欠かしてはならないもの。それは昼下がりに飲む、一杯のハーブティー。
例えば雨が降った日も。
例えば風が吹いた日も。
例えば国王も騎士団もいない時に他国に攻め込まれた日も。
王家の者は、いついかなる時もごく自然に、ごく優雅に振る舞わなければならない。何故ならば、王家の者は臣下や民に動揺を見せてはならないからだ。
ノディオン王妹ラケシスは、この非常時にも関わらずテラスに出て日課をこなしていた。
「姫様、ここでございましたか!」
「あ……」
肩口に控えていた小鳥が驚いて逃げて行ってしまった。雰囲気を壊す喧燥だったが、ラケシスは表面上は眉をひそめる様な事はしなかった。彼女は臣下や民に慕われる姫君なのだから。
だが、ラケシスにはもう一つの顔があった。
「……この時間帯はいつもここにいる事ぐらい知っていましょう、イーヴ」
「しかし、陛下が御不在のこの時に……」
――気に入らない!
気に入らない、気に入らない、気に入らない!
その程度の事で、この一時を妨害するとは何と無粋な!
「……ハイラインが攻めて参ったのでしょう、既にエバンス城のシグルド公子と約定してあります。直ちに使者を送りなさい、神速果敢に駆けつけてくれるでしょう」
視線を合わせていないので、イーヴの表情が具体的にどう変化したのかは知る事は出来なかったが、ラケシスにはおおよその見当は付いていた。恐らく驚嘆の類に違いないであろう。今までドレス姿しか見せていないのだ、イーヴや他の家臣達は、この優しき美しき姫君が政治や軍事と言った方面は完全に無知と思い込んでいるはずだ。まさかもう手を打ってあるとは思いも寄らなかったのだろう。
「し、しかし……他国の軍、しかもグランベルの軍をこのアグストリアに入れると言うのは……」
ラケシスはそれを無視した。何事も無かったかの様に再びティーカップに没頭する。しかし、口元に運びつつ、ただ一言だけを。
「イーヴ……貴方は私の……何ですの?」
イーヴは黙って引き下がった。黙る代わりに靴音を高く鳴らしながら。
ラケシスは、無粋な来訪者の為にハーブの香りを楽しむ間もなく空になってしまったティーカップを戻した。
――何と不快な一日でしょう!
何故、たかがエルト兄様とクロスナイツがいないと言うだけの事で、こうも心を煩わされねばならないのです!
……この望外の幸運と言うべき好機に!
そもそもこのアグストリア諸公連合の盟主であるアグスティ王国は、魔剣ミストルティンを振るった黒騎士ヘズルが興した国である。そして現在もその直系である新王シャガールが、直轄あるいは諸公を通してこのアグストリアを支配している。
しかし、現在その魔剣ミストルティンを継承しているのは、アグスティ王家ではなく、このノディオン王家なのである。
「……」
たとえ城壁が無かろうとも、この様な南の片田舎からでは、目指すべき北のアグスティ城が見える筈もない。不満気に小さな溜め息を漏らしつつ、ラケシスは立ち上がりにティーカップを一瞥をくれて踵を返した。
「私の甲冑を!」
これからラケシスの靴音は、ヒールの奏でる優雅な音から、軍靴の無骨な音に変わる。兄王エルトシャンの代理としてノディオンを勝利に導くべく戦いに身を投じるのだ。
ラケシスはもう一度だけ北を振り返った。
口実は向こうが与えてくれた。
国王エルトシャンの捕縛、そしてハイライン王国による空き巣狙い同然の侵略。父祖の願いだった、アグスティ城への帰還の名目は完全に揃った。
――シャガール……黒騎士の血を引かぬ偽りの王よ!
このアグストリアの真の所有者が、我らノディオンである事を教えて差し上げますわ!

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