十二聖戦士はその死後、最も新しい世代の神となった。
多神教であるユグドラル大陸において、偉人がその死後に神の座に昇る例は別に少なくない。
だがロプト帝国を打倒し世界を救った彼らの場合、一つだけ特異な点が存在した。
「その末裔も、至高の者であるのか?」
本来であれば否である。
神の座に昇ったと言っても、それは故人の功績を最大限に称えたに過ぎず、言わば諡である。
当然ながら、その子はその称号を受け継ぐ事は出来ない。
だが十二聖戦士の末裔達は、何代経とうとも神の一族である。
これはダーナの奇跡によって十二聖戦士は神の血を宿しており、その子に神器の継承の形でその血統が受け継がれていると言う事情があり、加えてユグドラルの新しき統治者でもある彼らにとって――政教分離は確立されているものの――十二聖戦士の末裔は普通の人間と一線を画している、と言う図式は統べる者としての正当性を明らかにするのに都合が良かった背景もある。
この理論に異論を唱える者は特には存在せず、この構図による政治体制は百年以上の安定をもたらしていた。
それだけに、それが崩壊した場合の反発は限りなく大きかった。

グラン暦745年、ユングヴィ公家が一家総出でブラギの塔への巡礼中、船が嵐に巻き込まれてしまった。
そしてその混乱の中で、聖弓イチイバルの継承者である長女ブリギッドが失われてしまったのである。
ユングヴィ公家に限らず、神を宿した一族として人々の頂点に立つ者達は、その特権と同時にその血を受け継いでいく事が最重要の義務であるのは言うまでも無い。
事故とは言え、それを怠ったユングヴィ家に対する非難の集中は凄惨を極めた。
当主リングは継承者だったので直接的な非難はなかったが、政治的綱引きで大きく遅れをとる事となった。
この大失態によってリングは六公爵家の権力レースにおける勝利の目を失い、やむを得ずバイロンと手を組む道を選ぶ事となった。彼の晩年の「利に聡い小物」と言う評価は、この時に決定したと言ってもいい。リングにとって誰かの甘い汁を吸う以外にもはや没落を防ぐ手段が存在しなかったからだ。
リングに行かなかった直接的な視線は、ブリギッドの代わりに公太子となったアンドレイに全て注がれる事となった。
年齢的には次女エーディンの方が年長であったが、どうせ継承者でないのなら例え年下でも妾腹でも、と男子が選ばれたのである。
アンドレイ個人は公爵家の跡取りとして何ら申し分の無い聡明な人間であったが、イチイバルが使えないと言う一点だけで、彼は劣等のレッテルを貼られる事になった。
バイゲリッターは引き射ちと言う極めて高度で消極的な戦術を用いる以上、その指揮官には人一倍の冷静さが必要とされる。
少年の頃のアンドレイは年齢に不相応なほどの落ち着きを見せていたのだが、彼には冷静ではなく臆病と言う評価が下された。
実際とは異なる評価となったのには理由がある。
例えば――王女ディアドラとの結婚が決まっているとは言え――女嫌いで有名なアルヴィスは、良く言えば清廉潔白で身持ちが固い人物になるが、もし意図的に悪く言おうとすれば女嫌いの理由として彼の趣向と義弟アゼルとの仲について在らぬ噂を立てることも可能である。
シグルドが「……長所と短所は表裏一体」と言うように、賞賛されるか非難されるかはそれこそ紙一重である。
既に実権を握っているアルヴィスを悪く言える無謀な勇気など誰も持ち合わせていないから、彼は常に褒め言葉を侍らせていた。
だがアンドレイは表裏一体のうち好印象の方を受ける可能性を、ユングヴィ公太子でありながらイチイバルを使えないと言うだけで自動的に喪失しているのである。

