アグスティ城――。
グランベル王国は、アグストリアに駐留するシグルド率いる叛乱軍に対してドズル公ランゴバルトを指揮官とした討伐軍を派遣した。しかしその結果は決して芳しいものではなかった。
そもそも今回の遠征の目的は三つあった。叛乱軍の撃滅、アグストリアの掌握、ディアドラ王女とエッダ公クロードの保護の三項目である。
このうち達成できたのは二つ目だけであり、残りの二つは全くの手付かずで残されたのである。
「いないものは仕方が無いわい」
事後処理の為にアグスティに姿を見せたレプトールは、ランゴバルトのこの居直った弁解を素直に受け入れた。
討伐すべき対象である叛乱軍は既にアグストリアから姿を消しており、ディアドラとクロードもまた行方知れずなのは事実なのである。
いない相手と戦争出来る筈も無いし、ランゴバルトに諜報活動を期待するつもりも無かったので、これ以上の結果は残しようがないだろう。
さてランゴバルトには治安を回復させるために軍を率いて各地を回させる一方で、レプトールはアグスティ城に残って多数の面会者との対応に追われていた。
地元の有力者にとっては、シグルドの叛乱の協力者と思われてはたまらない。だから必死になって自分の無実とグランベルへの忠誠を述べに現れたのであるが、対応するレプトールには迷惑な話である。
彼ら一人一人は必死かも知れないが、それを聞くのも一人きりなのである。
この件はシグルドに協力した事になるのか、あの時は命令だったから仕方が無かったのだ等、全てが別件であり一括して話を聞く事が出来ないだけに始末が悪い。
かと言って面会を拒めばいらぬ噂を立てる事に成りかねないので、レプトールは断る事も出来なかったのである。
「政務中にてこのままで失礼させて貰う」
やむなくレプトール中は目と耳を分離し、来訪者の言葉を聞きながら全く別の書類に目を通す、と言う離れ業を披露する事にしたのである。真面目に聞いてくれていないのでは、と相手に不安を与える可能性が大であるが、その点に関しては最後に話の要点を完璧に述べる等で何とか解消していた。
辟易しつつも笑顔で応対する彼らとは違い、それよりもレプトールが心から望む面会人が他にいた。以前からアグストリアに潜入させていた間者である。
「一割未満だと?」
報告を受けたレプトールは自分の耳を疑った。
この数字はシレジア王国へと逃亡した叛乱軍のうち、脱落または追従を拒否した者の割合である。
確かにアグストリアで討伐できれば最上だが、シレジアに追い落とすのも半ば予定通りではあった。
シレジア王国は王位継承問題で揺れており、前王弟のダッカーとマイオス、そして前王妃ラーナの三者が空いた玉座を巡って激しく対立し、内戦突入寸前の状態にある。
三者の実力には多少の差があるものの自力で残り二者を相手に出来るほどのものではなく、状況打開を狙って国外と手を結ぶ動きがあった。
現に、半島であるシレジア王国の出口を抑えるダッカー公はその地の利を生かしてグランベルとの接触を図っている。とは言え、内戦中のグランベルにはその片手間でシレジアに出兵するほどの余裕は無かったので、レプトールは無視していた。
ところが、前王妃ラーナが叛乱軍首謀者シグルドを抱き込んだ事実があれば話は別である。
グランベルはダッカー公の要請に応じて、堂々と出兵して逆賊シグルドとその協力者ラーナを討てば、それと同時にシレジア制圧が達成されるのである。
レプトール自身は領土的野心には乏しいが、大陸統一は全てのグランベル人に共通する変わらぬ夢である。
今までは国内の負担、その他の周辺諸国への影響も考えて“自重”していたが、グランベル国内の騒動の解決が版図拡大にもなるのであればこの上なしなのである。
「一割未満か……」
ただ、叛乱軍をシレジアに追い落とす際に兵力をどれだけ削げるか、と言うのは大きな問題である。
報告によると、末端の兵士にはかなりの動揺が見られたが、部隊長クラス以上においては全くその兆候は見られず、さも当然の表情をして輸送船に乗り込んで行ったと言うのである。
指揮官が堂々としていれば兵士は安心するものであり、最終的には兵士達も船に乗った、つまり正式に叛乱軍に参加したのである。
