――ペルルーク城。
 この城は大きな戦闘にも天災にも巻き込まれたことが無いにも関わらず、姿を3度も変えた大陸でも稀有な経歴をもつ城である。

 ロプト帝国が健在だった頃までは、人が住んでいない軍事用の砦であった。
 トラキア半島とミレトス地方を繋ぐ要衝ということで防衛的な意味合いでロプト帝国がここに砦を築いて軍を駐留させていた。この付近に仮想敵国があったわけではないが、反抗勢力が出現してこの近辺を根城にされると面倒なことになる。周囲に対処するために築かれた砦というよりも、先手を打ってその場所を確保するために築かれた砦というべきだろう。
 
 そのロプト帝国が打倒されると、この砦は使用する勢力が無くなったため廃城となった。
 トラキア半島を統治することを選んだダインとノヴァはこの城を有効的に活用しようとする気は無かったらしく、軍を駐留させずに残しておいて盗賊の根城になるよりかはと、このペルルークの砦を破壊したのである。
 冷静に考えれば、ミレトス地方との交流の意味でも、逆に睨みを利かせる意味でも重要な場所にあったこの砦を放棄するのは政略的にも戦略的にも誤りである――が、トラキア半島の北と南、ダインとノヴァの兄妹が手を取り合って行くという崇高な方針は、トラキア半島の未来は見据えても、その枠外に向けての展望にならなかったのだ。

 一方で、このトラキア王国を外から見て警戒したのがグランベル王国であり、聖者ヘイムであった。
 自分も含めて十二聖戦士のうち過半数を占め、他の国家よりも遥かに高い国力を有している――が、グランベル王国はそれに驕らなかった。聖者と讃えられても実は猜疑心が強かったヘイムは周辺諸国家への警戒を疎かにしなかった。
 特にトラキア王国への警戒ぶりは尋常ではなく、他の周辺国家よりも遥かに危険視した。竜騎士という圧倒的な速力を有する存在が、部隊となり軍となり、集団戦闘の運用ドクトリンが洗練され、地上戦力との連携もとれるようになれば……トラキア半島に大陸最強の軍事国家が誕生することになるからだ。
 ヘイム王は、トラキア王国が放棄し廃城となったペルルーク砦を再建し、対トラキアの監視拠点とした。もちろんこの行為は国境問題となったが、トラキア王国を経済と世論誘導で締め上げて南北に分断させる権謀術数を並行して駆使していたグランベル側の勝利となった。トラキア側はこの件に構っていられなくなったのである。
 砦を確保したグランベル王国は、ただ軍が駐留するだけの砦で済ませることはせず、交通の要衝を守る要塞として拡張を重ねた。グランベルにとって、南北に別れたトラキアには南北でいがみ合ってもらうほうが好都合である。となれば北トラキア四王国よりもミレトス地方の防備を薄くしてトラキア王国に方針転換されるわけにはいかないのである。

 防衛力を強化した要塞に改造したのはいいが、今度はそこに大軍を駐留させるための経済的な面で問題があった。
 当たり前だが、大軍を配備するためには多額の費用がかかる。トラキアを警戒する姿勢自体はヘイム以後の世代も変わらなかったが、版図の端に、征服する気も起こらない僻地との国境線沿いに、ただ警戒するために大軍を駐留させるのは無駄が多すぎるという判断になった。
 結果、グランベル王国の実質的な対トラキア防衛線はクロノス城まで下がることになった。地図上の版図は国境線まであるわけだが、ミレトス地方の経済圏を考えればこのあたりが現実的な勢力範囲の外周と言えたからだ。

 そして最低限の戦力を残し軍が撤退したペルルーク城であるが、要塞としての性格が薄くなったことやミレトス地方の他の城と同様に六公爵家の領地ではないことから、軍事拠点から自由都市へと変貌を遂げていった。もちろんグランベル王国の枠内でありその首長も国王が任命するわけであるが、トラキア王国に敵対する前線基地としての風貌は見せないようになった。
 これは北トラキアに近い聖地ダーナや、シレジアやイザークとも隣接するリューベック城、あるいはイード砂漠のオアシスであるフィノーラ城についても言えるように、グランベル王国は他国との国境は緩衝地帯となるような政策方針を選択したのである。
 国土が広く、また大陸の中央に位置するグランベル王国は、周辺諸国家の大半と国境を接している。国力や軍事力だけで言えば束になってかかって来られれてもまだ互角以上に戦える――が、この長すぎる国境線を全てケアするように軍を展開配備し維持するのは財政への負担が大きすぎた。また、そういう軍事方針に沿って軍を駐留させることは、戦力をできるだけ手元に置いておきたい六公爵家の本意でもなかった。
 そのため、グランベル王国の防衛大綱は外周の都市については支配を緩くして表面上無害なようにし、軍主力は六公爵家が自領内でそれぞれ集中管理運営し、非常時には外征への即応体制をとれるように――という経済面も考慮した方針となった。これは先手で侵略を受けても奪還できる自信があるためであるが、軍を置かない都市国家が攻撃された場合の世論誘導のしやすさも考慮にあった。

