――ペルルーク城前の森、戦闘中。

 ルテキア城に現れたトラバント王への対応をオイフェの別働隊に託し、セリス皇子率いる解放軍本隊はペルルーク城攻撃を続行、近郊の森の中で帝国軍のムーサー隊と激突した。
 風のような一撃離脱を得意とする機動力を誇るムーサー隊だったが、ペルルーク城攻略を目的とする解放軍を本格的に足止めしようとすれば正面から切り結ぶしかなかった。狭い森の中での戦闘ではかき回すことはできず解放軍の地力に敵うわけがない。
 解放軍はやがてムーサー隊を森から叩き出し、ペルルーク城を視界に収めるところまで押し込んだ――そのときである。


「急報ーッ! 急報ーッ! 自軍背後に敵天馬騎士隊による奇襲!! 後方部隊が攻撃を受けています! とてつもない強さです!」
「え……え…っ!?」

 旗揚げ以降、滅多なことでは聞かなかった危機を知らせる通報。
 セリスは頭が真っ白になったのか声を失っておろおろするばかりだった。

 別働隊による挟み撃ちという形自体はどこの戦闘にでもある話だが、地形が険しく移動が困難なトラキアとの国境で背後に回られるという発想がまず無かった。自分の庭にしているトラキア軍ならあり得ない話ではないが、天馬騎士ということはトラキア王国の部隊ではない。原産といえるシレジアか、グランベル帝国の軍ということになる。
 確かに天馬騎士隊であれば地形など関係はない……が、帝国からの援軍に天馬騎士隊が含まれているという情報は無かったし、これまであった数度の小競り合いにおいても姿を見なかった。今の今まで温存していたか、あるいは新たに派遣された戦力か――どちらにしても解放軍にとって想定外の危機に陥ったことに違いない。
 天馬騎士は竜騎士と同じく弓矢という天敵がいる航空戦力であるが、精鋭の射手はトラキア三城を防衛する『燕返し作戦』に参加中で不在。となれば簡単に対処できる相手ではなく、前線で戦っている主力をぶつけなければ追い払うのは難しい話である。
 だが前線部隊はムーサー隊と戦闘中であり、そこから戦力を引き抜くのは軽々にはできない。もしも薄くしたことで勢いが弱まり、ムーサー隊を突破できなかった場合のデメリットが大きすぎるのである。
 ペルルーク城には開城の意思があるが、彼らは保身や野心で調略に応じたわけである。彼らにとって、寝返るからには解放軍に帝国を打倒してもらわなければ意味が無い。裏返せば、解放軍は帝国を打倒できるぐらい強いということをペルルーク城にアピールする必要があった。もしもこんな城から視界が通る位置での戦闘で無様な姿を見せれば、解放軍の強さに疑念を抱いて内通を撤回される可能性がある。ペルルーク城は辺境とはいえ帝国領であり、解放軍はたいして強くないなどという評判が流れれば今後に大きく影響しかねない。

「後衛は捨てろ、下手に対応するよりもこのまま前を突破してペルルーク城に入るほうがいい。後ろがやられても森の向こうだから話は表には出ない」
「……でも、逃げ込むみたいだから……なんとかならない?オイフェは来ないの?」

 もしもオイフェがこの場にいれば、前線から的確な戦力を後方に回して対処ができたかもしれない……が、今はセリスが決断しなければならない状況にある。トラバントが単騎で現れたという情報に翻弄された運命のツケであろうか。
 レヴィンの言葉は正論である。今の解放軍に優先順位をつけるならばムーサー隊を撃破しペルルーク城に入ることが第一位なのは間違いない。この城は帝国進攻の大事な拠点となるため、今後を考えれば多少の被害は目をつぶってでも確実に確保したいところだ。

