バーハラ城――。
ここ数十日、ディアドラに関するレプトールの政治工作はさしたる効果を挙げられなかった。
何しろレプトールはグランベルで最も多忙な役に就いているが、駆け引き相手のアルヴィスは近衛軍指揮官と言う半ば名誉職である。政治工作に注ぎ込める時間の絶対量が違い過ぎたのだ。
いかに権謀術数の達人であるレプトールと言えどこの差を埋める事は叶わず、ディアドラのお披露目に関しては全てアルヴィスに握られる事になったのである。
病床のアズムール王に引き合わせられたディアドラからは聖痕も確認され、彼女は公式の存在となった。
そして翌日には女王となるディアドラの伴侶、すなわち夫君殿下となるべき人物の名がアルヴィスによって発表されたのである。
「奴は正気か?」
その発表を耳にした宰相レプトールはそう呟いた後、そのまま開いた口が塞がらなかった。
何しろ明らかにされた男の名が、他ならぬアルヴィス本人だったのである。
現実的に考えれば絶対にあり得ない組み合わせである。何故ならばアルヴィスとディアドラは、共にシギュンと言う名の女性を母に持つ兄妹だからだ。
グランベルの社交界において、兄妹の結婚例そのものは無くはない。
しかしそれらは全ては母親が違ったために可能だったわけで、今回のように同腹の例では存在しない。
「ふむ……」
レプトールにとっては望外の光明だった。
そつの無いアルヴィスが自滅したように映ったからである。
確かに自らが夫君殿下として君臨するのならば得られる権力の強さは計り知れない。だが、ディアドラの結婚相手が実の兄とあっては道徳的にも政治的にも実現不可能な話なのだ。
クルトが斃れ、他に子がいない以上、ディアドラには子を産む義務がある。
つまり形式的のみでの結婚は認められず、アルヴィスとディアドラでは兄と妹の関係でありながら契らねばならないのだ。無論、道徳的に許容できる話ではない。
血族結婚だと、血が濃くなりすぎて何らかの障害を背負った子が生まれて来る可能性が高くなる。
女王ディアドラが産む子はさらにその次のグランベル王になる以上、政治的に考えれば心身ともに健全でなくては困りものである。
よって、アルヴィスとディアドラの結婚は決して認められるものではないのである。
そしてそれを言い出したアルヴィスの発言権は当然の事ながら弱くなり、宰相職にあるレプトールに委ねられる事になるであろう。
つい先日まで政治的敗北を認めざるを得なかったレプトールだが、ここにきて巻き返しの芽が出て来たのである。

ところが、その青写真を実現させるべく水面下で工作を開始したレプトールの苦労は全く報われなかった。
この兄妹の結婚が、予想を完全に裏切って皆に好意的に受け入れられたのである。
事の原因は二人の共通の母であるシギュンにあった。
絶世の美女であったシギュンは前ヴェルトマー公ヴィクトルの妻となったが、彼女を見初めた王太子クルトが奪ってしまい、そしてその障害となったヴィクトルが毒殺されると言う、王国史上最悪の醜聞が起こってしまった。
王国の沽券に関わる一大事とあっては表に漏らせるわけにはいかない。そこで、偽装工作が施された。
――シギュンは感情を表に出すのが苦手なために夫ヴィクトルへの愛を伝えきれず、ヴィクトルは妻の気持ちを信じられずに他の女性で気を紛らわせるようになった。
傷心のシギュンはクルトに包まれ、それを知ったヴィクトルは妻の裏切りを呪う遺書を残して自殺する――
横恋慕の結果の毒殺が、正反対の毛並みである悲劇の恋物語に姿を変え、王国の威厳は見事に保たれた。
だがそれが巡り巡ってこんなところで裏目に出た。
レプトールが偽造した遺書を核として詩人が肉付けして完成したこの物語は、ヴィクトルの自殺の責任を感じたシギュンが王宮から姿を消すシーンで結ばれている。
しかし、物語は完結しても続きが気になるのが心情と言うものである。
姿を消したシギュンの身体にはクルトとの子が宿っていて、いつの日かヴィクトルとの子であるアルヴィスと巡りあう……そんなハッピーエンドを人々は夢見ていたのである。
それが鮮烈に実現したのである、狂喜した皆の口からは道徳云々が出て来る筈も無かったのだ。
偽装の当事者であるレプトールには、そんな感情は考慮に入らなかったのである。

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