「ジュダ殿、かねてからの盟約通り、アルヴィス陛下は援軍を出すのでしょうな?」
「アリオーン殿下も用心深い方なりや……安心めされよ、既に帝国騎士団がこちらに……」

 グルティア城――
 トラキア王国南西部に位置し、王都を守る最後の砦である。ここを守っているのは屈強な将軍ではなく、ロプト司祭であった。
 
 勢力を伸ばしたロプト教は帝国内に留まらずこのトラキア王国にも根を伸ばそうとしていた。
 形式上、帝国とトラキアは同盟関係にあるため宗教面で交流があっても何らおかしくないが、双方共に単純な布教活動として考えてはいなかった。
 ただロプト教会側については、最初は勢力拡大の意味で布教を真剣に考えていた。エッダ教会の勢力圏外ということはトラキア王国民は"光"の思想に毒されていないということになる。勢力拡大が第一とは言え、ロプト思想に傾倒して入信してくれるならば布教するロプト司祭としても嬉しいものである。
 だが布教の許可を得て赴いてみれば、一歩踏み込んだ時点であの狡猾なエッダ教会が何故今の今まで手を付けなかったのかすぐに分かった。トラキアの民にとって光も闇も必要としなかったからだ。
 ロプト教徒にしても、食わねば生きていけない。生け贄を捧げて奇跡を起こす術法は存在しても、食わなくても生きるのはどうやっても無理なのである。自然の摂理というかロプト教の限界というか……何にしても、ことトラキアの場合は飢餓を救うことができなければ救済の声など聞いてくれるわけがないのだ。
 そんなトラキアの地にジュダ司祭を駐在させることをロプト教会が決定したのは、それでもトラキアが欲しかったからであった。
 ユリウス皇子の号令により子供狩りは激しく行われているが、ロプト新帝国の貴族となれる有能な少年少女の発掘具合はあまり芳しくなかった。そこで帝国外からも集めようとしたのだ。
 ロプトウスという絶対真理の元、全ての生命は平等であるのがロプト教の教義である。裏を返せば、人の起用について出自は一切問わない、能力の優劣こそが絶対である――という解釈が成り立つ。ロプト帝国の貴族にトラキア人がなっても何ら問題はないのである。
 グランベル帝国がトラキア王国と同盟を結んで以降も警戒心を解かなかったのは、彼らの勇猛さを知っているからである。つまりトラキアは武に秀でた勇猛な人材を生み出す土壌があるのでは、とロプト教会は考えたのである。
 とはいえ、トラキアは帝国の勢力圏外であるため、皇帝の名によって子供狩りを行うことはできない。教会の異能者を派遣して攫ってくることもできるが効率的とは言えない。ジュダ司祭はこのトラキアの地において従来とは違った手段での子供狩りシステムを確立することを命じられたのであった。
 難題の極みを押しつけられたジュダであったが、その役に選ばれたということは彼ならば果たしてくれるという評価あってこそである。ジュダも暗黒司祭らしからぬ使命感に燃えて事に当たった。
 国家規模で人を集めるならば、それだけのネットワークが必要である。しかし半歩踏み込んだだけのロプト教会ではそれだけのことは出来ない。
 帝国内では帝国軍という指揮系統を使ったように、トラキアでもトラキア軍の協力を得られるようにするのが妥当であろう。となると、軍の指揮権を握っているトラキア王家に話を通す必要があった。
 トラキア王太子アリオーンは、バーハラの士官学校に留学していた実績から親帝国派で知られている。そこでジュダはバーハラに、自分をトラキア駐在大使として任命してくれるように申請した。ロプト教に限らずとも司祭が要職に就くことはあまり歓迎されないものであるが、この人事に反対すれば命が危ういので誰も声を挙げなかった。外交官任命権は皇帝にあったが、黙って承認したために正式に大使として赴任することになった。
 アリオーンから見ればジュダは帝国との外交チャンネルである。今まで飛竜に乗ってバーハラまで赴くことも何度かあったが、手近に窓口ができたのならばそれに越したことはない。

