その夜、レプトールは自分の幕舎で祝杯を挙げなかった。
戦闘そのものは反王党派に凱歌が上がったが、今後に多くの火種を残したのも事実だからである。
戦闘中、ユングヴィ軍内部で一つの事件が起こった。
ユングヴィ公リングが、自分の子であるアンドレイ公子に暗殺されたのである。
彼は“父殺し”の釈明として、バイロンと内通して主君であるクルトを弑した点を挙げているが、それを証明するものに欠けていて、その真意にはまだまだ不明な点が多い。
表面的には既に沈静化しているが、軍内部での混乱はまだ続いている事であろう。本来ならばシアルフィ軍の残存兵力を追撃したいところなのだが、不測の事態の事を考えればフリージ軍を動かす訳には行かなかった。ドズル軍も疲弊著しく休息を必要としていた。
結局、逃亡したバイロンを追撃する事が出来ず、そのまま潜伏を許す格好になってしまった。
逃亡中のイザーク王太子シャナンを、バイロンの子シグルドが匿っていると言う情報が正しければ、この地でのバイロンの潜伏を助けるイザーク人はいくらでもいる。
イザーク地方の領地管理権はドズル家が有しているが、軍が消耗している上に現地人を敵に回すとなるとバイロン捕縛は困難を極める事になるだろう。
とは言え、最大の危機が去った事に違いは無い。最後の最後でツメが甘くなったが、この結果は満足すべきである。

レプトールを悩ませているのは別の事に付いてである。
その満足すべきバイロン排除の代償として、王太子クルトの命を必要としたのである。当然ながら、それ以後が何の問題もない事を前提にしなければならない。
クルトには、シグルドの妻となっているディアドラ以外に子がいない。
だから次のグランベル王は自動的に彼女となるのだが、統治能力の無い彼女に代わってその夫が共同統治者となって国政を司る格好になる。
この時、“夫君殿下”がシグルドであってはならないのである。
バイロンが敗れた事を知れば、その長子シグルドは打開策として、必ずディアドラを“お披露目”しにグランベル本国に乗り込む事を選ぶだろう。
つまり、現在シグルドの妻で既に男子も授かってしまっているディアドラを、何とかしてそれまでに“救出”しなければならないのである。
しかし権謀術数の達人である宰相レプトールと言えど、大陸の反対側であるアグストリアでの工作にはさすがに自信が無かった。
となれば、残りは――立て続けに出来るような余裕など無いのだが――アグストリア遠征を行ってでも実力で救出するしかない。
だがディアドラ王女の救出に成功しても、一つだけ問題が残る。唯一のバーハラ王族であるディアドラには子を産む義務がある。
現在シグルドとの間に男子を一人もうけているが、バーハラ王家に弓を引くシアルフィ公家の血を引く者を王位に付ける訳には行かない。よって、ディアドラ王女にはもう一度結婚してもらう必要があるのだ。
夫君殿下の候補は一人しかいない。グランベル六公爵家の一人で独身であるエッダ公クロードである。格式から言っても、また年齢的な面から見ても彼以上に相応しい男は存在しない。
厳密にはヴェルトマー公アルヴィスも独身なのだが、彼とディアドラ王女とは同腹の兄妹にあたるから論外である。
レプトールにとって、同腹の兄弟と言うその一点のみが不安材料として残っていた。
“女王”ディアドラの夫がクロードであっても、そしてシグルドであっても、アルヴィスは女王の兄なのである。
だから現在のところ反王党派寄りではあるが、状況次第ではシグルドに与する可能性も否定できない。表面的には中立を掲げているアルヴィスにしてみれば、最終的に勝者の元にいれば良いのだから。
とは言えレプトールの内には、現在のところアルヴィスを排除すると言う選択肢は存在しない。
二年間ものイザーク遠征の留守を預かっていたアルヴィスが、その間に本国内でどれほどの政治工作を行っていたのか全く想像できなかったからである。
遠征中でも本国の政治工作を怠るようなレプトールではないのだが、さすがにそれに全力を傾ける訳には行かない。一方のアルヴィスは、自身が近衛隊長の任に就いている事もあり、王都バーハラ城内においては強い影響力を有している。
今後ヴェルトマー家がどこまで信用できるかは分からないが、凱旋するまでは友好的に振る舞う事にしたのである。レプトールにとっては、本国に地盤を築き始めているヴェルトマー家はもう無視できない勢力になっていたからだ。
「ふぅ……」
宰相である事が嫌になった訳ではないが、さすがに自然と溜め息が漏れた。
……一つの険しい山を乗り越えた先には、また新たな山が待ち受けていると言う事が改めて分かったからである。

当主レプトールの手腕によって、いかなる不利な状況も全てをひっくり返す事が出来るフリージ家。
戦力を大幅に消耗したものの、イザーク地方という地盤を――何かと問題も多いが――抑えているドズル家。
当主アルヴィスの才覚で本国で高い発言力を得て、ここに来て独自の動きを見せ始めているヴェルトマー家。
最高司祭として大陸全土の民から崇拝されているクロードを公爵に戴くエッダ家。
父である当主リングを暗殺し、今後の動向が最も注目されている、アンドレイ公子率いるユングヴィ家。
公爵バイロンこそは失脚したものの、なおも長子シグルドの指揮下で一軍と王女ディアドラを有しているシアルフィ家。
そしてこれら六公爵家に対し、様々な形で干渉して来ると予想される周辺諸国。
もはや王党派や反王党派などと言う、互いの脅威を牽制し合う為に盟約する時代ではない。覇権を握る為に利用し合う、大陸全土を巻き込んでの群雄割拠の時代となったのである。

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