 さてペルルーク城は自由都市として大きく発展した――かとなるとそうでもなかった。
 位置的にはミレトスとトラキアを繋ぐ交通の要衝である……が、トラキア王国の軍事力への警戒を緩めなかったグランベル王国は、自国産業に乏しいトラキア王国への経済流通を徹底的に絞らせた。土地の貧しいトラキアにとって特に食料品の輸入が止まれば大打撃である、兵を使わずにトラキアを弱体化させる政策を採ったのである。
 グランベル王国が国策としてトラキア王国との流通を制限したとなると、当然ながらその経路上にあるペルルークは潤う材料を失ったのと同じである。貿易で大きく儲けられないなら商人が拠点を構えることもなく、その投資によって経済規模がさらに拡大されることもなかった。結果、周辺の諸都市との関係性以上には大きな発展は無く、ペルルーク城は本来ならばとても重要な場所に位置しているにも関わらず歴史的な存在感に恵まれなかったのである。
 グランベル王国がグランベル帝国と名を変え、トラキア王国と同盟関係になると経済封鎖は解除された。これによってトラキアとの貿易が盛んになり、ペルルークも潤う――という目論見はまたしても空振りに終わることになった。確かに商人の動きが活発になったかに見えたが……ペルルークには付近の流通と経済を牛耳るだけの力がなかった。
 経済封鎖が続いていた頃も、実際にはトラキア王国との通商はあったのである。経済封鎖が続いているということは、トラキアにとっての必需品が高く売れるということである。高くとも買わねば餓死する以上、トラキアはどれだけ高く吹っかけられても買うしかないからだ。
 もちろん国策に反した闇取引であるから、いくら高く売れるとしても大っぴらには取引できない。となると交通の要衝であるペルルーク城を拠点とするのは何かと目立つ可能性があり、闇商人たちは別の都市を拠点に選んだ。
 加えて、トラキア王国の軍事力を警戒する一方、北トラキア四王国(特にレンスター)が力をつけすぎないようにトラキア王国の脅威は残しておきたいという、グランベル王国からの密かな政策もあった。状況に応じて非公式な流通量を調整するターラ市による『水門』などがその例である。
 つまり、いくら交通の要衝であったとしても、ペルルーク城は経済封鎖が解除されても対トラキア流通を握る要素が無かったのである。もちろんペルルーク城に貿易拠点を置けば有利ではある……が、拠点を移してまで商売したがる商人がいなかった。経済封鎖が解除されたということは、商人にとって高く取引されていたものが暴落することになる。儲けが小さくなるというのにわざわざ移転費用を投じる価値は薄かった。また、トラキア国民にとってまず飢えないことが第一であり、単価の高い贅沢品の需要があまり見込めなかった。一方でトラキアから輸入してミレトスで流通させるにしても、特筆するほどの産業がトラキアには無かった。
 もし細々とした鉱山開発がさらに大きくなるのならばペルルーク城の存在意義が生きてくるが、トラバント王の性格から考えると、グランベル帝国と同盟を結んだからと言って軍事に注いでいた国力を内政にどれぐらい回すのかとなると怪しいものである。かと言ってトラキアの鉱山に全力で投資するような物好きな商人もおらず、現在の流通規模で変わらないとなるとミレトス−トラキア間の大掛かりな貿易流通体制の確立は特に必要とされなかったのである。

 ひとえに地味で不遇な都市といえるペルルーク城であるが……もちろんそれが戦史に登場しない証と考えればこれ以上無く平穏に過ごせてきた幸福な歴史と言える。
 だが、少しでも野心がある者にとってはこれ以上無くつまらない話であった。

