「あの……オイフェさま、折り入ってお願いが……」
「分かりました、出来る限りのことをしましょう……あ、いや、いったい何事でしょう?」
 正真正銘の訪問が嬉しくて思わず即答してしまったことに恥じ入りながら、オイフェはナンナを私室に通した。以前はアレスへの訪問に偶然立ち会っただけで、今回は本当にナンナをオイフェを訪ねたのだ……想い人の面影を残す女性の訪問が嬉しくない訳がなかった。
「実は今度の戦……ハンニバル将軍を助けてほしいのです……そうすれば、リーフさまと義父の諍いも和らぐと思いまして……」
「ふむ……」
 俯きがちに述べた用件は、敵将ハンニバルの助命であった。
 ハンニバル将軍といえば"トラキアの盾"の異名でも知られる大陸屈指の名将である。トラキア王国軍の地上部隊を率い、カパトギア城で待ち構えているはずだ。おそらく近日中に刃を合わせることになるだろう。
 オイフェ個人としては、ハンニバルほどの名将を死なせるのは惜しいし、彼ほどの武将が解放軍に参入すればこれほど心強いものもないだろう。
 ナンナの話によると、流浪のリーフ軍は国境を越えてハンニバル将軍に庇護を求めたことがあったらしい。トラキア王国側から見ればリーフ王子は宿敵レンスター王国の王子だが、リーフ軍を北トラキアのフリージ家を揺さぶる抵抗勢力と位置づければ利用価値がある。ハンニバルの独断なのかトラバント王の意向なのかは不明だが、とにかくハンニバルはリーフ王子を匿った実績がある。
 言い換えればハンニバルはリーフ軍の恩人であり、非常に仲が悪いリーフとフィンの緩衝材というか仲裁役になるだろうというのがナンナの考えになる。ナンナにとっても恩人のはずだが自分にも恩義があるから助けて欲しいとは考えないのは、母親から受け継いだあまり微笑ましくない方の資質の一部に違いない。
 リーフの正体を知らないオイフェは、リーフとフィンの不仲の原因がこのナンナではないかと見ている。ナンナとも同世代で軍の中心として皆の支えとして戦ってきたリーフ、ナンナを養女にしてまで囲い込んできたフィン……どちらとも接点がある。その渦中の人であるナンナが自ら動いたとなれば効果を期待できる。
 リーフ軍の騒動はオイフェは歓迎していない。レヴィンの影響下にあるリーフ軍が二つに割れればレヴィンは痛手を被ることになるだろうが、軍全体を預かるオイフェにとってただでさえ動かしにくいリーフ軍がさらに制御しにくくなるのは困る。何よりもまず勝たなければならない以上、軍の弱体化を招くようなことはすべきではない。
「分かりました、出来る限りのことをしましょう」
 結局は同じ回答になった。
 実際の話、敵将を討ち取らずに捕らえることは100%の成功率を保証できるわけがない。何が起こるか分からないのが戦場であり、混沌の中で統制が絶対的に機能することなどあり得ないからである。ましてや特に防御戦に秀でた名将相手に攻撃を加減すれば勝利すら保証できなくなる。
 オイフェはその部分も加味して精一杯の努力だけを確約したが、ナンナは望んでいた回答を得られなかったのか満足な表情を浮かべなかったのを見て後悔の念を覚えた。
「あ、いや……必ず助けますので安心してください」
 自分では、昔に比べて冷淡になったつもりだった。
 もっと非情になれ――シグルドからそう教わり、より効率的効果的な勝利を追い求めるために私情を挟まないようにやってきたつもりだった……が、女の笑顔のためにどこか無理をするような人間に留まっている自分がそこにいた。
 そういう甘さはどこかで咎められるかもしれないし、その僅かな傷から全てを失うことになりかねないのはシグルドが遺した教訓である。しかしナンナに対してそうあれなかった。
「はい……っ!」
 深々と頭を下げる彼女の笑顔を壊さないようにしようと心に決める自分はどうあっても放逐できそうになかった。

「敵将ハンニバルはトラキア王国の要、彼が解放軍に参加すればトラキア軍は総崩れになるだろう。難しいかもしれんが殺さないでくれ」
