グラン暦759年秋――。
シレジア王国に庇護されたシグルド軍は西端のセイレーン城を与えられていた。
暦の上では秋だが、この北方の地での季節は二段階ほど進んでおり既に冬に突入していると言っても過言では無いだろう。ましてや温暖な気候の土地の出身者が大勢を占めているのだ、「寒い」と言う声が発せられる頻度は真冬そのものである。
しかし軍は凍えるようにじっとしていても、そのまま春を待っている訳ではなかった。
「いよいよだなシグルド、次はランスナイツも力を貸そう」
「……期待している」
シグルド本人に対し面と向かって呼び捨てに出来るのは、軍内部には三人しかいない。
そして彼がその内の一人、レンスター王太子キュアンである。
彼はシグルドとはグランベルの士官学校以来の親友の間柄で、その妹であるエスリンを娶ったので義兄弟にあたる。
太平を過分に満喫していた当時、同盟国であるレンスター王家との婚姻はグランベル内部でも歓迎一色であった。
ところがシアルフィ公家の“計画”は既に水面下において進められており、これが将来に備えた結婚である事を見抜いた者はいなかった。
ヴェルダン王国のグランベル侵入の際、ユングヴィへのシグルドの援軍到着が遅すぎた事についてはバーハラ城内でも随分と議論が交わされたが、このキュアンの参戦が早すぎた事までは目が届かなかった。
ヴェルトマー公子アゼルやドズル公子レックスのように同じグランベルの者の参戦であればまだしも、キュアンは国境を遥か越えたレンスターの王太子である。
たとえどれほど衝撃的な急報であれ、グランベル西部が震源地である以上は正反対の方角にあるレンスターに届くには相当な日数を要する。
仮に妹の嫁ぎ先と言う縁でシグルドが急使を発していたとしても同じである。
どちらにしてもキュアンが知るのは使者が到着してからであり、それから出立して間に合う筈が無い。
いや、正確には不可能ではない。シグルドが急使を発した線で考えれば数字の上では達成可能である。しかしそれが現実的な話であるかと言えば絶対に否であるのだ。
キュアンは地槍ゲイボルグを受け継ぐれっきとした王太子であり、アゼルやレックスのように暇を持て余すような身ではない。
ましてやレンスターはマンスター四王国の一員として南の脅威トラキア王国から視線を外せぬ事情がある。義兄からの急使に驚いたとしても首を縦に振れる筈がない。
では何故にキュアンは参戦出来たのか、答は実に単純である。
キュアンはヴェルダンの侵入を、実際に事態が発生する前から知っていたのである。
シアルフィ家はもともとディアドラを密かな目的としたヴェルダン進攻の正当なる理由を作るために、わざわざ東方大遠征を敢行して隙を見せたのである。その脚本を書いたシアルフィ家であれば、ヴェルダンの“X−Day”を看破していても何の不思議も無い。
つまり、キュアンはあらかじめその日を知らされており、既にその数日前からレンスターを後にしていたのである。そして個人参加ながら無双の武勇を見せ、シグルドの快進撃を大いに支えたのは周知の通りである。
「次はどこで会う?」
「……夏至、フィノーラ」
シグルドはイード砂漠にある城を指定した。
砂漠だから機能的には緩衝地帯と言えるが、立派なグランベル領である。逆賊であるシグルドがそこまで軍を進めると言う事は、グランベル本国に攻め入る意志の現れである。
今まではキュアンの個人参加であったが、騎士団ランスナイツをも派遣すると言う事は、レンスターはシグルドに同調してグランベルに刃を向ける事を選んだ証である。
「その時には再開を祝して648年物を用意しておけよ、シグルド」
キュアンが軽い口調と裏腹に重々しく右手を差し出した。それに対しシグルドの口は冗談を返す一方で、その右手は力強く応えた。
「……バーハラには在庫があるだろう」
無論、グランベル王都であるバーハラ城まで取りに行く意味である。

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