シルベール城、昼下がりのティータイム──。
シアルフィ家に仕えた名軍師スサール卿の嫡孫オイフェにとって、この時間帯は至福の一時である。
昼下がりのティータイムと言えばラケシスが有名だが、最近は毎日シグルドもそれに同席するようになっていた。
主君シグルドは公式の会談ではなく私人としてティータイムを楽しんでいるのだから、当然ながら書記官は同席しないし、オイフェが代わりを務めなければならない必要性はどこにも無い。
これはオイフェの自由意志で行われている事である。
名軍師の血をいかんなく受け継いでいたこの少年は、政略・軍略面に付いて非常に強い好奇心と探究心を持っていた。
シグルドやラケシスもそれを汲み取ってくれているのか、シルベール城攻略の当日からティータイムを同伴し、それを一日たりとも欠かしていない。
「……ディアドラは行方不明となった。恐らく敵の手に落ちたと思われるが、貴女はこれを知ったエッダ公がどう動くと見られるか?」
「公にとっては旨味がなくなりましたが御心配には及びませんわ。公はこの大事な時期に国を空けたのですもの、何食わぬ顔でグランベルに戻っても座るべき椅子はもう劣化していましょう、選択の余地は無いかと存じますわ」
──これは、その間は本国での政治工作を疎かにしていたから、って事だ、うん。
そう答えてからラケシスは優雅な動作でティーカップを口元へ運ぶ。オイフェはその間に速記を追い付かせ、行頭に解読済を表すチェックを入れる。
オイフェにとって、シグルドとラケシスとが交わす会話は最高の教材である。何しろこの二人が集えば、会話の全てが好奇心を大いに刺激するものばかりになるからだ。
「……それにしても見事な演技だった。貴女には役者への転向を勧めたい」
「アレスが成人するまで、ノディオンは私が統治しなければなりませんもの、興味は湧いても実践する訳には参りませんわ。それにそもそも支配者には腹芸も必須です、わざわざ特筆されるような事でもありませんわ」
──演技……?
当初は速記の最中は記録が精一杯で、自分の時間である夜中に記録を読み返した時に初めてその意味するところを理解できた。
だが最近は地図と年表と過去の記録との睨み合いを続ける必要も激減し、それどころか記録しながら物事を考える余裕も生まれていた。
ところが久しぶりの難問の登場である。オイフェにはこの演技が何を指して言っているのか全く分からなかった。
──演技って、何の事だろう……?
「ところで、あの脚本の必要性を伺いたいですわ」
「……王が騎士を捨てて逃亡したとなればノディオン王家の権威は失墜する。クロスナイツの忠誠を取り戻す為にはあれぐらいの芝居は必要であろう」
「あれが演技!? あ……も、申し訳ありません……!」
オイフェは思わず声に出して驚いてしまった自分に気が付き、慌ててそれを詫びた。
それを受けてシグルドは横目を、ラケシスは口元に運んでいたティーカップの陰から覗くそれを、無言で元の角度に戻した。
「閣下が憎まれ役でもよろしいですの?」
「……アグストリアの統治権はノディオンが握るのだから、私に非難が集中しても問題は無い。むしろそれでエルトシャンへの非難を逸らさせる事が出来るのだから逆に好都合と言うものだ」
「兄は民にどう扱われますでしょう?」
「……長所と短所は表裏一体、解釈の違いでどうとでも受け取れる。エルトシャンは騎士道にかぶれて王の責務を怠った暗君に過ぎないが、裏を返せば最後まで騎士の誇りを捨てなかった高潔な人と位置付ける事も可能だ。だから今しばらくは情報操作を続ける必要があるだろう」
シグルドとラケシスの会話は続くが、オイフェの速記は止まっている。驚愕が頭の中で暴れていてそれどころではないのだ。
今までも二人の辛辣な言葉に不快感を覚えた事が何度かあったが、政治の世界はそう言うものだと分かっていたので苦々しくも飲み込んで来た。だが今回ばかりは簡単には喉を通らなかった。
──あれが、演技……。

「騎士の命は王家のもの! ならばノディオン王妹たる私の命で引き換えが可能でしょう! どうかこれで彼らの咎を……!」
あの時、シグルドの掃討戦の命令を遮る形でラケシスは間に割り込んで、そう叫びながら鈍く光る白銀の短剣を掲げた。
それによって我に返ったクロスナイツの制止によって、短剣が姫君の首元に向けられるのは阻止された。
シグルドは──その姿に心動かされたと言う事は無いだろうが──彼らを赦し、家に帰した。
……と、オイフェの目には映っていたのだが、それは完全に偽りで実は全て計算された事だったのである。
──それではエルトシャン王も……?
オイフェは直にその光景を見てはいないが、エルトシャンはラケシスの和平の説得によって馬首を巡らしたと言う。
しかしシャガールを説き伏せるべくシルベール城に戻っても、処刑されるの落ちであるのは目に見えており、事実そうなった。
妹がのうのうと敵軍に属している男の和平の言葉を聞き入れる人間が果たしているだろうか、答えは絶対に否である。シャガールも当然のごとくエルトシャンを反逆罪で処刑したが、無論の事それは極めて正当な裁きであった。
兄を帰した結果がそうなる事を予想できないラケシスではないだろうから、兄に対する彼女の説得は確信犯であったと言える。つまりラケシスはエルトシャンを涙混じりの名演技で間接的に葬ったのだ。

オイフェが驚愕から立ち直った頃、ティータイムは既に終わっていた。
既にラケシスの姿はなく、慌てて途中で記録が止まっている紙の束をまとめているうちにシグルドも退出しようとしていた。
「シグルド様、待って下さい!」
シグルドが待って下さいと言われて待つような人間ではない事はオイフェも承知していたが、この時だけは待って欲しかった。
どうしても腑に落ちない疑問──それに感情を伴っていたから、あるいは怒り──を晴らしたかったからである。
「お話があります!」
シグルドやラケシスの言動を鑑みて、指導者は私情を優先させてはならない事は理解していた。
だがそうとは言え、それだけでエルトシャンを葬る事が出来るのだろうか。シグルドにとっては親友で、ラケシスから見れば兄である。だが二人とも友情や兄妹愛を微塵にも露にせず、それどころか親友を暗君と決め付けたり実の兄を犬扱いしたりしていた。
いや立場上、そうしなければならないのは分かっている。
でも、心の内では泣いていてほしい──。
オイフェは毎日ティータイムに同席しているが、そんな気配は全くなかった。
それは話し相手がいるからであり、気に留めたりしないがオイフェが同席しているからだと思っていた。いや、思いたかった。
「シグルド様やラケシス様は、本当にエルトシャン陛下を悼んでおられないのですか!」
そんな願いを確認したくて、こうして呼び止めたのだ。
その問いに対しシグルドは明確な回答は行わなかった。代わりに、扉を閉めてしまう前に一言だけ残した。
「……もっと非情になれ、まだまだ甘いぞ」

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