 だが翌朝の軍議でレヴィンに同じことを頼まれると、オイフェの表情は別のものになった。ナンナに甘い分だけレヴィンに対しては過度な警戒感というか人間不信に近いものを感じてしまう。
 ナンナ自身はレヴィンの影響下にある。彼女にはその自覚が無さそうだが気付かないようにコントロールされている感はある。ナンナとレヴィンが意見を合わせているのではないかと疑ってしまうのだ。
「……何か良い策でもおありで?」
 ナンナのためにどうにかはしたいが、軍としてはハンニバルの生存を保証するぐらいゆったりとした戦はできない。
 マンスターを巡っての攻防戦から一気呵成の逆侵攻に成功してトラキア領に雪崩れ込んだ状況である。トラキア軍は防御の態勢が整っておらず、今なら打ち破るのはそう難しくないはずである。
 特に裏付けとなるのが、ミーズ城の城壁の改修が不充分で所々放置されたままになっていた点である。
 険しく貧しい地形に囲まれたトラキア王国にとって自国が侵略されるというケースはほとんど無く、堅固な城壁は必要がない。必要がないということは、たとえ綻び崩れたとしても改修しなければならないわけでもないということである。貧しいトラキア王国が戦争をするならば必要不可欠ではないところにまで予算を注ぎ込む余裕など無い。最前線のミーズ城ですら手つかずの部分があるぐらいなのだから、より奥地の城に至っては致命的な弱点を曝け出したままになっていても不思議ではない。そんな攻城戦ならば城壁に取り付きさえすれば勝ったも同然だ。
 トラキア軍から見れば城に籠もって時間を稼ぐという手が使えないわけであり、解放軍から見れば敵軍が態勢を整えるまでは進攻し放題という状況である。
 正直なところ、兵士達の疲労を考えれば休ませてやりたいところだ。もともとの青写真ではミーズ城を解放して北トラキアを安全圏にした上で帝国とトラキア王国を両天秤にかけながら一息つく予定だった……が、リーフ軍の十字行軍とトラキア先遣隊との遭遇などもあって予定より相当早く目的地に到達してしまい、状況が変わってしまったのだ。疲労は心配の種だが、この好機を逃す方が勿体無いし、勝ち気に逸っているうちは疲労を覚えないものである。むしろ変に自重した方が士気の低下と共に疲労困憊で身体が動けなくなってしまいかねない。敵地に踏み込んで戦闘続行不能に陥るのは避けたい。
 必ずしも乗り気というわけではないのだが、オイフェにとって即時進攻しか打つ手は無い。
 そしてトラキアの貧しい地理上、物資の現地調達は絶望的である。長期戦は非常に不安であるし、無限の機動力を誇る竜騎士相手に補給線を脅かされる危険性を考えれば膠着化はどうしても避けたい。つまり攻めるしか無い上に、攻める以上は一気に首都トラキア城まで陥落させなければならない。
 敵の防御態勢が整っていないうちにどこまで進めるか――これが何より重要なのだ。
 だが、カパドキア城を守るのは"トラキアの盾"ハンニバル将軍。異名通りであれば防御戦は得意中の得意に違いない。
 好機の波に乗った大雪崩で飲み込めば勝つのは難しくない……が、ハンニバルに戦死の可能性が高まる。逆に死なせないように攻勢の手を緩めれば敵軍を撃ち破る保証自体がなくなってしまう。どちらも確約することは非常に困難と言える。
 オイフェがレヴィンに策を求めたのはナンナとの繋がりを探る意味もあったが、この矛盾の解決策を持っていることを期待したからである。「ハンニバルが解放軍に参加すれば……」という振り方をした以上、レヴィンにはハンニバルを説得する当てがあるということになる。
「カパドキアのさらに奥のルテキア城には、ハンニバルの息子が幽閉されているそうだ。おそらく裏切りを防ぐための人質なのだろうが、これを引き込めば話を聞く気になるだろう」
「……」
 有効な策だとは思ったが、オイフェはこの策への支持をためらった。
 聞こえこそはいいが、言い換えればハンニバルの息子を奪取し、人質に取って従わせることと等しい。ハンニバルは息子が人質に取られているからやむなく隷属しているというわけではないだろうが、ハンニバルから見れば息子の生殺与奪権が移動するだけに過ぎない。
