父上達は俺とシグルドが倒してやるよ、もうシレジアが生き残るにはシグルドに勝ってもらう以外に無いんでね」
仮に春を迎えるより前に叔父上達が勝って、シグルドとこの女の首をグランベルに差し出したとしても、矛先を収めるようなグランベルではないだろう。母上の独断専行にせよ、反逆者のシグルドをわざわざ輸送船を出してグランベルの討伐軍から匿ったのはシレジア王国だ。叔父上達がいくら「全てはこの女の仕業です」と説明しても、事情を知らないグランベル側から見れば虫の良すぎる態度に映るだろうし、仮に説明が正しいと知っていても正直に聞き入れたりしないのがグランベルだ。
だから叔父上達が勝った場合、シレジアに未来は無い。
このまま三分割が続いた場合、春を迎えたと同時に軍事介入されてシレジアは滅びる。
つまり残った手段は、まずこの内戦をシグルドとの連合軍が勝利してシレジア王国全体が正式にグランベルの敵国となり、グランベルと戦争して打倒しなければならない。
気が遠くなるほど馬鹿馬鹿しい話だ。自国の独立を守るためだけに他所の国を滅ぼす必要があって、しかもその新領土は全て他人の物になるのだから。グランベルの干渉を払わなければ生きていけないのは分かっていても、何とも不条理な話だ。シグルドが仕掛けた罠もあるだろうが、それもこれも全て女の権力欲が原因だ。
ラケシスはまだ兄の名代としての資格があったが、あの女は完全に意味合いの無い、単なる専横だ。
贅沢な暮らしの毎日に満足さえしていれば、こんな面倒な事にはならなかったんだ。
「レ……」
「あぁ、お帰りはあちら」
何か言いたそうだったので、機先を制してやった。はっきり言って、もう顔も見たくないからだ。
すると何か言いかけて言葉を失ったのか足音だけ高らかにして出て行った。
その扉の閉まり際に手を振りながら「あ、マーニャによろしく」と言ったが、これみよがしに大きな音を立てて閉じられた音のせいで、果たして聞こえたかどうか。
「ふぅ……」
溜息の一つも出たくなる。
結局、シレジアはノディオンの轍を追う事になった。シレジアが生きるか死ぬかは、全て赤の他人のシグルド次第ときている。シグルドを勝たせるために全てを投げ打つ危険な賭けで、しかも勝っても見入りが少ない……まったく、どうしようもないぐらいに良く出来た詐欺だ。

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