 解放軍が眼下に迫ってきたとき、この時の城主はバズヴという人物で、元はミレトスの中流貴族の出である。
 六公爵家の直接支配を受けないミレトス地方は商人たちの手で急速な発展を遂げたが、それに合わせて成り上がった新興貴族も少なくない。機敏な貴族は力と勢いのある商人と結託し、便宜を図り、自らの力も伸ばしていったわけである……が、彼の家の当主、バズヴの父は少し出遅れてしまった。
 ミレトス地方内にはもう旨みが少なくなっているのを見ると、新天地を求めて自らペルルークに投資する賭けに出た。この新たな自由都市がいずれ発展することを見越し、既得権を先に得ようという狙いであった。
 ……しかし、私財を投じたバズヴの父親の夢は叶わなかった。ペルルークは交通の要衝なため必ず発展するという見立ては外れ、見返りを得られないまま世を去った。彼が商人出であれば地理的な意味での要衝ではあるが流通の要ではないことを見抜いたかもしれないが、分からぬまま打った博打によりこの家は没落することになった。
 バズヴが当主になったとき、彼の家は領地を経営する貴族というよりも、ペルルークのために働く官吏に近い状態にあった。貴族としても商人としても地力が無い状態で、手につけた事業を細々と続けるために国の力を仰ぐしかなかったからだ。幸いにも彼の家がペルルークに私財を投じたことが認知されていたおかげで協力を受けることが難しくなかった。
 そうして幾年が過ぎるとこの働きがバーハラに評価されたのか、バズヴは正式にグランベル王国から役職を与えられペルルーク城のために尽力する人生を歩むことになった。
 人生の転機と言えば確かにそうなのだが、バーハラ王家と六公爵家を頂点とした政治システムで動いているグランベル王国であるから、出世コースに乗ろうと考えれば中央思考が強くなるのが当たり前の時代である。六公爵家のような大貴族の目に留まらない限り格が上がるわけがない。それは政治に生きる者にしても騎士として生きる者にしても同じことであり、それがこんな辺境に居て身を立てられるわけがなかった。
 バズヴの場合、他の誰もがペルルーク城赴任を望まなかったからがゆえの抜擢であること、そして父親からの代から投じた資金の兼ね合いでペルルーク城から離れることができなかった。他の者ができるだけ早期に中央に転任したがる一方で、バズヴはペルルークに骨を埋めるしか無かったことが官吏として特に信頼される要因となった。
 そのがむしゃらにペルルークに尽くすしか道が無かったのが幸運だったのか、次々と重要な役職を与えられついには城主として任命されるにまで至った。時代は王国から帝国になっていて、ペルルーク城を取り巻く環境も大きく変わった。
 領地を大きくし力で運営権を手にしたわけでなく、功績と能力を認められての城主任命であり、ミレトスの他の城の領主たちと家の格が並んだわけではない――が、道を誤り没落させた父親の名誉はある程度回復できたと言える。
 だが、それで満足していいレベルではない。貴族政治である以上、主な収入は領地経営によるものであり、役職に対する俸禄などたかが知れている。バズヴは4人の子に恵まれたが、城主の役職とは自分の領地と違って世襲ではなく、受け継げるものはまだ残せていない。
 貴族とは特権階級である。バズヴの家は名誉こそは回復したが、父が投げ打って回収できなかった財産や領地などの特権はまだ取り戻せていなかったのだ。彼は城主としてペルルーク城の発展にさらに尽力することになるが、それはペルルークの民のためではなく、自分の利権のためである。そしてそれは悪でも何でもなかった。
 だが、それでもペルルーク城は大きくは発展しなかった。交通の要衝ではあるが、右から左に流れるはずの流通がペルルーク城を必要不可欠な存在と認めなかったからだ。
 これはバズヴの能力が不足していたなどではなく、ペルルークの外の環境の問題である。そしてペルルーク城が発展しないということは、この地に築いた領地や利権を受け継がせる息子たちもまた同じく地位の向上が望めないということである。彼の家はこの辺境の地で永遠に細々と暮らし、衰耗していくことになるだろう。

 バズヴはそれを嫌がった……が、どれだけ野心があろうとも、任命されただけのペルルーク城主にはミレトスやトラキアに干渉できる力など無いため、どうしても外部を頼る必要があった、帝国に侵食しつつあったロプト教会に興味を抱いた。ペルルーク城と自分がのし上がろうとするなら、ミレトスをひっくり返しうる新興勢力と手を結ぶのが最も理にかなっているからだ。
 ……だが、この家の宿命だろうか、これについてもまた乗り遅れることになった。ラドスの豪商モリガンがいち早くロプト教会と手を結び、ミレトスの勢力図を塗り替え始めていたからであった。
 ロプト教会から見て、ペルルーク城の城主が協力的なのに越したことはない……が、バズヴが求める見返りを与えるのがまず無理な話だった。
 たとえロプト教会がミレトスを掌握したとしてもそれでミレトスからトラキアへの流通量が動くわけではない。何しろロプト教会はあくまで聖職者であり商人ではないため、その差配はモリガンの胸先三寸で決まることになる。だがモリガンは海上運送の要であるラドスで成り上がった豪商であり、山奥のトラキアとの貿易についていい顔をしなかった。
 モリガンはモリガンで自分の店をさらに大きくしたい野望があって自らロプト教の洗礼を受けてまで手を結んだのである。産業に乏しいトラキア相手の貿易で自分が大儲けできないのであればバズヴとペルルーク城を引き込む意味が無いのだ。
 結果、バズヴはロプト教会に接近しても大きな変化に繋がらなかった。皇帝金貨事件が起こりクロノス侯がロプト教会に粛清されてミレトスの勢力図が一変しても、ペルルーク城に大きな影響を及ぼさなかったのである。
 一言で言うならばペルルークが辺境であり僻地であるせいなのだが、その一言で片付けてしまえばバズヴは自分の父親の選択を否定することになり、自分の人生や息子、そして子孫の運命をその被害者と定めることになる。