「気が進まんのは分からんでもないが、シグルドはそうやってイザークと同盟を結んだようだ。あれがなければ今のセリスもなかった」
「……」
 オイフェもレヴィンも当時の現場にはいなかったが、この発言がどの光景を指しているのかは理解できた。
 ヴェルダン城から逃亡を図ろうとしたアイラとシャナンを捕らえるにあたり、シグルドは先にシャナンを確保することによってアイラの剣を下げさせた。もしも正攻法で追いかけていればイザークの王子と王妹は聞く耳持たず森の中に姿を消し、同盟者を得られなかったシグルド軍はバーハラで敗れた後に行き場を失ってセリスも捕縛処刑されていたに違いない。強引な手法であってもまず交渉のテーブルにつけさせることこそが歴史を動かすのに必要なのだ。
「ということだが、それでいいなセリス?」
 レヴィンがセリスに話を振った。軍議には出席するも滅多なことでは口を挟まないセリスは、最終決定を求められれば「ん、それでいいよ」と他人事のように承認するのがいつもの話である。オイフェは承諾の意思は見せていないものの、反論できない以上は意見が対立していることにならない。
 ところが――である。
「ねぇ、レイリアはどう思う?」
 セリスは隣に座っていたレイリアに話を振った。彼女は以前から軍議には出席していたが、最初からこの位置を与えられていたわけではなかった。
 聖地ダーナの巫女として解放軍に参加したレイリアは、解放軍の正義を証明するための存在だと言ってもよかった。彼女の知名度は絶大であり、聖地の巫女が支持するということはロプト打倒をを掲げる解放軍とかつての十二聖戦士を重ね合わせることになる。
 セリスはバーハラ王家の血を引くディアドラの子であり、聖者ヘイムの直系である。しかしディアドラがアルヴィスと結婚する前に他所で子を作っていた事実は伏せておきたい帝国側はセリスの存在自体を認めておらず、第三者から見れば"光の皇子"セリスの正統性がカギになってくる。この信頼性を上げる意味でレイリアの解放軍参戦は大きな影響を及ぼしていると言っていいだろう。
 彼女の存在が解放軍全体の価値を上げ、踊り子として兵士達を奮い立たせると共に、彼女には見識の面でも非常に広いものを持ち合わせていた。軍事面のオイフェのように専門分野として精通している感じではなかったが、どこで見聞きしたのか書物だけでは知りえない経験則を巧妙な話術で語るものだから、日を追うごとに彼女の声に耳を傾ける者が増えていった。
 セリスがレイリアとの親密さを隠さないようになり、将来のグランベル王妃は彼女になるのだろうという雰囲気が色濃く漂うになると、密かに眉を顰める者がいた。レヴィンである。

 レイリアがただの巫女ではないことは一目で見抜いた。
 確かに絶世の美女で、スタイルも女神のように美しい。踊りの才能も魅了されずにはいられないだろう。……だが、その素養をどこで身につけたのか。
 彼女の年齢については謎も多いが、後天的な努力だけであの域に達するのは年月がかかりすぎる。女性としてピークを過ぎた感は微塵も見られない以上、彼女は天性の美貌と才能に恵まれたゆえに違いない。
 ではその過大な祝福を受けて生まれることが平民に可能だろうか? 確率の問題で言えばゼロではないのだろうが、王子として聖戦士として生まれたレヴィンにとって血統の存在を捨てることはできない。レイリアほどの品格から考えれば、かなり高位な出自と考えるべきだろう。
 グランベルによる大内戦、大陸制覇遠征、ロプト教による粛正……この20年で滅亡または没落した名家は数知れない。王侯貴族の娘がダーナに流れ着いて市井に紛れる可能性は決して低くないだろう。レイリアがそういう履歴の女性であるのなら辻褄が合う。
 言い換えれば、解放軍の勝利とセリスによる世界新秩序は、レイリアの生家にとって復興の戦いになる。このユグドラル大陸にある以上は多かれ少なかれグランベルの影響下にあり、たとえ没落の直接的原因がグランベルではなくても間接的には関わっているはずである。同じく解放軍に参加しているシグルド軍の遺児たちと同様、セリスが勝てば境遇に変化が起こる身に違いない。