「ジュダ殿、重ね重ね申し上げるが、この戦いが終わった後のこと……間違いないな?」
「然り……必ずや我らがロプトの"山"の秘術、お伝えいたそう……」

『この足の下には金銀宝石ありとあらゆる鉱物資源が無尽蔵に眠っている』
 ユグドラル史に名を残す伝説の山師イウソーは、トラキアを訪れたときにそう宣言した。
 イウソーは気紛れな人物で、王侯の招聘に応じることはなく大陸中を放浪していた。分け入った山で新たな鉱脈を発見したときに領主の城を訪れてその事実を伝え、褒賞に興味を示さずまた姿を消す……ユグドラル大陸にはそういった時代が20〜30年間あったと言われている。
 領主から見れば天啓のようなものである。そしてもし怪しい風貌だからと番兵が通さずに追い返してしまえば、天啓を聞き逃すことになる。そのため山師のような風貌をした者には出来る限り門戸を開けていた……が、伝説になれば騙りも当然現れるわけであり、イウソーの名声は時が経つに連れて複雑なものになっていった。
 その彼がトラキアを訪れた。彼の声に応じて鉱山開発を行ってみれば確かに鉱脈を発見した……が、それでトラキアが潤ったかとなるとそうでもなかった。混ざりものが多くて精製が非常に難しかったのである。
 どれだけ資源に恵まれていても、転じることが出来なければ宝の持ち腐れであり、何も無いのと同じようなものである。なまじイウソーが広げた大風呂敷を聞いてしまっただけに、プラスにはなっても細々とした稼ぎではとても喜びにはならなかった。
 結果、イウソーは嘘つき呼ばわりされてトラキアから叩き出された。実際には彼の大風呂敷は真実なのであるが、真実を事実とすることができなかったのだ。
 その後、トラキア王国はその細々とした鉱山開発で外貨を稼いで生計の足しにしてきた。これだけで賄いきれるものではないが、多少は役に立っているのは間違いない。
 アリオーンは、これに目を付けた。半島統一は父王トラバントの悲願であるが、その根底は貧しいトラキアの民を救いたいからである。ならばもしも、肥沃な北トラキアを奪わずに貧困から脱却できる手段があるのならば、必ずしも外征にこだわらなくてもいいはずである。
 内政の充実はトラバントに限らずとも歴代の王も考えたに違いない。そして試行錯誤の結果、外征という結論に至るしか無かったのだ。
 王として貧しい財政を見守っていれば、イウソーがもたらせた細々とした稼ぎがいかに大きいか分かるはずである。だが、精製技術を強化して鉱山開発を拡大しようとする王は誰一人もいなかった。
 イウソーを嘘つきと見ているからではなかった。精製技術の強化が国を富ませることに繋がらないからなのだ。
 精製技術を強化しようとすれば、自国内での研究だけではとても無理な話だ。どうしてもどこかと提携して技術を会得する必要があった。
 ただこの技術面で最も優れているのがグランベルであるのが問題である。国策として経済封鎖を実行してトラキアを弱らせているグランベルが技術供与などするはずがない。それどころか、トラキア側にしてみれば鉱脈の存在をグランベルに明かすこと自体に不安があった。この事実をグランベルが知れば数少ない外貨獲得手段までもが潰される可能性がある。そして廃坑に追い込めばトラキアの鉱山経営能力を十年単位で後退させることが出来るからだ。
 グランベル以外の国と結ぼうとしても、トラキアと利害が一致する国が無かった。ユグドラル大陸は中央にグランベルがあり、他の国が外周に分散して位置する格好なため、ほとんどの国がトラキアと無関係なのである。トラキアから話を持ちかけられれば、こっそりこれに乗るのと、グランベルに情報を流して印象を良くしようとするのと両天秤にかけることになるのは間違いない。リスクが高すぎるし、この話を纏めようとするとトラキア側は大幅な譲歩が必要になる。軍事力を提供しようにも、傭兵国家に成り下がっていたトラキアへの見返りは技術より金銭の方が他国も都合がいい。
 同じ理由でミレトスの商人に話を持ちかけることも難しかった。たとえバーハラには黙っていてくれたとしても、それを盾に取り分をふっかけられるのは目に見えている。
 そして商人には技術を売るという概念が無い。高値で売れるには違いないが、売ってしまえばそれ以上に儲けることができなくなるからである。採掘権を得て精製を代行することで永続的に金を生み出せるような契約しかしようとしない。これではトラキアは収入は増えても技術を得られないため、経済的に隷属するしかなくなる。誇りを失った国家に民がついてくるはずがなく、崩壊は避けられないだろう。
 そういう事情を抱えるトラキアにとって、『技術は持っているが政治的にも軍事的にも経済的にも緩衝しない』のが理想の提携先である……が、そんな都合がいい相手がいるわけがない。歴代のトラキア王がこれ以上の鉱山開発に取り組まなかったのはこのためであった。

