東方遠征軍野営地、夕刻――
バイロンは、ユングヴィ公リングを自分の幕舎に迎えていた。
「……と言う情報を入手致しまして、是非とも公のお耳に入れたく思いましてな」
得意満面な笑顔と派手な身振り手振りで説明するリングと、腕を組んだまま小さく肯くバイロン。
彼らは王党派の盟友であるが、精神的に対等と言う訳ではない。
グランベル六公爵の中でリングが最も小物であると言う事は、バイロンに限らず他の四公爵も同意見の評価である。
本来であれば、遠征軍総指揮官であり主君でもある王太子クルトに最初に報告する義務があるのだが、リングはこうして先にバイロンに売り込んで来る。
王家の信頼篤く、政治闘争にいて優勢であるバイロンにくっついて分け前にありつく事しか頭に無い、単なる小悪党に過ぎない。
「で、いかがでございましょうか?」
「ふむ……」
――今夜、イザーク王国軍の残党が斬り込んで来る。
充分に予想できる、ことさら報告を受ける必要性に欠ける情報でしかない。
何故ならば、凱旋途中である東方遠征軍は数日中に旧イザーク王国領を出る。もし最後の抵抗を見せるのならば、その数日中を選ぶのは当然な話だからである。
この情報を聞かずとも、既に警備体制は大幅に強化されている。
「今夜、か……」
だがリングがもたらした情報は分かりきっていた事ではあったが、決行日を特定している部分のみは有益であった。
小利に目が眩む性癖故か、リングが抱える情報網の信頼性にはバイロンも以前から認めていた。
「それで、これが事実ならどうしろと言うのだ?」
リングは首を傾げて意味が分からない、と言う素振りを見せたが、単に惚けているだけなのは明白である。そしてその実、何を言わんとしているのかもバイロンは看破していた。
――手を汚される必要が無くなりましたな。
イザークの残党が決死で斬り込むのならば、目指すは総指揮官である王太子クルトの幕舎。
これならば、クルト王子の死因が“イザーク残党の奇襲による横死”になりますぞ、とリングは暗に囁いているのである。
機は熟していないが、手を汚さずに“横死”させる有益性。
機が完全に熟した頃に、手を汚して“病死”させる危険性。
「……」
バイロンの秤は、前者に傾いた。

その夜、遠征軍野営地の北側の警備が僅かに薄くなった。
バイロンにこの決断をさせた最大の理由は、リングがもたらした情報で、決行日が特定されていた故である。
他軍に気取られないだけの堅さと、突入が確実に成功するだけの脆さが均衡する、実に微妙な警備体制。
これは数多の戦いを経験してきた宿将バイロンのみが築き上げる事が出来る、巧妙極まりない綱渡りである。
この綱渡りは、一夜のみであれば緩められた警備体制が友軍に気付かれる心配はない、と言う一点のみを拠り所とするものだからである。
「明日から忙しくなるな……」
凱旋途中での王太子の横死である、遠征軍が混乱がどの程度の規模になるのかは、実のところバイロンにも読めない。
その意味ではこの決断は賭けだったが、バイロンには間違いの無い勝算があった。
――最終的に内戦に突入しても構わない。
シアルフィ聖騎士団“グリューンリッター”は遠征に参加している四公爵家で唯一の複合編成軍である。
雷魔法“トールハンマー”を受け継ぐフリージ家。
聖斧“スワンチカ”を受け継ぐドズル家。
聖弓“イチイバル”を受け継ぐユングヴィ家。
これら三公家軍の主力の編成は、全て公家の象徴に準じた単一編成である。
これは軍事的な脆さには目をつぶって、政治的アピールを狙った編成であり、実際にその効果は極めて大であった。
だが軍事的勝利を重視していたバイロンは、聖剣“ティルフィング”を継承していながらも自軍の編成を剣に偏らせなかった。
軍編成が複雑になればなるほど指揮は難しくなるものであるが、戦場の経験の豊富なバイロンには全く苦にはならない。
敵の軍編成を看破し、それに有効な部隊を繰り出して確実に勝利を掴み取るのが、今までにバイロンが打ち立てた数多の勝利に使われた戦術であり、長子シグルドの快進撃も同様の理由である。
ましてや、明日以降に戦う事になるやも知れない“敵”は単一編成軍である。バイロンにして見れば、極めて組みし易い相手であると断言できる。
故に、バイロンにとって今夜の結果如何で内戦に突入したとしても――絶対の勝算があるのだから――全く構わないのである。

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