「……で?」
アグスティ城。
新王シャガールは右人差し指で執務室の机を何度も叩いていた。
騎士団長ザインは、主君のその行動が無意識に不機嫌を表現しているものである事を知っていた。
だから感情を刺激しない様に、出来得る限り事務的に答えた。
「クレメント王は戦死。また、シレジア天馬騎士によるエバンス城奇襲も失敗に終わった模様です」
「ふむ……」
国王の人差し指の動きが止まった。
恐らく、不機嫌である事を中止したのであろう。
新王シャガールは感情の起伏は緩やかな方だ。何故ならば、国王が決断を迫られるいざと言う時に、冷静な思考が出来なければ意味が無いからだ。
それを見て取ったザインは、腹臣としての対応に戻した。
「ところで陛下、あの天馬騎士達は何故アグストリアに? まさか額面上通りと言う事はございますまい?」
「王子探索……の事だな? まぁ、完全に偽りと言う事ではないがな」
天馬騎士フュリーは、行方不明のシレジア王子レヴィンを探している、と言う名目でこのアグスティ城を訪れた。
ザインは、その名目が建前と言う事を見抜いていた。王子を探しに来たにしては率いて来た配下の数が多すぎたからだ。
「ザイン、シレジアが内戦に突入寸前である事は知っているな?」
主君が唐突にそんな事を口にした。
「はっ。先王の弟であるダッカー公とマイオス公が王位継承を求めて、先王妃ラーナと対立していると聞き及んでおります」
ザインは主君の質問に答えるぐらいの知識は備えていたが、それが天馬騎士フュリーの来訪と、どこでどう繋がるのか全く分からなかった。
王太子の頃から知謀家の雰囲気を漂わせていたが、新王として即位してからその色が一層濃くなった様である。こうして臣下と話している最中にも脳漿は別の事に集中しているのだろう。
「ふふふ、ラーナはわし以上の策士よ。王子捜索と言う名目で天馬騎士の援軍を送って、アグストリアに恩を売りに来たのだ」
「……?」
「代わりに、シレジアで内戦が勃発した際には力を貸せと言っているのだ、あの女狐はな」
海で隔てられているとは言え、アグストリアとシレジアは隣国同士である。
シレジアは地形など無関係の天馬騎士がいるし、アグストリアには大軍勢を運ぶ輸送船がある。
だから、お互いともに援軍を送る事は難しくない。
「もしアグストリアが滅べばシレジア内での自分の地位が危うくなるからな。必死に助けに来たのだ、自分の保身の為にな」
「はっ……」
――アグストリアが滅ぶ。
ザインは、主君のその言葉だけを強く受け止めた。
隣国との駆け引きは国王の責務である。
だがザインは騎士である。
祖国と主君を守護するのが唯一無二の責務だから、シレジア云々よりも、眼下に迫るグランベル軍の方が遥かに大事である。
「しかし陛下、天馬騎士によるエバンス城奇襲作戦は失敗に終わりましたが……」
アグストリアの騎士であるザインから見ても、現況での劣勢は疑いようが無い。エバンス城奇襲は成功すれば一気に形勢逆転できる頼みの綱であった。
だが、それは失敗に終わった。
騎士団長であるザインには、アグスティ王国の騎士団だけでグランベル軍を打ち破る自信は無かった。
しかしそれでも主君からは焦りの表情を伺えなかった。
「ふふふ……ザインよ……現況において、我らにはもはや勝ち目は無い」
「は……?」
主君は、含み笑い付きで敗北を認めたのである。
国王が敗北を認めるのも大きな事だが、ザインはそれよりも、それを一笑に付した事の方を訝しまないでいられなかった。
「だが、敗れたとてアグストリアが滅びる訳ではない。マディノ、シルベールに落ち延び、そこで力を蓄え、時を待つのだ。奴等が油断するまでな」
マディノ、シルベールはアグストリア北部に位置するアグスティ王家の支城である。
アグストリア諸公連合の全ての王城がグランベルの手に落ちれば、アグストリアは崩壊する事になる。
だが、実際はそうではなく王国と言う政治形態を捨て、グランベルの警戒を解いておいて密かに軍備増強を行う……。
確かに、もはや正面から戦っても勝ち目は無いであろう。
だからとは言え、国王が王城を捨てる事を思い付くであろうか、ザインは主君シャガールの知謀の深さに感嘆せずにいられなかった。
この戦略は、アグスティ城陥落の後でグランベル軍に追撃されない事が最低条件である。
グランベルの警戒心を解くには、表面上では軍事力を保有していてはならない。露見すれば、災いの芽を摘みとらんとマディノ、シルベール両城に殺到するだろう。
だから、表面上では軍事力を残してはならない。
だから、アグスティ騎士団は壊滅する必要がある。
――カッ!
ザインは軍靴の踵を鳴らした。
「分かりました。このザイン、派手に散って参ります」
主君は無言で頷いた。

夜明け前。
ザインは昨夜のうちに騎士団のうち最精鋭を選りすぐって、彼らを密かにマディノ城に移動させていた。
――いつの日か、アグストリアが勝利する為に。
一方でグランベル軍には、騎士団長以下、アグスティ騎士団全員が戦死したと思い込ませなければならない。
ザインと残った騎士達は、これからグランベル軍に突撃を敢行する。
祖国と、主君の為に命を投げ打つのが騎士の責務なのだから。
「出撃だ! 祖国の為に死ねる事を、誇りと思え!」

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