遠征軍は、一つの丘を囲むように野営していた。
王太子クルトの幕舎が丘の頂上にあり、その頂上へは四本の道が通じている。
丘の麓、それぞれの道の入り口を塞ぐように四公爵家の軍が陣取っている。
その丘の北西に位置するシアルフィ軍野営地。
「敵はフリージ・ドズル両軍! 反逆者共を生かしておくな!」
この声は当の反逆者である筈のバイロンから発せられたものである。
昨夜、丘の頂上に幕舎を構えていた王太子クルトが暗殺された事は、北西の麓に陣取るシアルフィ公家軍の兵士達の耳にも入っている。
しかし、つい先程に同じ場所で何が起こったのかまでは知れ渡っていない。
つまり、直接手を下したのがイザーク人であるが、その凶行を手引きしたのが自分の主君であるバイロンだ、と言う事まではまだ知られていないのだ。
追手を振り切って自陣に戻ったバイロンは、この情報伝達のタイムラグを利用した。
すなわち、でっち上げの事実――反王党派による王太子暗殺――で兵士達を煽ったのである。
それを聞いた兵士達はかなりの困惑を見せたが、結局は信じる事にした。
元々、対極する両派が揃っての遠征である。兵士達は、きっと何か起こるに違いないと案じていたのだ。
兵士達はさすがに弑逆までは予想していなかったが、王太子と宰相の不仲は有名である。
――何が起こっても不思議じゃない。
最終的には、この遠征に参加した兵士達の、この様々な意味での“心構え”に合致する格好になったのだ。

空が明るくなりかけた頃、自陣を発したシアルフィ聖騎士団“グリューンリッター”は、丘を北から回り込む様にして、北東に位置するドズル軍野営地を急襲した。
「こ、これはどう言う事だ!?」
敵襲の証である砂塵を目撃したドズル公ランゴバルトの驚愕ぶりは相当なものであった。
ランゴバルトは、政治屋である盟友レプトールから腕を買われて作戦の立案を一任されていた。
彼の胸算用は、いち早く行動を起こして丘の頂上を制圧していたフリージ軍と呼応して、シアルフィ軍を数を持って圧殺すると言う、極めて簡潔かつ強力な作戦であった。
だが自信を持って立てた作戦が、何と実行に移すよりも前に崩壊してしまったのである。当のランゴバルトが驚かない筈は無い。
二方向からの挟撃を恐れたシアルフィ軍は、陣を麓からやや引き気味にして迎え撃って来る、と言うのが大原則なのだ。
とは言え、ドズル軍も斧騎士団“グラオリッター”の出撃準備を整えていたから完全な奇襲と言う訳ではない。
だが、戦地をシアルフィ軍野営地と定めていたから、グラオリッターの陣立てがまだ完遂していなかった。
それ故、隙だらけのドズル軍の――その中でそれが特に顕著だった――左翼は瞬時に大混乱に陥った。
「左翼突き崩されます!」
「左翼に増援を送れ! 何としてでも立て直せぃ!」
ランゴバルトは劣勢に滅入る事無く、聖斧“スワンチカ”を右手一本で振り回して、懸命に防戦の指揮を採り続ける。
彼はかなり豊富な実戦経験を積んでいるにも関わらず、彼の指揮能力はグランベル国内では大して評価されていない。
彼の基本的な戦術方針は、要所に大量の兵士を送り込んで数で圧倒すると言う部類のものだ。
――要は単なる力押しだろう?
と、彼の指揮は国内で酷評されている。
だが実際は極めて優秀な戦術指揮官であり、名将と呼んでも差し支えないだけの実績も多く挙げている。
とは言うものの、敵の部隊構成に対して最も有効な部隊をぶつけて勝利を収めるバイロンの戦術と比べると、やはりどうしても力押しに見えてしまうのは仕方が無いから評価されにくいのだ。
だが、戦いとは兵士の質や将の指揮能力やバイロンが重視する部隊相性も多少は関わるが、所詮は兵士の数が多い方が勝つものである。
つまり、数で押すと言うランゴバルトの戦術は一見して単純な力押しに見えるが、間違いなく最強なのだ。
そして彼は、要所に対して大事な予備兵力を大胆に投入できる才能の持ち主であった。
左翼を蹂躪していたシアルフィ軍に対して、その三倍近い兵力を注ぎ込んで瞬時のうちに戦線を修復する事に成功したのである。
「敵の右翼を駆逐しました!」
「よし、戦線を縮少! 友軍到着まで時間を稼げぃ!」
ドズル軍は、戦線の立て直しこそは成功したが、それを実現する為に多くの戦力を消費してしまった。それ故、もはやシアルフィ軍を打ち破るだけの余力は残っていない。
だがそれは独力での話である。
丘の頂上を制圧しているフリージ軍が一気に駆け下りて、シアルフィ軍の背後を襲うまでドズル軍が凌げば、挟撃しての殲滅が狙えるのだ。
今の様な粘り強さが持ち味であるランゴバルトの本領発揮は、ここからである。

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