バーハラ城──。
グランベル王都であるこの城には、六公爵専用の円卓が設けられた会議室が存在するが、この部屋が設置された理由は明らかではない。
聖者ヘイムがグランベル王国を興した際に設置されたのは確かだが、その用途が不明な上に、実際に使用された事もほとんど無い。
確かに六公爵は円卓が相応しい同列の存在であるが、各々はそれぞれの役職に就いている。しかも顕職ばかりであるから、そんな彼らが一堂に会する機会など滅多にある筈が無いのだ。
だがこの日、十数年ぶりに六公爵が招集されることになった。
国王アズムールが病に伏せるようになり、そして王太子クルトが故人となった。つまり現在のグランベルは最高決定権を持つ者が存在しなくなってしまった状態なのである。
やむなく緊急措置として、六公爵による合議制と言う政治体制が敷かれる事となったのである。
だが、六公爵が座るはずであった円卓の椅子は何故か二脚も余った。その一つが“逆賊”バイロンのものであるのは明らかだが、もう一つ空席があるのだ。この席にはエッダ公クロードが座る筈なのだが、彼はこの時グランベルにはいないのである。
「クロードの奴はどうした?」
ユングヴィ家の新しい当主であるアンドレイが、空席の一つに向かって一瞥をくれながら吐き捨てるようにそう言った。
他三名の出席者は、クロードに対するアンドレイの年上への礼を欠いた発言を口に出して咎める代わりに、眉をひそめて不快感を露にした。
アンドレイは極めて異例の当主である。十代の当主も珍しいが、それ以前に神器の正統継承者ではない者が当主の座に就くのはグランベルでは前代未聞の話である。
「エッダ公は、ブラギの塔へ神託を受けに向かったそうだ……いや失敬」
ヴェルトマー公アルヴィスがそう答えたのは、アンドレイに対する嫌味である。
そもそもユングヴィ家には聖弓イチイバルを受け継ぐべき人間が存在しない。十余年前、聖地ブラギの塔への巡礼中に航海中の巡礼船が難破し、その際に弓使いウルの血の継承者である筈の長女ブリギッドを失うと言う痴態を犯していた。これについては国内の貴族や史学者、神学者等から容赦の無い罵声を浴びせられる事になったのは言うまでも無い。
アルヴィスはその曰くの地であるブラギの塔の名を出してしまった事を一応は詫びたが、これは確信犯であった。
潔癖症の傾向があるアルヴィスは本来はこのような醜い争いは好まないのだが、それと政治的な駆け引きとは別問題である。
「この非常時に何を考えているのだ、あのエセ宗教家は」
アンドレイがもう一度吐き捨てた。
エッダ公クロードは、エッダ公家当主とエッダ教最高司祭との二つの顔を持っている。顕職に就いている訳ではないが、六公爵家当主としての影響力は決して小さくない。宗教家でもある彼が政治に口出しするのは確かに良い傾向とは言えないから、その面で“エセ宗教家”と言うアンドレイの指摘は正しいのだが、その言葉に毒があったために周囲にさしたる感銘は与えられなかった。
「エッダの神託は全てを明らかにすると言う……バイロンによるクルト殿下弑逆の詳細や、亡きリング卿の“戦死”の所以などもな」
実際には“戦死”ではなく“暗殺”である。何しろ、リングの死因が子であるアンドレイによって暗殺されたと言うのは周知の事実であり、そもそも本人も“父殺し”を高らかに宣言しているのだ。
それをわざわざ“戦死”と皮肉を言うあたり、アルヴィスの返答からは悪意が窺えた。
「言いたい事があるのなら言えば良かろう!」
けたたましい音が鳴り響いた。アンドレイが円卓を強く叩いたからである。
これに対し、寝ているのではないかと疑われそうなぐらいに静寂を保っていたランゴバルトが初めて口を開いた。
「要は早くユングヴィを纏めぃ、と言う事だ」
「くっ……!」
アンドレイは、腕を組んだまま顔も伏せたままで寝言を言ったようにも見えるランゴバルトを睨み付けたが、返す言葉が無かった。
弓騎士団バイゲリッターは一応の落ち着きを見せるようになったが、ユングヴィ公領内ではまだまだ不穏な動きもある。血気にはやるアンドレイと言えど、現状ではシグルド討伐にユングヴィが参加できる状態ではない事までは否定できなかったのである。
「貴公には自領の治安維持に専念してもらう、それで良いな?」
「ふん、とんだ茶番だ……!」
レプトールの評決に腹を立てたアンドレイが椅子から立ち上がり、そのまま退席してしまった。確かにわざわざ四公爵が会した割には大した事は論じていない。他にはシグルド討伐を目的としたアグストリア遠征の概要を説明されたぐらいで、結局は宙ぶらりんになっていたユングヴィ軍の参加の是非が決定されただけである。
その様を横目で見送ったレプトールは、今度はアルヴィスの方に視線を向けた。
「貴公らしくないな、あのような茶番劇は」
アルヴィスは何事にも無関心を装う。ヴェルトマー家当主として、あらゆる物事から一歩距離をとって絶対に敵を作らない事で今まで中立の立場を守って来たのだ。それ故に、先ほどのアンドレイ相手の辛辣さはアルヴィスらしくない、とレプトールには見えたのである。
それに対してアルヴィスは生真面目な顔で答えた。
「手っ取り早く退場させる方法が他に思い付かなかった」
その回答にランゴバルトが豪快な笑い声を木霊させたが、彼はすぐさま神妙な顔付きに戻った。
それを確認したレプトールが二人にこう告げた。
「それでは本題に入る」
