「エバンス駐留軍、アグストリア諸公連合領に進入!」
その報はグランベル王都バーハラ城を再び震撼させた。
――シグルド公子は何を考えておられるのだ!――と言う声が挙がったのは当然の結果である。
何しろ、エバンス駐留軍には進軍の許可など与えてはいないからだ。
本来、前線に駐留する軍団を指揮する将軍には進軍・撤退に関する戦略上の権限を(ある程度)与えられるものである。これは本国側では前線の状況を把握できない故であり、本国の認可を仰いでいる間に時機を逸する危険性を回避するものでもある。
だが、エバンス駐留軍を指揮するシアルフィ公子シグルドにはその権限を与えていない。
何故ならば東方遠征軍は未だ帰還しておらず、今現在もなおグランベル王国の防備はエバンス駐留軍のみ、と言う状況に代わりがないからである。
エバンス駐留軍が敗れると言う事は、それはグランベル王国の領土を纏う衣を全て失う事である。この、重要度が大きすぎる軍団の進軍の可否を決定する権限を、一軍団長に握らせる事などどうして出来ようか。
――今度の相手は蛮族ではないのだぞ!
シグルド公子はヴェルダン戦役の際にも同様の独断による進攻を行っている。その時も本国は進軍停止の使者を送りはしたが、結局はそれを追認した。
勝てる戦であれば問題はなかったからである。
エバンス駐留軍のヴェルダン進攻に際し、唯一の危険性はアグストリア諸公連合がヴェルダン王国へ援軍を派遣する一点のみであったが、それも杞憂に終わった。不測の事態に備えてアグストリアに送り込んだ刺客が、イムカ王の暗殺に成功したからである。
そしてヴェルダン戦役は継続された。若輩の将軍が指揮する一個軍団でも、たかが蛮族の軍勢のみが相手ならば敗れる筈はないからであり、事実そうなった。
だが今度は相手が違う。国力ではグランベルに引けを取らないアグストリアである、エバンス駐留軍のみで勝ち目など無い。
確かにイムカ王が斃れて混乱している今こそが好機なのかも知れないが、だからと言って一個軍団のみで勝てる筈も無い。
皆はこぞってアズムール王に謁見し、エバンス駐留軍はアグストリア進攻を中止せよ、と言う旨の勅命を発する様に願い出た。

「陛下、シグルド公子は勝ちます。東方遠征軍を呼び戻す必要もないでしょう」
しかし、近衛軍指揮官の任に就いている、ヴェルトマー公アルヴィスは国王に所見を求められた時にそう答えたのである。
「アグストリア諸公連合の政治形態はアグスティ王家を盟主と仰ぐと言う点で、一見、我らグランベル王国に近しいものがありますが、実情は大きく異なります。我がヴェルトマー家以下グランベル六公爵家は、爵位も領地もバーハラ王家より賜ったものでありますが、アグストリアの諸公のそれは皆が元来よりそれぞれに一つの王国として独立しております。最後には各々の都合が忠誠心を勝りましょう」
「しかしアルヴィス郷、それだけでは勝利の保証には……」
同席していたエッダ公クロードが反論しようとした。主力軍が不在の現状ではエバンス駐留軍の軍事行動は常に賭けである。今度はヴェルダンの様に脆弱な軍が相手ではないのだから。
しかしヴェルトマー公の表情は涼しいものだった。
「独断でアグストリアに一個軍団のみで攻め込むのならば、シグルド公子とて搦め手の一つも用意していよう。現に、精強と聞くクロスナイツを指揮するノディオン王が、新アグスティ王の手によって捕らえられたとの報告も届いている」
国王アズムールはそれに肯き、エッダ公はそれ以上に反論する材料も無かった。グランベル王国にとって、明確な勝算が存在し、領土が拡大できるのならばそれに越した事はないからである。

エバンス駐留軍は対アグストリア方面軍と言う新たな名称を与えられて、進攻は正式に認可された。
ヴェルトマー公アルヴィスの予見は的中した。対アグストリア方面軍は、国王エルトシャンの奪回を企む王妹ラケシスとの連合に成功した。一方で、ノディオン王国領内で最初に対峙したハイライン王国軍はよく戦線を支えたが、自国の軍勢の被害を最小限に抑えようとしたその他の諸公によって見殺しにされたのである。

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