グランベル王国アグストリア方面軍拠点エバンス城――
「……レヴィン王子、端的に言おう。グランベルはシレジア王国に対して、軍事的報復は行わない」
天馬騎士フュリーの身柄の引き渡しを求めて現れたレヴィンに対し、面会したシグルド公子は、来訪者の用件を聞く前に結論を言い放った。
「……その代わりに?」
レヴィンも結論から入った。
シレジア王国は建国以来、絶対中立の旗を掲げる事で平安を守ってきたし、グランベル王国をはじめとした諸外国もそれを承認してきた。
そのシレジア王国が天馬騎士を差し向けて、隣国アグストリア諸公連合における戦争に介入したのである。
これは“国際問題”で片付けられるレベルの問題ではない。
絶対中立を貫いてきたシレジアである。そのシレジアの能動的軍事行動は、グランベルに対する事実上の宣戦布告に等しい。
レヴィンは、現在二方面で戦争中のグランベルには、さらにシレジアへ出兵するだけの余剰戦力は存在しない事を知っていた。
だからと言って、宣戦布告に等しい軍事的挑発を受けていながらそれを黙認する様なグランベルではない事も知っていた。
故にレヴィンは、このグランベル指揮官シグルドの言葉に裏があると読んだのである。
「……天馬騎士フュリーを、アグストリア方面軍に帰属させよ。無論、非公式にだ」
「俺には等価値とは思えんがね……」
レヴィンの価値観と言う秤では、シレジア一国の運命とフュリーただ一人の去就が釣り合うとは到底思えなかった。
確かに行軍不可能な高い山や深い海を全く苦にしない天馬騎士の存在は、軍事的に言えば極めて大きい。
だが軍事に関しては専門家ではないレヴィンにしても、この戦争の趨勢が既に決している事ぐらい分かる。グランベル軍は手持ちの軍勢だけでアグスティ城を攻略できる筈なのだ。
ましてや、大国グランベルが譲歩するなどとは絶対に考えられない話である。
「……これで説明が付くか?」
レヴィンの不信の視線に気が付いたシグルドは、右脇の扉に向かって二度指を鳴らした。
あらかじめ控えていたのか、それに呼応するように扉が開き、一人の女性が入って来た。
レヴィンは、この女性がどういった類の者かを瞬時に見抜いた。
「紹介しよう、我が妻ディアドラだ」
流れるは亜麻色の髪。その影で見え隠れする額冠。そして、余りに整い過ぎた顔立ち。
そして、懐妊の証である豊満な腹部――
「精霊の森の巫女……!」
ディアドラと言う女性は何も答えず、俯いてレヴィンの視線を回避した。
レヴィンの驚嘆を確認したシグルドは、己の妻を入ってきた扉から退出させた。
その扉が完全に閉じられるのを待って、レヴィンは重苦しく口を開いた。
「質問の必要性が全く無い、見事な説明だな」
「……賛辞、痛み入る」
悪魔が人間の皮を被っているに違いない、このシグルド公子と言う男は平然と会釈して謝辞を述べた。
「こちらにもエバンス城攻撃の非がある。だから、フュリーの件に付いては承諾しよう。だが、シレジア全てまでを舞台へ上げるつもりはない……!」
レヴィンはシグルドを睨み付けながらそう言い放った。
シグルドは執務室の机に向かって座っているから、形的には見下ろしている格好になる。
だが、涼しげなシグルドの表情には何の変化も無かった。
「……了解した。だが、代わりに吟遊詩人レヴィンの軍への帯同を要求する。軍兵士及び占領下の住民の慰撫だ。当然、それに見合う報酬を支払う」
「分かったよ……どうやら、断れそうにないようだな」
レヴィンは自分の敗北を認めた。
大国グランベルに対する軍事行動は、一国が滅亡するには充分過ぎる理由となり得る。
それを咎めないと言う前提での交渉自体が、グランベルにとって最大の譲歩であったのだ。
この条件を拒絶すれば、シレジアは滅びるであろう。

レヴィンはもう一度、決してシレジアを参加させない旨を強調してから退出した。
その扉が閉じられてから、シグルドは壁に掛けられているユグドラル大陸地図の中央上部、シレジア王国の部分に視線を移した。
「……だが、御母堂の考えはどうかな?」

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