数十年前からこのオーガヒル近海は、聖地ブラギの塔へ向かう巡礼船、しかも大陸中の裕福な者ばかりが現れる垂涎の海である。
当然の事ながらそれを狙って無数の海賊団が集うのだが、彼らはお互いの獲物は横取りしない、と言う暗黙の掟をよく守っていた。
それどころか、この近海を領海としているアンフォニー王国に対しての付け届け──つまりショバ代──を怠る事も無かった。
言ってみれば、彼らは海賊として極めて礼儀正しい、正統派としての海賊だったのである。
即位したばかりで、後に気前が良い事で有名になるアンフォニー王マクベスは──無論、密かにだが──彼らの“漁業”を快く認めており、彼らには後ろめたい事など何も無かった。
ところが、二十数年前の頃に変化が現れた。
ここを漁場とする海賊団が増えれば増えるほど、各々の利益が小さくなるのは当然であるのだが、それに我慢出来なかった一部の海賊団は、新たな商売を始め出したのである。
その商売とは、巡礼船を襲うのではなく、同業者である筈の海賊から船を守る事で護衛料をせしめると言う阿漕なものであった。しかもその裏では、護衛料を拒んだ巡礼船に対しては容赦の無い攻撃を浴びせると言う、脅迫まがいの事も行っていたのである。
この新商売には絶対的な利点があった。確実に客が見つかると言う事である。
何しろこの危険な海域での航海の無事が確保され、海賊に襲われるよりも出費が少なくて済むのである。巡礼者達には護衛を頼むより他は無かったのだ。
船に積まれた財宝を軒並み接収するのではないが、回転率の高さを重視した薄利多売で大儲けを狙った商売だと言えよう。
新たな商売が生まれれば、それに関連する商売が登場するのは自然な流れであった。護衛を頼む習慣が浸透するようになると、今度はその斡旋料で儲けようとする輩がアグストリア沿岸の港に出没するようになったのである。そして海賊に関する詳しい情報を持っている彼ら仲介業者もまた海賊であるのだ。
言わば、海賊が海賊以外の行為を生業とするようになる時代が来てしまったのである。
これは由々しき事態である。
海賊には海賊なりの名誉があり、天職としての誇りがあった。
例えて言えば、騎士仲間が騎士以外の行為を生業とするようになったのを見て、嘆かずにいる事が出来るだろうか?
しかもあろう事か、巡礼船から護衛料をふんだくって儲けるような阿漕な連中が“義賊”を称しているのである。
「海賊の風上にも置けない奴ら」
こう言う評価が固定したのは至極当然の結果であった。
そして義賊を名乗る偽善者達の中でも最も有力な一団が、ついに海賊としての誇りを完全に捨てたのである。
彼らは根拠地であるオーガヒル島を冠した家名を名乗り、アグスティ王家に擦り寄ってアグストリア海軍の旗を掲げたのである。
本来の海賊には俗世の権力欲など無い。
十二聖戦士の伝説の陰に隠れてしまっているが、ロプト帝国の支配の時代においても彼らの祖先はユグドラルを取り巻く海、すなわち自らの天地を守り通したのである。
海に棲もうが山に棲もうが、自由気ままに生きるのが賊ではなかったのか。
勿論、生きる為にはカネは必要であり、俗世と交流するのは避けようが無い。だが俗世に媚びるような事はあってはならない筈である。
だが政権に擦り寄りアグストリア海軍として指揮下に入り、国庫から出た莫大な軍資金を元手に強力無比な艦隊を作り上げたオーガヒル一家に対して具体的な「思い知らせてやる」手段が存在しなかったのも事実なのである。
とりあえず本来の海賊像を守る昔気質の海賊達は手を組み、オーガヒル島西部に根拠地を築いて対抗の構えは見せる事にしたのだが、しかしそれでもなお劣勢は覆しようが無かったのである。
だが、そうして睨み合いが続くようになって数年が経つと転機が訪れた。グランベル軍によるアグストリア侵攻と、オーガヒル一家の頭目の急死である。
天罰が下された──海賊達が狂喜したのは言うまでも無い。
しかも代替わりして継いだのが女とあっては、彼らの間に即時開戦を求める強硬論が持ち上がって支持を集めたのは無理も無い話であった。
しかし、それはすぐには実行には移されなかった。それよりも、アグストリアの新たな主となったグランベル軍の方に注意が向けられたのである。
何しろ、彼らの縄張りを守ってくれるのかは死活問題である。
アンフォニー王マクベスは海賊行為は認めてくれたが、今度の主がそうであるとは限らないからである。
マクベス王は見た目通りの太っ腹な人物であったが、今度の主である青髪の指揮官は気難く融通が利かなそうな印象を受けた、と言う目撃者の証言もあった。
もし彼が浮世のしがらみが分からないお坊ちゃんだった場合、海賊の一掃などと言う暴挙に出るかも知れないのである。
いや、それだけならば大した問題ではない。海賊をやっていれば討伐艦隊が差し向けられるぐらいは承知の上であるし、勝つ自信もあった。
それ以上に彼らを危惧させたのはオーガヒル一家の動きであった。
アグストリア諸公連合が斃れて後ろ盾を失えば、今度はグランベル軍に擦り寄る事は十二分に考えられたのである。
しかし具体的な妨害工作の当てがあるわけでもなく、彼ら海賊達に出来る事は──こんな事はしたくなかったが──先に自分達を売り込む事ぐらいだったのだ。
「……海には興味が無い。我が軍の上陸作戦を支援してくれれば、それで充分だ」
幸いグランベル軍の指揮官シグルドは、こう答えてくれたのだ。つまり、オーガヒル討伐の為の上陸作戦の援護さえ行えば、いくら暴れ回ろうが感知しないと言うのである。
もっともシグルドの視点から見れば、オーガヒル一家のように正面から敵対して来るわけでもない相手を討伐するほどの余裕は無く、黙っていれば場代としての収入が得られるとあっては、つまらない正義感を露にする利点など無かっただけなのではあるのだが。