リングは、バイロンに擦り寄る以外に手段を講じなかったわけではない。
継承者である自分が存命中ならばまだしも、代替わりして至高の者のみに許される六公爵の地位に“普通の人間”であるアンドレイが昇った時、ユングヴィ家は明るい未来を望めるだろうか。
その答が否であるのは言うまでも無い。
リングは、それを何とか打開するために一計を案じた。
その頃、南西の同盟国であるヴェルダン王国のバトゥ王がユングヴィ公領を訪れ、リングにある提案を持ちかけた。内容はエーディン公女とヴェルダン第三王子ジャムカとの縁談である。
表面上はやんわりと断ったが、リングにしてみれば考慮の余地も無い無駄話である。
その理由が十二聖戦士と縁もゆかりも無い蛮族だから、と言うのはあるが、この時のリングはもうエーディンの結婚相手を既に決めていた。
……その相手は腹違いの弟、アンドレイである。
継承者ではなくとも、二人の身体には弓使いウルの血は幾ばくか流れている。
この二人が結婚すれば、生まれて来る子供はイチイバルを使えるだけの濃い血を持ち合わせているのではないか、と考えたのである。
血族結婚ではあるが腹違いの場合はそこまで禁忌にならないし、失われたウルの血の復活が目的とあっては世論も文句を言えない。
この皮算用で本当にウルの血が蘇るのか保証はないが、リングは賭けに出ることにしたのである。
だが話を聞かされても血族結婚に納得できないエーディンは度重なる父の説得に嫌気が差して、半ば治外法権化された空間であるエッダ教の修道院に逃げ込んでしまった。
最高司祭であるエッダ家当主に聖杖バルキリーを受け継がせるべき子孫を残す義務がある以上、仕える司祭やシスターには独身を貫かなければならない義務など別に存在しない。だが修道院に居続けるためにシスターの道を選んだエーディンを強引に結婚させようとすれば、エッダ家と対立する事になる。
何しろブリギッドを失った事は、政治的だけでなく神学上の問題でもある。
ロプト帝国を打倒するために神が与えた十二神器とその血脈は、本来は抽象的概念である神の存在を証明する明確な物的証拠である。
恐れ多い事に、一部なりとは言えそれを“紛失”したとあっては、エッダ教との関係はただでさえ芳しくない。エーディンが必要とは言え強引に結婚させてこれ以上に拗れさせるのはさすがに得策とは言えない。
結局のところエーディンの心情の変化を待つしかできず、この問題はとりあえず影を潜めた。
しかし沈静化したのはこの問題そのものであって、アンドレイの精神には深い傷痕が残った。

アンドレイには味方と言える者が誰一人としていなかった。
他の貴族達は言うまでも無い。
グランベルの社交界において次の世代を担う若き公子達は父親同士の抗争を他所に親交が深かったが、アンドレイに関しては例外であった。そしてお互いが守り支え合う間柄である筈の家族も同様であった。
エーディンと結婚させる手段を採った時点で、父リングは自分の子であるアンドレイ個人を否定したも同然である。
唯一の理解者になったかも知れない義姉エーディンは、自分との結婚を拒んで修道院に籠もってしまった。
多感な時期を、周囲全てが敵である環境で過ごす事になったアンドレイが耐えられる可能性がどうしてあるだろうか。
どこまで逃げても逃げ切れない非難と中傷の雨嵐によって、もともとの臆病な性格は裏返しになってしまった。守ってくれる者がいないのだから、彼は自分で自分の精神を守らなければならないからだ。
だから、彼は自我を防衛するために全方位に対して尖った性格になってしまっていたのだ。
クルト王子暗殺の混乱の中で、アンドレイは父リングを射殺した。
子を子と思わなかった親を、親と思う理由など無い。
周囲の冷たい視線から守ってくれるどころか、そいつらにいい顔をしようと異腹とは言え姉との結婚を勧めてきた。
父親の態度に傷ついたアンドレイの優しい心を、逆転して表に出ている闇の部分が癒そうとした。
復讐と言う形で――。

そして当主の座に就いたアンドレイを待っていたのは、やはり侮蔑の目であった。
対バイロンの勝利は、バイゲリッターの参戦に負うところが大であるが、アンドレイへの褒章はまるで無かったのである。
興味の薄い金品の授与を除いて、アンドレイに与えられたのはユングヴィ公家当主の座に就く事の承認のみであった。
おかしな話である。
確かに公爵位を名乗るにはバーハラ王家の承認が必要ではある。
だが、他の二公爵には王位まで用意されているのに、アンドレイの場合その代替として爵位授与の式典では釣り合いが取れない。
そもそも義姉エーディンが反逆者シグルドに同調している以上、ユングヴィ家の人間と言えばアンドレイしかいない。
つまりどう転んでもユングヴィ家とバイゲリッターを統率するのはアンドレイ以外に存在しなく、戦功の報酬として与えられるのは筋が違うのである。
アンドレイには、“継承者”ならば玉座を与えられるのに相当する戦功を打ち立てても、非継承者には公爵位しか相当しないのだ、と言う論法に映った。
しかもレプトールやランゴバルトは全く別の国の王位であるのに、アンドレイは実際に自分が公太子である自分の領地の公爵位である。親の後を継ぐ、単なる代替わりだけなのにこれだけの労苦を必要としなければならないのか――神器を使えないと言うだけなのに。
アルヴィスにしてみれば父殺しの負い目や混乱もあるだろうから、公爵位を認めてやるので充分だろうと言う目算があった。
彼本人はアンドレイが継承者でない事について特に意識しなかったが、無意識のうちに公爵位は継承者が継ぐと言う価値観に準えていたのだろう、バイゲリッターの功績にこれで報いようとしたのは、知らず知らずのうちに「あくまで特例」と言う考え方が混ざっていたのかも知れない。
少なくとも、アンドレイはそれを察知した。
だから雲上人の世界に踏み込んでも、それでは満足できなかった。
公爵として継承者と横一線となっても、何も変わらなかったからだ。

だからアンドレイは更なる戦いに身を投じている。
イチイバルが使えなくとも誰も何も言えないだけの功績と名声を打ち立て、不当な差別の視線が無くなって、傷ついた彼の優しい心が癒されるまで――。

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