三公爵にとって、アンドレイと言う存在は決して同列ではない。
ユングヴィ家宝である聖弓イチイバルの継承者ではないと言うのも大きな理由だが、それ以前にアンドレイが“父殺し”である点である。
戦闘中どさくさに紛れて父親を暗殺するような人間を信用できるか、と聞かれて首を縦に振れる者が果たしているだろうか。
そして否であるから、三公爵はアンドレイを政治の中枢に迎える事を拒んだのである。
一方で、弓騎士団バイゲリッターは三公爵も認める強大な存在である。
アンドレイ個人は小物に過ぎないが、彼は強大な騎士団を統べている。いくら危険な男だからとは言え、アンドレイからバイゲリッターの指揮権を剥奪する事は出来ない。
後任に適した人物が他に誰もいないのも理由の一つだが、それ以前にアンドレイを遠ざけようとしてバイゲリッターを敵に回す事だけは絶対に避けたいからだ。
だから、表面上は“バイゲリッターとその指揮官”を温かく迎え、その陰でアンドレイ個人に対しては冷笑を浴びせる事にしたのである。そんな事をすればいらぬ反感を買う事にもなりかねないようにも見えるが、実は何の問題は無い。
何しろこの時のグランベルにおいて、彼に対して冷笑を浴びせない人間の方が絶対的少数だからである……。
「クロードをどうする?」
そして、ここからは政治の中枢の話である。建前としてアンドレイも召集したが、実際には同席されたくはなかった。この話を討議する為にはアンドレイに退出してもらわねばならない。だからアルヴィスはらしくない芝居を打ったのである。
さて、彼らにとって“夫君殿下”の最有力候補であるクロードが、この時期にグランベル本国にいないのが大きな問題となった。
ブラギの塔へ向かったと言う事は、その途中でシグルドと接触する可能性があるからだ。
そして万が一シグルドに捕らえられた場合、容易に救出できない。何しろ“女王”ディアドラを優先させねばならないのだ、その際にはクロードまで手が回らない事も充分に考えられる。
もしもそうなれば女王の夫には別の人間が選ばれる事になるが、身分・才覚・未婚の三大条件を兼ね備えた候補者にはクロードの他に心当たりが無かった。
身分の低い者ではバーハラ王家の品格が落ちるし、才覚の無い者が共同統治者になってしまっては今後が危うい。そして女王を妻とする男が既婚では問題外である。
勿論クロードの救出に成功すれば問題は無いのだし、それ以前にシグルドに捕らえられなければ済む話である。だが最悪の場合を考慮に入れないわけにも行かないのだ。
……結局は、その場合の責任の所在を明らかにする事だけに終わった。その場合は基本的に実兄であるアルヴィスの推薦に従う、とだけ決められたのである。
大仰に始めた割にはさしたる成果を出していないから、アンドレイの言う通りこれも茶番なのかも知れない。だが、僅か一日の論議で決定される政治の方が本当は危ういのである。
どちらにしろ、まずは女王救出とシグルド討伐である。
討伐軍の編成は、経験豊富なランゴバルトを総指揮官とし、レプトールのフリージ軍を加えた二個軍団と決定している。
敵は王国史上最高の戦功を打ち立てた天才指揮官シグルド、それに加えドズル軍は先の戦いで戦力を消耗しているなどいくつか不安な点もあるが、レプトールは大勝利に太鼓判を押していた。
シアルフィ家がアグストリア地方の南半分を掌握して現地に役人を送り込む際、フリージ家は密かに多くの間者をそれに紛れ込ませていた。
時が来るまで一切の“行動”はしないように厳命しているから、その存在が露見する恐れも無かった。
様々な扇動・破壊工作を捨ててまでその一時を選んだのが実を結んだ。
今や命令一つでアグストリア地方全城で混乱の渦の中に落とさせる事も可能である。いくらシグルドと言えどもこの状態で戦争など出来る筈も無いからである。
とにかく、全ては討伐のための遠征が終わってからである。
クロードがいない場合の政治体制はその時に考えるべき話であるし、最悪の場合はアルヴィスの推薦に委ねると大まかな指針も決めた。少なくともこれで、クルト暗殺に関わる混乱は全て収束に向かう筈である。

協議が終わり部屋から出ると、一人の女性が控えていた。
三公爵はそれがヴェルトマー家に使える女将軍アイーダだと知っていたので、レプトールとランゴバルトは先に廊下を北へと去って行った。
残ったアルヴィスに、アイーダは聞いていないふりをしている警備兵の耳にも届かないような小声で用件を伝えた。
かねてから関係が噂されている二人であるから、傍にいた兵士達はわざわざ聞こえないようにして交わされる会話の内容を勝手に想像していたが、それは完全に誤解であった。
「マンフロイから報告が入りました……成功です」
アルヴィスも小声で応える。
「ディアドラは?」
「ヴェルトマーに……」
「分かった、後で行く」
一礼してアイーダは廊下を南へと去って行った。
その姿を見送ったアルヴィスは今度は反対方向を振り向いた。
長い直線の廊下だが、もうレプトールとランゴバルトの姿は見えない。
彼らは今度はアグストリアへと遠征する。
逆賊シグルドの討伐と、そして既にそこには姿の無いディアドラを救出するために──。
アルヴィスは一言だけ呟いて、その場を後にするべく歩き出した。
「……確かに、とんだ茶番だな」

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