現在のアグストリア諸公連合は、国境を接してしまったグランベル王国に対して強硬な姿勢で臨んでいた。グランベルのヴェルダン征服を目の当たりにした諸公達は皆共通の認識を抱いたからである。
座せば滅ぶ、と言う恐怖感である。
大陸中央部に位置する絶対的大国グランベル。あの十二聖戦士の過半数の血を受け継ぐ大陸最強の国家が、ついに大陸統一に乗り出し始めたのである。
まず手始めとばかりにヴェルダン王国が滅んだ。
ヴェルダン王国の突然の侵入、ユングヴィ家の公女及び聖弓イチイバルの強奪、と言うのが事の発端であるから、形式上の非はヴェルダン側にあった。しかしそれが、グランベルがヴェルダンを征服する為の口実でしかない事は、大陸中の誰一人として気付かぬ者などいない。
現在交戦中のイザーク戦線とて同様である。友好都市ダーナを略奪した事への報復では、イザーク全土を征服までするだけの根拠には決して成り得ない筈である。
どちらのケースにせよ、グランベルに必要なのは「出兵する口実」であって「征服する根拠」ではなかったのである。
そしてそれが許されるのが強者の力の象徴なのである。
やり過ぎだ、と声を挙げて非難できるだけの国力と軍事力を兼ね備えた国家など他に存在しない。
弱者は、強者の注意を引いてしまわぬ様に息を殺す事しか許されないのである。もし強者と目が合ってしまえば、それは弱者の死を意味するのだから。
弱者達が力を合わせて強者を倒した例は確かに存在する。だがそれは強者に驕りがあった場合のみに成立する可能性である。そしてグランベルは、弱者達が考える以上に警戒心が強く、そして狡猾であった。

大陸第二位の国力を有する国家、アグストリア諸公連合。
グランベルのヴェルダン逆侵攻と時を同じくして起こった、国王イムカの突然の崩御。これによってアグストリア中が混乱に陥っている隙を突いて、グランベルはヴェルダン征服を完遂させてしまったのである。
ヴェルダンと共闘してグランベルを牽制する、と言うアグストリアの基本戦略は脆くも崩れ去った。本来ならばそれを維持する為にもヴェルダンへ援軍を送る筈だったのだ。
それを阻んだ――グランベルにとって実に都合の良い――イムカ王の突然の崩御は本当に偶然だったのだろうか。
違う、恐らく父上はグランベルによって暗殺されたのだ、と言う新王シャガールの推測が正しいのかは誰にも分からない。
真実は闇の中。しかしその推測はアグストリアの諸公や兵士達、そして数多の民が信じた。
もし和平を取り繕ったとしても、大陸全土の征服に乗り出したグランベルが反故にしない筈が無い。
座せば滅びるしかないのだ、ならば戦うのみである。新王シャガールはアグストリア単独での決戦を決意した。国王暗殺の報復をアグストリアの旗印として。
アグストリアの死期を早めるだけかも知れない危険な賭けだが、グランベル主力が東方へ遠征中である、今この時こそが唯一の勝機なのだ。
しかし今度は諸公の一人であるノディオン王エルトシャンが民を苦しめてはならない、と和平の声を挙げたのである。
ノディオン王国は対グランベルの最前線に位置する。その国王が開戦を拒否しては何も始まらない。主力が戻って来るまで、と言う時間との戦いでもあるアグストリアだ、これが何を意味するのかは想像に難くない。
そう、今度も余りにもグランベルに都合の良い事件なのである。
――こいつはグランベルと内通しているのか、それとも単に愚かなだけなのか。
新王シャガールは両方と読んだ。ハイラインのヴェルダン救援軍を阻止した時もそうだったが、恐らくグランベルの口車に乗せられたのであろう。
結局、シャガールはエルトシャンを処刑しなかった。エルトシャンが民に人気があったのも理由の一つだが、何より大陸最強の騎士団クロスナイツを率いる“獅子王”を処刑させる事が、グランベルの思惑であると看破したからである。
とは言え、幽閉する事とてグランベルに利する行為に違いはない。しかしまずは対グランベル最前線のノディオンを、軍事拠点として活用する為の弊害を取り除く事を優先させたのである。
国王処刑とあっては反乱を起こしかねないが、幽閉して生殺与奪の権利を保持しておけばノディオンは黙って従うであろうと言う目論見である。
そしてそのノディオンに駐留し、対グランベルの先駈けとなる旨の許可を求める諸公がいた。ハイラインである。

アグストリア諸公連合南西の王国、ハイライン。
国王ボルドーは卓越した先見の明の持ち主で、新しい農業政策を他の諸公よりも先んじて導入し、多大な成功を収めた。それによって勝ち得た高い生産性を背景に独自に軍備の増強を行い、盟主イムカ王の崩御に混乱する事無く、唯一ヴェルダン救援の軍を発するなど賢王としての名声を欲しいままにしていた。
そしてそのヴェルダン救援軍を指揮したのが王太子エリオットである。今まで対外戦争の機会に恵まれなかった為に指揮官としては未熟ではあるが、それを自ら志願した事は高い評価を得ていた。悪く言えばしゃしゃり出て来ただけであるが、それは王子としての責任感の強さの裏返しである事に違いはないからである。
「フィリップ……俺は正しいのか?」
そして再び出兵し、この時点で既にノディオン領に侵入している。軍を率いて来たエリオットは、ノディオン側に立たなくても立派な侵略者であり、王も騎士団も不在の国を攻める卑怯者である。
「……心中、お察しします」
フィリップは顔を伏せた。個人的な同情ではない。忠誠を捧げた王子が、王子としてこの世に生を受けた時から背負わねばならなかった悲劇に涙せずにいられなかったのである。
ハイラインは確かに国力こそ成長の一途を辿っている。だがどれだけ足掻こうとも、所詮は一諸公の枠を出ない小国でしかない。
だが転機が訪れた。隣国ノディオンの国王エルトシャンの幽閉である。
国王ボルドーは長年の間隠し続けていた野心を、ここぞとばかりに露にした。
ノディオンを併合すればそれだけ領土は広くなる。そればかりかそれによってヴェルダン及びグランベル方面への出口を確保する事は、無限の可能性を与えてくれる。
ボルドー王は、婚約しているとは言えまだ独身だった長子エリオットに対し、ノディオン王妹ラケシスを妻とする旨を命じたのである。
エリオットは三日三晩悩んだが、結局それを受け入れた。特定の女性を想う心はエリオット個人の感情に過ぎず、それは決して王子としての責務を上回るものではない、と理性では承知していたからである。
父王の命令の意図が、ハイライン=ノディオン二重王国とするのが最も平和的な併合である、と言う事も頭では理解した。王妹ラケシスを妻とする事でノディオンの統治権を得るのである。
しかしエリオットはラケシスが、とても愛が生まれる様な女とは思わなかった。相手も同様に感じたであろう。故に、此度の出兵はラケシス強奪が目的である。
それがどれほど野蛮な戦争目的と感じられるか想像は付いていた。しかしエリオットは王族である。ハイラインの為にその身を投げ打たねばならないのである。
「殿下、ノディオン城が見えて参りました」
報告を受けたエリオットは、振り返らず攻撃対象を見据えたまま自分の決意を述べた。
「フィリップ……俺はもう迷わん、ハイラインの王太子としての生を全うする」
後世にどの様な汚名を残そうとも、王となる者はそれを厭ってはならないのだから。


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