とにかくグランベル軍を引き入れ、オーガヒル一家への対抗策は全て揃った格好になる。
「……四日後に上陸作戦を行うゆえ、援護を要請する」
不覚にも根拠地はオーガヒル一家の小部隊の奇襲を受けて混乱状態に陥っていた。その実行犯であるブリギッド本人も取り逃がすと言う失態も演じるあたり、シグルドが彼らを高く評価しなかったのは正解と言えよう。
それでも懸命に混乱を収拾し、四半日遅れたとは言え艦隊を派遣したのは彼らなりに努力したのであろう。
「行くぜ野郎ども! 袋叩きだ!」
ところが指定された海峡で待っていたのはオーガヒル艦隊との鉢合わせであり、“レッグリング”ピサールのこの号令であった。
ユグドラル大陸では特定の能力が傑出した部隊を“〜リング”と呼称する習慣がある。ピサールの場合は行軍速度において他の追従を許さない故にこう冠されているのである。
看板に偽り無く、海賊達にとって信じ難い速度で包囲を完成させたオーガヒル艦隊は、四方から海賊艦隊を押し潰した。
──こ、これはどう言う事だ!?
海賊達はそれぞれ海の藻屑と消える直前にそう考えたのだろう。
何しろ、この場にはシグルド率いるグランベル軍はいなかったのである。艦隊の到着が四半日遅れたとは言え、それに耐えかねて帰ってしまったわけではないであろうに。
もしもこの時、海賊達とピサールとがお互いの情報を交換できれば、この疑問は晴れ、彼らお互いが騙されていた事を知るだろう。

だがシグルドは海賊達に対して嘘は付いていなかった。詭計にこそ陥れたものの、確かに「……我が軍の上陸作戦の支援」以外の事は強制しなかったのである。
具体的には、シグルドは「四日後に上陸作戦を行う」と言う情報を、オーガヒル一家に対しても流していたのだ。
オーガヒル島の東と西でそれぞれ“四日後”に向けて万全の準備をさせておいて、シグルド率いる軍はのうのうと“二日後”の深夜に上陸したのである。

Next Index