無論の事、叛乱軍の中にも間者を紛れ込ませており、内部分裂を誘うように命令を出していたのだが、どうやら全く意味をなさなかったようである。何しろこうして報告が届いたのだから露見して捕らえられたのではない以上、工作そのものが行われたのは確かであり、現に末端の兵士達には効果があったのだから。
しかし叛乱軍は多国籍に及びトラブルが絶えない筈の陣容であるにも関わらず、その結束は岩よりも固かったのである。
てっきりシグルドはバイロンの命令を受けて戦っていただけの、軍事に偏った人間であるとばかり思っていたレプトールにとってこの“一割未満”と言う結果は完全に計算外である。
レプトールは三〜四割と踏んでいた。
討伐軍の追撃から逃れるため説得している時間など無いであろうから、これぐらいの数字は出るだろうと読んでいたのだ。脱落者が三割以上となると、残った七割も何らかのわだかまりを秘めたままであろうから今後の対応は非常に楽である。
しかし一割未満となるとそうも行かない。そのうち重傷を負って動けず置き去りにされた者を差し引けば、その数字はますます低くなる。そして九割以上が残ったとなると総意と見るべきであろう。
「……」
レプトールは宰相として、叛乱軍追撃を断念した。
特に戦闘が無かったにしてもアグストリア遠征は立派な遠征である。
イザーク、アグストリアと大陸の東西それぞれの端まで進攻し、そしてまた海を越えてシレジアまで遠征するのは、兵士達の負担を考えれば非現実的な話である。
逆に言えば、ヴェルダン、アグストリア、そしてシレジアと転戦するにも関わらず――何を言ったのか知る由も無いが――兵士達を統率し続けるシグルドの将器は恐ろしいばかりである。これでは無理をして海を越えても討伐軍は返り討ちになるのが関の山であろう。
ここはアグストリアを完全に掌握し、優位性を保っておくのが最上かつ唯一無二と言う結論に達したレプトールは、別の問題に思考を切り替えた。
ディアドラとクロードである。
報告によると、クロードはシグルドと共に――自らの意志でどうかは不明だが――シレジアに渡ったのはまだ良いとして、ディアドラに関しては何と行方不明と言うのである。
クロード不在の場合は対処を考えていた。
一応ディアドラの実兄にあたるアルヴィスの推薦に従う事にはなっていたが、その後レプトールは新たな候補を見つけ出していた。精悍さと聡明さを兼ね備えていると――地元でのみ――評判のクロノス候である。
ユングヴィ公領のさらに南にはミレトス地方と呼ばれるグランベル領土があり、クロノスはその南東部にある。
そもそもミレトス地方は版図内であるが自治区域であり、グランベル国内の政治の中枢には全く関与していない。しかし彼らはそれぞれミレトス・ラドス・クロノス・ベルルークの四城を治める者達であり、当然の事ながらグランベル領を治めるにはそれだけの権威が必要と言う事で候爵位を与えられている。
つまりクロノス候は、格式だけは六公爵家に近しいほど高く夫君殿下の地位に申し分無いが、グランベルにおける実権は無きに等しいのである。何しろ宰相であるレプトールでさえ見落としていたほど知名度が低い人物なのである、彼を玉座に据えたとしても彼に対する影響力を持っている陣営など皆無であろう。
加えて両親は共に死別しており外戚の恐怖に怯える心配も無いと良い事ずくめなのである。
……と言う事で、本来の候補者であるクロードの保護が失敗に終わった場合の用意は完璧であったのだが、肝心のディアドラが行方不明であっては完全に画餅である。
詳しく報告を聞くと、所用でアグスティ城を出たが目的地であるマディノ城に到着する事無くそのまま姿を消し、シグルドも大人数の捜索隊を出した。息絶えた護衛の兵の骸は見付かったが、外傷が何一つ確認されず何が起こったのか想像も付かないとの事である。
この様子だと、シグルドがどこかに隠したと言う線は考えにくい。
偽装の線も考えられなくも無いが、ディアドラが手中にある事が正義であるシグルドにとって、その存在を隠しておくのは得策ではない筈である。ましてやディアドラを失ったと言う評判が広まればシグルドはその立場を失うばかりで実入りは無いだろうからだ。
「どこにいるのだ……?」
どこかには、いるのである。
