精強であるが、補給面で不安を抱えるグランベル軍に対し、アンフォニー王国は焦土作戦で対抗しようとした。
――あとは守りに徹し、戦わずして勝つ。
だが、国王マクベスの目論見は完全に瓦解した。
それまでの時間を稼ぐ筈に国境に配置した部隊が半日と持たずして突破され、グランベル軍が雪崩れ込んで来たのである。
かくして焦土作戦は失敗に終わった。マクベス王は作戦も何も無い状態でグランベル軍と対峙する事を余儀なくされた。
結果は言うまでもない。
もともと焦土作戦と言う消極的な作戦に頼ったアンフォニー軍である。かくなる上はグランベル軍を打ち破れ、恩賞は思いのままぞ、と言う命令が今更届いても兵士達の指揮が上がる筈もなかった。
ただ一軍、マクベス王が雇った傭兵軍団だけが果敢に立ち向かったが、我先にと逃走するアンフォニー兵士達の濁流に巻き込まれて陣形が乱れた所を側面から襲われて全滅の憂き目に遭った。
そして補給面の安全を確認したグランベル軍は、アンフォニー軍を野戦で打ち破った勢いそのままに北上してアンフォニー城に取り付いた。
結局、アンフォニー城は次の夜を迎える前に陥落し、マクベス王の無残な屍体を残してアンフォニー王国は滅亡した。

――その数日後の夜。
「レヴィン、どこぉ?」
踊り子のシルヴィアは、道に迷っていた。
陽が落ちたら村の東の外れに来てくれ、と言われて村を出たまでは良かったが、すぐに目的地はおろか現在地まで分からなくなってしまったのだ。
方向感覚が鋭い旅芸人と言えど、夜中に森を歩くとなると話は異なる。今夜は満月だから視界こそは広いが、それにも限界と言うものがある。
「だいたい、どこ行けばいいのよぉ!?」
彼女を誘った主はレヴィンと言う旅の吟遊詩人だが、彼は“村の東の外れ”と言う広い一帯しか指定しなかった。
シルヴィアは、きっとすぐに分かる場所なんだ、と思い込んでそれ以上聞かなかった事を少し後悔していた。
基本的には賑やかな群衆に囲まれて踊っている彼女である。孤独にはあまり慣れていなかった。
「レヴィンのバカぁ……」
あたしはもう子供じゃないんだから、と泣き出してしまうのを、今までずっと耐えてきたがそれも限界が近い。
「……!」
シルヴィアは背後を振り返ってみたが、当然何も無い。
気のせいに違いないと頭では理解している。だが、背後の森の中から黒い両腕が伸びてきて闇に引きずり込まれる恐怖感を拭い去れるほど人間は強くない。
シルヴィアはたまらず逃げるように走り出した。
何処へ逃げればいいのか、何処まで逃げれば大丈夫なのかは分からない。
分からないからただひたすら走った。
――とにかく、森から出られるまで!
救いの手が差し伸べられたのか、単に運がいいのか、すぐに森の出口らしきものが見えてきた。
最後のスパートをかけ、森から出たその時、人影が横から現れた。
その人影がレヴィンである事を知覚した瞬間、いきなり抱きすくめられたのである。
「……」
もともとこんな時間帯に村の外に呼び出されたのである。シルヴィア自身、何か期待するものがあったのかも知れない。
シルヴィアはレヴィンの胸元に顔を埋めたまま、次の言葉を待った。
「馬鹿! 死ぬ気か!?」
だが、男の次の言葉は予想を大幅に裏切るものだった。
シルヴィアは、レヴィンから離れて周囲を見回すと、すぐにその言葉の意味が理解できた。
夜と言う事で森の中からは分からなかったが、レヴィンのすぐ後から地面が無いのである。
「……ったく、この高地の先が崖だって事ぐらい知っているだろ。ま、お前をここに呼んだのはその崖を見せたかったからなんだけどな」
「わぁ……!」
レヴィンが抱き止めてくれなければ危うく転落死しかねなかったこの高地の東端の崖の先には、心なしかさっきよりも大きく見える満月に照らされたマッキリー峡谷が鮮やかに浮かび上がっていた。
この場所から見える光景は、大陸屈指の絶景と謳われるこの峡谷を独占したと言ってもいい。つい先ほどまで夜道を涙を堪えながら走っていた事などきれいに洗い流してしまっていた。
「だが……この絶景もあと数十日の命だ」
レヴィンが唐突にそんな言葉を紡いだ。
「近い内に、そこに見えるマッキリー城は火の海になる」
「どうして……?」
二人とも旅芸人だが、シルヴィアはレヴィンとは違い自然と触れ合う機会はあまりない。吟遊詩人は自然を詠うが、踊り子はそうではないからである。
だが、街中が活動場所とは言え、シルヴィアは自然も好きだ。この絶景が失われるの聞いては平静ではいられなかった。
「……戦争さ、グランベル軍とのな」
レヴィンが吐き捨てるような感じでそう言い放った。レヴィンのこんな表情は、シルヴィアは見た事が無かった。
「え……でも、えっと……シグルド公子だっけ? 侵略しに来たんじゃないって村長さんに言ってたよ」

焦土作戦が失敗に終わり、アンフォニー城が陥落した翌々日、グランベル軍指揮官シグルドが数名の従者のみを引き連れて、開拓者の村に現れた。
これまで通りの生活を保証してもらいたい、と言う開拓者達の要望に対して、グランベル軍指揮官シグルドはこう回答した。
――我々は捕らわれの身であるノディオン王の救出の為にやむを得ず侵入したのであって、侵略者ではない。それを証明する為にアンフォニー王国の横暴から諸君らを解放した。だから諸君らは今までの生活を続けてもらって構わない。ただし、安全保障費として、それぞれの村はグランベル軍に対して5000Gの軍資金を供出せよ。ただし戦火に巻き込まれた村に付いては、それぞれ程度を考慮して軽減する――

「なぁ、アグスティ城にいるノディオン王を救出するのに、何でアンフォニーを相手にする必要があるんだ? ノディオンから真っ直ぐマッキリーを抜ければ済む話じゃないか。
加えてだ。侵略者でない事を証明にする為に焦土作戦を阻止した、とか言っていたが“解放した事を侵略の言い訳にした”だけだろ! だいたいだ、王や貴族が“やむを得ず”やった事がマトモな事だった試しがあるか!?
あの公子、挙げ句の果てに5000Gもふんだくって行きやがった。安全保障費!? 親切の押し売りって言うんだよ!」
「……」
「とんでもない悪党だ、あの公子は。どうやれば民を騙せるか心得てる。あれじゃあ……」
「レヴィン、もうやめてよ……」
シルヴィアは涙が零れるのを抑えられなかった。さっきの森の中での孤独よりも、今のレヴィンの方がさらに怖かったからだ。
「……あぁ、悪かった。だから泣かないでくれよ。俺は女の涙に弱いんだから……。分かったよ、そのお詫びに……」
そこまで言ったレヴィンの両腕が、突如シルヴィアの両肩にかけられて一気に引き寄せられた。腕はそのまま背中へと回され、また抱きすくめられる格好になった。
「レ、レヴィン……!?」
唐突なせいだろうか、レヴィンの腕の中での抵抗は何故か力が入らなかった。
「……泣かせたお詫びに、さっきの続きを、と思って」
「バカぁ……」

Next Index