北東部を見下ろせば盟友の旗色が悪いのは一目瞭然であるが、レプトールには増援に駆けつけられない理由があった。
その原因は、後背に位置し、未だに動きの無いユングヴィ軍である。
丘の頂上を制圧している事でそのユングヴィ軍を牽制しているのだが、裏を返せばユングヴィ軍の動きを封じておく為には、ここを動く訳にいかないのだ。
本来、高所を有していれば戦況を自在に操れるものである。だが逆にそれによって待機を余儀なくされているのだ。
友軍であるグラオリッターは盟友ランゴバルトの必死の指揮により壊滅を免れたが、未だ危機である事には違いなく、それが現実になるのも時間の問題と言うものである。
だが、だからと言ってこの丘を駆け下りて参戦すれば、後背にいるバイゲリッターはすぐにでも動き出すだろう。
シアルフィ、ドズル、フリージの三軍が入り混じっての戦場に、その外から矢を射掛けられては勝ち目など無い。
弓騎兵が中心のバイゲリッターを破る手段があるとすれば、彼らを戦場の中に放り込んで混乱の渦に巻き込ませたところに肉迫するぐらいしかない。
つまり、リングの勝算は「最後に動く」事が出来るかどうか、と言う点に大きく寄り添っているのである。
だがレプトールは、それを看破しても、我慢比べを続けている時間など残されてはいないのだ。
リングが先に業を煮やして動き出したとしても、その時に友軍であるグラオリッターが壊滅していれば、やはりレプトールには勝ち目は存在しないのだ。
だからこのまま座していれば敗れる。
だが、先に動けばやはり敗れるのである。
救援に駆けつけて、なおかつバイゲリッターの参戦を防ぐとなると、別働隊を出してその足を止めておく以外に手段が無い。
だがバイゲリッターの可能進撃経路は、丘を横断、東回り、西回り、の三通りもある。
ドズル軍の救援に行かねばならないのだ、三ヶ所とも封鎖するだけの兵を割く余裕などある筈が無い。
となればバイゲリッターが動き出す前、つまり直接ユングヴィ軍野営地に別働隊を突っ込ませて時間を稼ぐしかない。
……だが、それすら叶わない事情があるのだ。
「リングめ、何と狡猾な……!」
レプトールのこの唸りの最大の理由は、ユングヴィ家が依然として旗色を鮮明にしていない点である。
“王党派”としてシアルフィ家と結託していたのは周知の事実だが、バイロンと同じく“反逆者”とは限らないのである。
いや、イザーク残党の襲撃の情報はユングヴィの手の者の方に流したのだから、バイロンとリングが裏で結んでいるのは間違い無い。だがこれが討伐戦である以上、リングがバイロンに荷担したと言う明確な証拠が必要なのである。
だからユングヴィ家が日和見を決め込んでいる以上、先制して攻撃する事が出来ないのだ。
「……」
レプトールは目を閉じて考え込んだ。
「フリージ家訓……“脳漿の停止は心の臓の停止に等しい”……」
レプトールは大きな考え事をする時に、この家訓を呪文のように呟く。
フリージ家の家訓の大半は、このように思考や理性に関する事柄である。
これはフリージ家に流れる“血”を抑える為の戒めであるが、レプトールは宰相としての戒めとして胸に刻んでいた。
八方塞がりだからと言ってこのまま勝算の無い戦いを続けるような人間では、グランベルの宰相職は勤まるものではない。
――何か、何か手段がある筈だ!
あらゆる手段を模索するとよく言うが、それは与えられた選択肢の範囲内に過ぎない。
つい数日前にヴェルトマー家のアイーダ将軍からバイロンの野心に関する話を聞かされた時に、レプトールは自らの敗北を認めてしまった。
だがそれはレプトールが勝手に決め付けていただけに過ぎず、実際にはそれをひっくり返す手段が存在していたのだ。
もし思考を停止せずに勝つ手段を模索し続けていれば、その方法に辿り着いていたのかも知れない。
「フリージ家訓……“脳漿の停止は心の臓の停止に等しい”……」
――今度は諦めん!
フリージ家の家訓と、数日前の自らを恥じる心が、レプトールの支えとなった。
「ブルーム!」
目を見開き、力強い声で息子の名を呼ぶ。
勝利の為の手段に辿り着く事が出来たのはレプトール自身の宰相としての強い心と資質によるものであろう。
「ゲルプリッターの指揮を任せる、全軍で向かえ!」
「はっ……し、しかしバイゲリッターが……それに父上は?」
放り投げられた雷魔法トールハンマーの魔導書こそは素直に受け取ったものの、その表情は驚愕そのものであった。
政治屋である父とは違い、速戦速攻の勇将として名を馳せているぐらいだから、決してユングヴィ軍を最後に動かさせてはならない事ぐらいは、まだ若いブルームもよく分かっていた。
「わしは向こうに行く、合図が上がったら全軍で駆け下りてバイロンの首を狙え……命を違えるな!」
レプトールが指差したのは南西だった。
つまり、たった一人でバイゲリッターの足を止めようと言うのだ。
「父上、危険過ぎま……!」
ブルームが制止の言葉を言い終わるより前にレプトールは馬首を返し、南西に向かって丘を駆け下りて行った。

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