何も知らぬ地元の賊にでも捕らえられたのならばともかく、ディアドラを――正確にはディアドラの身体に流れる血を――知る者ならば殺してしまう事は絶対にしない。
野心を持つ者にとっては妻に迎えれば最高の武器になり、野心を持たない者にとっても彼女を差し出せば一生遊んで暮らせるだけの恩賞にあり付けるのである。
だからシグルドの元を離れたディアドラは、必ずどこかにいるのである。
唯一の手がかりは、謎だらけの現場の光景のみである。
さて、外傷無しで人を殺せるかどうか。レプトールは可能な手段として毒ぐらいしか思い付かなかったが、十数名の護衛に毒を与える事が可能かとなるとかなり怪しい。
となると別の手段であろうが、その様な非現実的な事が可能であろうか。暗殺は政治の常套手段であるが、暗殺術となるとさすがに専門外である。しかし素人のレプトールでも実現が可能かどうかの問いぐらいには回答できる。
「しまった……!」
答は、否。
それが解決の糸口になった。
外傷無しに殺めるのが非現実的ならば、非現実的な手段を用いれば済むのである。
つまり、魔法である。
無論の事、そんな器用な魔法には思い当たるものは無いが、ロプト帝国時代の遺失魔法の存在の噂が確かならば可能かも知れない。
そして、魔法と縁が深くディアドラに執着する意味のある陣営と言えば――。
「誰か、ヴェルトマーを探れ!」
事を起こすとすれば、今しかない。
故人となったリングを除いた残りの五公爵のうち、本国にいるのは彼自身一人だけなのである。
間者の報告は、レプトールが願った覚え無く予測通りであった。
女嫌いで有名な筈のヴェルトマー公アルヴィスが、自領にて一人の妙齢の女性にかかりきりだと言うのである。
クロード不在の場合、王女ディアドラの実兄であるアルヴィスの推薦に従う――それはレプトールも承認していたが、決して無条件にと言う意味ではない。
アルヴィスの推薦と、アルヴィスの主導とは同一ではない。
最初にクロード、そして次点として新たにクロノス候を挙げたのも“人畜無害”が最大の理由である。つまりグランベル王国そのものに悪影響を及ぼさないのが最低条件である。
六公爵として互いを牽制し合う政治体制で育ったレプトールにとって、特定の人物に権力を持たせるのが最大の害悪であった。
もしもアルヴィスが自分の子飼いの者を推挙したらどうなるのか。当然、アルヴィスは女王ディアドラの兄としての権力ばかりか、夫君の後ろ盾として絶対的な権力を握る事になる。
女王ディアドラの兄であるアルヴィスが公爵以上の権力を得るのは止むを得ないが、女王の兄以上の権力まで手に入れさせる訳には行かないのである。
レプトールの公爵兼宰相と言う地位は王を除けば最上位である。
これ以上の栄達が存在しない以上、彼の内ではグランベル王国を独占すると言う野心は薄い。そんなレプトールにとって、現状維持こそが最上であり、自分より上位の者が誕生する事だけは防がねばならなかった。
ディアドラの夫についてはアルヴィスの推薦に従う――これは決定事項だが、その時点で誰がディアドラの身を手中に収めているかで推薦される人物は大きく変動するものなのである。
もしディアドラの身柄がフリージ家に手元にあった場合、レプトールの発言権は大幅に増加し、結果はクロノス候が選ばれるだろう。
だが現実ではアルヴィスの手の中にあり、これでは交渉は完全にアルヴィス主導で進められる事になる。

レプトールは、ランゴバルトにアグストリアを一任し、急ぎ本国に戻ったが時すでに遅しであった。
正式なお披露目こそはまだであったが「亡きクルト殿下の御息女がヴェルトマーにて保護されているらしい」と言う噂が既にバーハラ城内にばら撒かれており、もはや手の打ち様が無かった。
かくして、グランベル王国の実権はヴェルトマー公アルヴィスが握る事になった。
王太子クルト暗殺で揺れたグランベル国内は一応の決着を見せ、また新たな対外的局面と対峙する事になった。シレジア王国に逃げ込んだシグルド率いる叛乱軍の討伐と、いよいよ現実味を帯びて来た大陸統一の野望である。

(三章・完)

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