 それどころか、レイリアはセリスの寵愛を一身に受けている。この解放戦争中に戦死でもしない限りレイリアが将来のグランベル王妃になるのはほぼ確定と言っていい。レイリア個人については王妃として充分な資質を持っているが、彼女の家柄が問題なのだ。
 王となったセリスがレイリアの生家の領地と名誉を回復させるのは間違いないだろう。それに加えて王妃の生家として相応しい待遇が与えられる可能性も高い。そこまでに留まればいいのだが、外戚という新たな地位を利用して過剰な力を得られる可能性もある。同じくシレジアの復興(以上)を狙っているレヴィンにとって、セリスのコントロール権を奪われるのは阻止しなければならない。軍事面をオイフェに基本的に一任させているのは彼の能力を高く買っているのもあるが彼を多忙にさせる一面があり、聖戦が終わるまでの"仕込み"の期間を独占するのがレヴィンのプランだ。
 それだけにレイリアがセリスに接近している事実は見過ごすことができない。レヴィンは昼間は軍師としてセリスの近くにいるが、それでも任務中は離れなければならない時もあるし、警護の兵士もいるので深い話は迂闊にできない。
 だがレイリアは夜が来るたびにセリスと寝所を共にする資格がある。扉の内側においてレイリアがセリスに吹き込むのを止められる者は誰もいない。セリスは基本的に解放軍の運営や指揮に口を出さないので、レイリアに操作されれば動くこと自体で目立つことになる。現状を見る限りはそちら方面で要らぬ影響を与えられた可能性は低く見ていいだろう。しかし代わりに何を囁かれているのか分かるわけもなく、油断ができない。
 セリスがレイリアに入れ込んでいるのは間違いない。だがレイリアはセリスを愛しているようには見えにくい。異性経験の薄いセリスでは気付かないかもしれないが、詩人として多くの表情を見てきたレヴィンには分かる。あれだけ情熱的に踊る彼女が感情表現が素直ではないとは考えにくく、となると何かしら打算的要素を含んでいるに違いない。しかしそれに気付かないセリスに教えてやるのはさすがに気が引ける。紆余曲折あったがレヴィン自身も恋愛結婚だったのもあり他人の恋路の邪魔はできればしたくない。それにショックで人間不信にでもなられたら解放軍の内部崩壊を招く危険性もある。

「うーん……ハンニバル将軍って子供を奪われたぐらいでは戦いをやめない人だと思うんですよね。話は聞いてくれたとしても、どうかなぁ……」
 レヴィンの胸の内を知る由もないセリスが見る先には、瑞々しい唇をなぞるように指先が微かに踊りながら話すレイリア。甘い感触を思い出させるようにセリスを魅了しながら話す仕草は、仲睦まじさもあれば妖しさもあった。解放軍参加当初と比べて言葉遣いもくだけたものになってきたのは、対等の関係を望むセリスの意思の表れだろうか。
「うん、そうだね。……私も面白い策だと思ったけど、彼を動かすためにはもう一つ"何か"が必要なんじゃないかな?」
「……なるほどな、歴戦の宿将ともなれば一筋縄では行かないか。では俺はその"何か"を探してみるとしよう」
「……では私は攻撃の準備に取りかかります」
 結局、レヴィンの提案は保留に近い意味合いでの不採用ということになり、ハンニバルとは正面からぶつかることになった。

 オイフェにとってレイリアは協力者である。レヴィンのプランにオイフェが乗り気でないのを見て取って、セリスが拒否するように上手く誘導してくれたと思えた。さすがにナンナの秘密のお願いまでは汲み取ってくれなかったようだがそれは仕方がない。ルテキアを先に奪取することがレヴィンの青写真に最初から入っているのかは分からないが、とにかく一泡吹かせたことは精神衛生上すこぶる良い。
