ユングヴィ軍の参戦を見て、丘の上のフリージ軍も動いた。
それに呼応して防戦一方だったドズル軍も反撃に転じ、シアルフィ軍を三方から押し潰す格好になった。
いかに名将バイロンとは言え、この状態を跳ね返すのは不可能である。シアルフィ軍は、今までの攻勢が嘘のようにあっけなく崩壊した。
――怨まんで欲しいですなぁ。
リングは“自陣営”の勝利をその一言で表していた。
盟友バイロンにとってはリングに裏切られたと思っているのだろうが、リングはレプトールの弁舌によって仕方なく参戦したのである。だから決して自由意志ではなかったのだが、リングの表情は実にさばさばとしたものであった。
リングは、レプトールに煽動された兵士達を御する事を早々に諦め、レプトールが宣言してくれたのをいい事に何食わぬ顔で反王党派に寝返ったのである。
この裏切りは表面的には気付かれる心配の無いものであった。政治的な盟友とは言え、反逆に手を貸すつもりは無いと言い張れば済む話であるし、討伐軍指揮官として任命されている身でもある。
だから心配事は何も無い。強いて問題点を挙げるとすれば、反王党派に与すればやはり少しは肩身が狭い思いをする程度である。
その点はかなりの痛手なのだが、目先の利益に眩んで兵士達を再説得して自己を危うくするのは愚である事を良く知っていた。
リングは「利を貪る小物」と陰で罵られている。だが利に聡くなる為には、利の流れを読む観察眼と、利を勝ち取る為に動く決断力と、利に惑わされない忍耐力が必要であり、これらを全て兼ね備えている人間はかなり少ない。
ただ、グランベル六公爵の身である人間がそんな堅実な才能を自負しても、低く見られてしまうだけなのである。公爵でも平民でも極めて重要な要素に違いない筈だが、公爵らしい才能を持ち合わせていない点が「公爵らしくない」と言う根拠になっている。
「よし、少し距離を置け」
リングにとっての利はこの戦いには存在しない。
勝者はユングヴィ、フリージ、ドズルの三者だが、三者だからと言って勝利の分け前が公平に三等分される訳ではない。この後、いかに多くの取り分を手にする事が出来るかがリングにとって重要な利なのである。
その為の駆け引きの材料として――たとえ実力行使を用いないとしても――軍事力は絶対に必要である。だから既に勝敗の帰趨は目に見えているのだから、自ら進んで戦力を消耗するのはあまりに馬鹿げている。
「退がれと言うのが聞こえんのか!」
本来、リングは叱咤する事が殆ど無い人物である。しかしその例外が起こったのである。
血路を開く場所をこちらに定めたのか反転して来たシアルフィ軍に対し、戦術通りに引き射ちを行うつもりで命令を下しても、軍は命令の通りに機能しなかったのである。
弓騎兵の戦術とは、その機動力を生かしての引き射ちが基本である。言い換えれば遠距離から射撃し、敵が近付いて来たらその機動力を生かして逃げ、再び距離をとって射ると言う、実に高度に消極的な運用が必要とされる部隊である。
だがレプトールの煽動で士気が最高潮に達していきり立っていた兵士達は、我を忘れて闇雲に攻撃するばかりでリングの命令が全く耳に入らなかったのだ。
乱戦状態になってしまっては弓騎兵は本来の強さを完全に失う。
それを知らないバイロンではない。彼は様子がおかしい事を見抜いたのだろう、すぐに行動に移して来た。唯一包囲されていない北方面を退路には選ばず、残存兵力の全てをユングヴィ軍に叩き込んで来たのである。
加えてリングにとって都合の悪い事が新たに重なった。
真背を向けられたドズル軍は消耗が激しい為にもはや効果的な追撃が行えず、さらに魔法を使う点で弓騎兵と同じく乱戦状態では強さを発揮できないフリージ軍が、混沌の中心になってしまったユングヴィ軍前線に飛び込むのを嫌って攻撃を控えるようになってしまったのだ。
結果、いかに掃討戦とは言え単独でシアルフィ軍と戦う事になってしまったのである。
しかも三方からの包囲攻撃で戦力を大半を失っているにも関わらず、シアルフィ軍の突撃は凄惨さを極めた。
そしてリングは命令伝達に躍起になっていた影響で、その突撃経路の延長線上に自分がいるのに気が付くのが少し遅れた。
「リング!」
その一瞬の差が大きく影響した。
自分の名を呼ぶ、聞き慣れたかつての盟友の声に返事する余裕など無く、それこそ指揮の事など忘れて馬首を返して逃げ出そうとしたが、その間に大きく肉迫されてしまったのである。
だがその時、真正面に目の前に矢をつがえてこちらに狙いを定めている一騎が視界に入った。
すぐ後方、ついに聖剣ティルフィングの切っ先が届く距離にまで肉迫して来たバイロンを狙撃するつもりなのだろう。
「賊将、死すべし!」
弓騎兵が高らかにそう叫んで、矢を放った。リングがその弓騎兵が自分の子である事を気付いたのは、その瞬間であった。
「おぉ、アンドレイか……!」
……それが、リングが残した最後の言葉となった。

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