 皇帝によって城主に任命されたこと、一応はロプト教会に接近したこと――どちらとも関係があるものの決定的材料に欠けるため、ペルルーク城主バズヴは皇帝派でも皇太子派でもない中立の立場にあるとされていた。ただ、中央から遠く離れた城だからと皇太子派があまり問題視しなかったせいもあり、帝国を揺るがす問題においてもやはりペルルーク城は枠外にあったのである。
 ――そんな歴史の孤島とも言えるペルルーク城に、一発逆転を狙える運命が突き付けられた。
 ペルルーク城のみならず、ミレトス地方、そしてトラキア王国、そしてグランベル帝国そのものをもひっくり返す新たな勢力が誕生し、ペルルーク城とバズヴを味方にと勧誘してきたならば、断ることはできるだろうか。
 風と共にバズヴの前に現れた男は――シレジア国王レヴィン。 
 セリス皇子率いる解放軍がグランベル帝国を打倒し新政権を打ち立てること、ただし旧グランベルのような中央集権とならずに地方の力が重要となる緩い国家となること、トラキア王国が政治軍事ともに充実した国家に生まれ変わり産業も大きく発展すること、ペルルーク城主バズヴを侯爵位で迎えること――
 どこまでが本当の話でどこからが口約束かは不明である。それ以前にこの話そのものをどう信用すればいいのかすら分からない。
 レヴィンがバズヴに求めた条件は、解放軍が現れたら開城すること、ミレトス進攻の拠点として軍事利用することのみで、話を聞いた時点ではバズヴに不利益は何もなかった。
 バズヴにとって世界を揺るがした大内戦ですら蚊帳の外だったため、叛乱軍の首謀者シグルド公子の遺児が生き残っていて近々旗揚げするらしいという情報を得たぐらいにしかピンと来なかった。   
 しかしこの情報を皇帝なり帝都なりに告げる選択肢はバズヴに無かった。帝国公式には存在していないことになっているセリスが反乱を企てている情報を売ったとて利益にならないからだ。
 バズヴにとってグランベル帝国への忠誠心というものは確かにある……が、グランベル帝国領内にありながらグランベルとの関係が薄い運命にあるこの地にいれば、グランベルの政権が入れ替わることが重大だとあまり思えなかった。逆に、レヴィンの言い分通りに世界が変わったとすれば、今度はペルルーク城にも多大な恩恵があるはずである――となれば、この話を受けずに潰す選択など無かった。

「手はずはどうなっている? 城外のムーサー隊に気取られていないな?」

 眼下に解放軍が迫り、約定通りに開城するタイミングを伺うバズヴ。
 ペルルーク城内は解放軍を歓迎する声のほうが強く、実行には支障がない。
 問題があるとすれば、城外の森で解放軍と激突しているムーサー隊である。彼らはペルルーク城所属ではなく皇帝の命によってシアルフィ城から派遣された部隊であるため、開城に従うわけがない。下手に開城して怒ったムーサー隊が城内に雪崩込んで来るようなことは避けたいため、慎重に機会を伺わなければならない。

 事がレヴィンの言うとおりに全て上手く運んだ場合、ペルルーク城の両端となるミレトスとトラキアの力が強くなる。となれば自然と結びつきが強くなり、それを繋ぐペルルーク城が受ける恩恵は計り知れない。特に侯爵位を与えられるということは、このペルルーク城の城主ではなく領主としてこの地を任されることであり、恒久的な特権を受けられることになり、父の代から注ぎ込んだ労苦がやっと報われることになる。
 ただ、レヴィンの言うことは全てレヴィンの計画によるものである。彼は解放軍の重鎮かもしれないがあくまでシレジア国王であってグランベルの人間ではない。セリス皇子が強く中央集権的なグランベルを目指した場合これと矛盾することになる。そのときどう解決するのか、そのときペルルーク城とバズヴに運命を切り開く余地があるのか――そこまで思い至らなかったのはレヴィンのコントロール術であろうか、あるいは辺境の城主であるバズヴが権謀術数に疎いせいであろうか。
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