 一方でレヴィンからはレイリアがセリスに多大な影響力を行使できることに警戒心を強めた。オイフェはレイリアについて警戒していないようだが、妃候補が見つかったことの喜びというか親(代わり)の欲目みたいなものがセリスに対して混ざっているせいもあるだろう。一方でレヴィンが"傾国の美女"に過剰に敏感なのは母ラーナから強い影響を受けたために違いない。
 極端な話、レイリアは現時点で誰かの指図を受けている可能性がある。ダーナ市から出て以降も彼女を一目見ようと訪れる者は後を絶たず、その列の中に連絡員が紛れ込むのは難しくないことだろう。セリスが何事についてもレイリアに相談しレイリアの回答の通りにセリスが動くようになれば、解放軍は、ひいては次代のグランベルはレイリアとその後で糸を引いている人物が牛耳ることになる。それでシレジアに益をもたらすのならばレイリアと交誼を結ぶ手もあるが、せめてレイリアの出自が分からなければ判断のしようがない。だが分かるまで放置していればセリスが完全に骨抜きにされてしまう可能性もある。そうなればセリスに関わりのあるレヴィンはレイリアにとって邪魔なだけになり、最悪の場合シレジアごと除かれる可能性まである。
 今必要なのは、レイリアの影響力を少しだけ削ぐこと。レイリアは解放軍に必要不可欠な人物であり、やりすぎると進攻に支障が出る。少なくとも解放軍には帝国を打倒してもらわなければならないのだから匙加減は重要である。これは吟遊詩人でもあったレヴィンだからこそ可能な調整であろう。
 セリスの耳に入らないが中枢部には流れるぐらいの噂。揉み消しに追われてセリスへの影響力を行使できなくさせるだけの噂。これぐらいがいい。
 レイリアは戦闘が始まれば前線に出なければならず、それまでの時間を稼げればいいのだ。加えて、後々にも尾を引くようなものが望ましい。
「オイフェ、恨むなよ……?」
 今回の一件にかかわらず既に恨まれているだろうが、全く違うアプローチなために単なる累積にはならないはずだ。どう転ぶか確信はないが、セリスへの影響力を争う仲としてはレイリアを少し沈めるダシに使うのは一挙両得と言える。解放軍の指揮に悪影響を及ぼす可能性は高いが、レヴィンの予想を超えて軍を完成させていくオイフェの手腕から考えれば多少は大丈夫であろう。

 ……この頃から、解放軍の中枢に一つの醜聞が流れるようになった。
「レイリアは前線ではオイフェと夜な夜な逢っているらしい」
 噂とは、真実3割・虚妄7割が最も支持される。無視することができないレベルで、かつ想像力を刺激されるからである。完全な捏造ではなく、何かちょっとした事実をベースに肉付けするのが正しい流言の作り方である。
 オイフェとレイリアが会っているのは皆も耳にしていた。トラキア半島に進入して以降の解放軍はレイリアのカリスマ性を中心に据えた布陣を敷くようにしているため、軍を指揮するオイフェと要の人物たるレイリアとの間では充分な打ち合わせが必要である。軍事機密も考慮すれば密談となるのもある程度はやむを得ないところだろう。
 だが軍事面でいくら必須だとしても、男と女が密会を続けていれば勘ぐりの対象となってもおかしくない。ましてやレイリアはセリスと結ばれているはずの女性であり、オイフェはセリスの家臣なのだから多少は考慮すべきではないか――やましい気持ちが無ければ。
 これを受けての変化は……レイリアには見られなかった。根も葉もない噂だから気にしていないのか、こんな醜聞程度でセリスの寵愛が揺らぐことはないという確信か、あるいは揺らがせない自信があってのものなのか。
 一方でオイフェは完全に気後れして噂の信憑性を助長させることになってしまった。確かに軍事的には密会が必要だったが、対レヴィンの協力関係であることを伏せなければならない以上は頻度の面で過度であることに潔白を主張できなかった。
 ……そして何よりも、レイリアに会いに行く際にピュアな期待が混ざっていることをオイフェ自身が否定も切り捨てることもできなかったからであった。

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