 アリオーン王子はその実現の可能性をロプト教会に求めたのである。
 ジュダと会談を重ねているうちに、山師イウソーは実はロプト教徒だったのではないかという仮説に行き着いたのだ。
 その仮説が正しいかどうかは本当はジュダにも分からないのだが、伝説を残すほどの慧眼はロプトの遺失技術の一つではないかと考えられてもおかしくない。ロプト教の勢力拡大のためにアリオーンとの繋がりが欲しいジュダはこの話に乗ることにした。
 ロプト教会の最大の武器は暗黒魔法ではなくロプト秘伝の遺失技術である――背教者レィムが代行者として指揮を担っていた頃の経済活動は、ジュダにも大きな影響を与えた。かつてのジュダにとって技術の継承はロプト教徒としての修行の一環でしかないと思っていたが、ロプトブランドこそが最強の楔となることをレィムから教わったのだ。
 ジュダは、布教への協力と引き替えに精製技術の供与を申し出たのである。もしもイウソーがロプト教徒ならば、精製技術も凄いに違いない……という勘違いを誘発することに成功し、ロプト教会とアリオーンとの間で提携関係が結ばれたのである。
 バーハラ留学経験があるアリオーンは、子供狩り(のような人材収集システム)についてあまり難色を示さなかった。自身の経験を基準に考えて、対象が年少すぎるのではないかという意見は出したものの、それはこれから話を詰めていこうという姿勢なのか話そのものは否定的には受け取っていなかった。
 実際問題として、トラキアは餓死者を出さないために人口の調整が必要なのである。帝国と同盟を結んで以降は生活水準はやや上昇したものの、人口が増えても経済を拡大するだけの基盤が無いからトラキアは相変わらず貧しいのである。鉱山開発が進めば多くの人を回せるから国は富んでいくが、現状その取っ掛かりに手をかけただけでまだまだ先の話だ。
 人口を必要以上に増やさないようにするには、生まれる数を減らすか死ぬ数を増やすかして釣り合いを取らなければならない……が、生命の営みに踏み込むことは誰でも躊躇する。昔は餓死によって自動的に調整されていたことを断行しなければならないことは分かっているが、その決断の時が今かとなると判断は難しい。
 そういう事情もあって、トラキアにとって子供狩りは人口調整の手助けとなる良案なのである。それに加えて、ロプト教会ひいてはグランベル帝国との協調路線を通すならば、トラキア出身の帝国貴族誕生は長い目で見ればプラス面が大きい。
 ロプトの子供狩りについていい噂は聞かないが、技術獲得取引のためならばやむを得ないと判断した。夢を叶えるために民に無理を強いるという点では北トラキアに攻め込むのと同じであり、アリオーンの選択は酷いものではない……はずである。

 何にしても、戦争状態では鉱山開発もできなければ子供狩りもできないため、まずは解放軍を撃破しなければならない。帝国から援軍は出たが戦って勝つのはトラキアがやらねばならないことである。
 帝国との交渉を引き受けているアリオーンの脳裏に、姫将軍として前線に立つ妹アルテナの姿が浮かぶ。心身共に大きな負担がかかって休養中の彼女がもう一度表に立たなければトラキアの勝利は難しい。
 父王は勿論、近臣たちも多忙のためアルテナの面倒を見る者はいない。トラキア人は家族の愛情よりも個人の意志の力を尊ぶため、自力で立ち直ることを期待する性質がある。手を差し伸べて立たせるのは本人のためにも糧にもならないというのがこの国の考え方であった。
 グランベルに留学経験があるアリオーンはその意識がやや薄い。無理なものは無理だし、自力で立ち直るまで見守ってやれるほど時間もない。王都に戻ったらロプトのアクセサリーでも携えて飾りっ気のない義妹を見舞ってやるか……と考えていたら、ジェダがアリオーンの頭の中を全て塗りつぶすようなことを囁いた。

「して、アリオーン殿下……これからの貴国のあり方について、教会より一つご忠……」
「………………」

 聞かなければ良かった――アリオーンの後悔は遅かった。
 解放軍撃破で終わる問題ではない。正確には、終わり方次第でトラキアの未来は変わる。
 ジェダの忠告は、その道筋の一つだけを示した……が、アリオーンにはそれ以外に無いように伝わった。

 アリオーンが描くトラキアの夢。ようやく具体的な光が見えてきたが、そのためにはいくつもの障害があった。
 父と義妹である。

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