グランベル王都バーハラ城――
「これで、我々も日和見を決め込む訳にも行かなくなりましたね……」
エッダ公クロードは諦めに近い表情でそう呟き、ヴェルトマー公アルヴィスは無言で肯いた。
クロードはエッダ教最高司祭であり、そしてアルヴィスはバーハラの近衛軍指揮官である。両者とも立場上の都合もあり、政治闘争に参加するのを拒んできた。
これまでは、それで問題はなかった。
グランベル王国全体の政治形態としては――非常に奇怪な事に――バランスの良いものになっていたのだから。
“王党派”と呼ばれる、シアルフィ家・ユングヴィ家。
“反王党派”と呼ばれる、フリージ家・ドズル家。
そしてどちらにも加わらず中立である、ヴェルトマー家・エッダ家。
お互いが残り二派の動向を牽制し合うと言う格好が続いた結果、グランベル六公爵家は絶妙な三竦みを形成していたのである。
二対二対二、と言う均衡した状態だからこそ、グランベル王国は安泰でいられたのである。
だが市井の風刺家から“政治分野における奇跡的芸術”と皮肉られていたこの状態が、ここにきて大きくバランスを崩した。
シグルドと言う名の一人の若き天才指揮官の登場によって、秤は王党派に大きく傾いたのだ。
中立と言う立場は、秤が釣り合っている状態のみ意味がある。
お互いが第三勢力の動向に注意を割り振らざるを得ないからこそ、その力関係を維持出来得るのである。
中立の存在意義が薄れてしまったのである。
ヴェルトマー家とエッダ家は、自らの運命を決めなければならない。
もはや、中立と銘打った日和見は許されないのだ。
「確かに……この状態を放置しておくのは、余りに危険過ぎるな」
「しかしアルヴィス公……シグルド公子を推薦したのは卿ではありませんか……!」

数日前、対アグストリア方面軍指揮官であるシアルフィ公子シグルドからの使者がバーハラ城の門をくぐった。
アグスティ城を攻略し、アグストリア諸公連合を崩壊せしめた旨の報告である。
その夜、国王アズムールから戦勝を祝う酒が振る舞われた。
夜が更けてアズムール王が寝室に籠もると、パーティー会場はそのまま討議の場となった。
――アグストリアの統治を誰に任せる!?
だが、討議の場でありながら誰一人として発言する者はいなかった。
とは言え、皆が無能なのではない。
むしろ有能な人材が揃っていたからこその沈黙である。
そもそも、シグルド公子は対ヴェルダンにおいても勝利を収めたが故に、既にヴェルダン地方はシアルフィ公家の統治下である。
これに加えアグストリアの統治権までもシアルフィ公家に与えてしまっては、グランベル王国の全領土面積の約半分までもが、シアルフィ公家領となってしまうのである。
グランベル王国の安泰は、権力を六つの公爵家に分散する事によって守られて来たのだ、そんな禁忌を犯す訳には行かない。
だが、その恩賞がどれほど危険なものであると分かっていたとしても、それ以外にシグルド公子の功績に報いる手段が無かった。
「……いっそのこと、アグストリアに敗れた方が良かったのではないか?」
そんな密かな会話も交わされるほどに、此度の勝利は難題を生んでしまったのである。
――功に正しく報いて脅威を造ってしまう事と、信賞必罰の定を破って余計な火種を撒く事。どちらがグランベルにとって正しい選択か?
答えられる筈が無かった。
いや、皆はそれぞれ答そのものは弾き出していた。だが、その答を発表する事によって、グランベルの命運を自分の双肩に背負う勇気などある筈が無かったのである。
端的に言えば、迂闊な発言をして責任を負いたくなかっただけなのである。だが、政治的野心を持たない者が、自分から政治的責任を背負おうとする必要は無い。
故に、皆はアルヴィスが発言するのを待ったのである。
「寡兵でありながらアグストリア諸公連合を打ち破ったシグルド公子の功績は非常に大であり、シアルフィ家に統治管理を委ねて功に報いるのが正当である」
当然、反対意見が出る筈も無かった。

「確かにシグルド公子を推薦したのは私だ。だから、この責任は私が負う」
それだけ告げて、アルヴィスは退席した。
進んで政治的責任を負う事が、政治的野心と同義であるのか。
部屋に残されたクロードにはそれは分からない。
そしてクロードは、事態の重大さの影に隠された一つの事実にも気が付いていなかった。
イザーク遠征以後、グランベル本国における幾つもの重大な決定が、全てアルヴィスの提言に添ったものだと言う事を。

(二章・完)

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