「セリスさま……気持ちは分かるけれど、意地を張っちゃいけないわ。駄々をこねては度量が狭くなるもの」
「……うん」

 一方で、それをよしとしないセリスの真意は意地であった。
 覇王を目指すセリスにとって、負け戦はあってはならない。
 こんな辺境の森の中の戦いであっても、それは同様である。記録が残るわけではないが、父シグルドと2代で大陸全土の全勢力を打倒し頂点に立つ野望のキズになるのだ。
 けれど、そのあたりを知っていてなお駄々と言い放ったレイリアに冷水を浴びせられる格好になり、セリスも頭を冷やして決断するしか無かった。
 意地を張りたいセリスではあったが、"今"に興味がない彼とて戦術眼に成長がないわけでもない。特にオイフェは別働隊を率いてルテキア城防衛のために戻っており、自分が決断しなければならない状況である。前方のムーサー隊、後方の謎の天馬騎士隊を両方撃破するのは難しい以上、進むか戻るかしかない。
 ……結果、セリスは涙を飲んで前進を指示、解放軍はムーサー隊を突破し、開城したペルルーク城に入り戦闘は終結した。後方を脅かしていた謎の天馬騎士隊も意外と早く手を引いたために、幸運にも解放軍に大きな被害は出ずに済んだ。
 表面的な状況だけを拾った場合、解放軍はペルルーク城近郊の森でムーサー隊と交戦しこれを撃破、ペルルーク城は降伏したことになる……が、後世の歴史にはそう記録された書物は残されていない。この選択に納得することができなかったセリスはこの戦いにおいて自らの勝利を認めず、記録に残すのを咎めたからである。
 


「我々はこのまま帰還する。追撃への警戒を怠るな」

 戦闘終了後、ペルルーク城西――

 一方でムーサー隊の引き際も見事だった。
 解放軍が足を止めて後方へ対応すれば自分たちへの圧力は薄くなるわけであり、反撃のチャンスとなる。そうなれば戦況は大きく覆ったかもしれないが、彼らはそのまま前線突破を選択した。戦線を維持できないと見たムーサー将軍は戦闘を放棄して撤退するよう命令を下した――ただしペルルーク城にではなく。

 ペルルーク城バズヴが解放軍と内通していることについて、ムーサーは明確な情報を掴んでいたわけではないが、寝返る可能性について皇帝から示唆されていた。
 領主や政治家にとっては政略上の寝返りについての選択肢を放棄することは無い……自領の安堵のためには手段を選んでいられないからだ。しかし一方で軍人にとって自分の拠点が裏切って敵対する可能性までいちいち考慮していては戦闘どころではない。
 もしペルルーク城が信頼できる拠点であれば、戦況が不利になっても籠城戦に移行すればまだまだ戦える……が、もしもあの城門が開けられずムーサー隊を拒否すれば、逃げ場を失って壊滅することになる。
 ペルルーク城は現時点では帝国領である……が、イザーク、北トラキアの両王国を叩き潰してきた解放軍が眼下に迫った場合、それでもなお帝国領の城として旗色を鮮明にできるかとなるとかなり怪しい。負ければ全てを失うような大貴族であればまだしも、世界の覇者が帝国からセリス皇子に移っても特に不都合がないペルルーク城ならば解放軍に降伏して保身に走ったとしてもおかしくない。むしろ積極的に寝返ってあわよくばいい目を見ようとする可能性まである。
 となると、ムーサー隊はペルルーク城が真後ろにあっても味方の拠点として考慮できず、これをむしろ敵として見なすと前後挟まれている状況にあった。

 幸運にも、解放軍の思い切りの良さがムーサー隊を救った格好になった。
 後方を脅かされながら前線を突破してペルルーク城に迫るということは、開城するという確信がなければやれない行為である。もしこれでペルルーク城が寝返らなければ前後左右を包囲されることなるわけであり、内通の密約が無い限りこの判断は不可能なのである。
 ムーサーは解放軍がさらなる前進を選んだのを見た時点で、ペルルーク城が内通しているという確信を得て、戦闘の続行を放棄した。この場でなお踏みとどまって戦っても自分が挟み撃ちに遭うようなものだからであり、ペルルーク城を翻意させられるほど優位に戦える相手ではないことも分かっていたからである。
 そして何よりもムーサー隊の主任務はトラキア王国への救援である。トラキア王国深部への侵攻を企てていた解放軍をここまで釣りだしたことで救援先は当面の危機が去ったと言える。
 よってムーサー隊には戦闘をこれ以上継続する必要性がなかった。解放軍が突破してペルルーク城に入る意志を見せたところで戦闘の切り時退き時を測ることができた。

 だが、ムーサー隊にはここから問題があった。戦場から離脱はできたものの、このあとどうするかという話である。
 ムーサー隊の所属はシアルフィ城であり、このまま戦闘装備のみの部隊が遠征物資抜きでそこまで帰還するのは無理な話である。
 どこかで補給を受け、長駆移動できるよう準備しなおすことが必要である。こちらに来るときも同様の準備をしてきたわけであるが、その物資は拠点としていたペルルーク城に置いてきてしまっているので手元にない。当然ながら取りに行くのは諦めるしか無いため物資は新規に調達しなければならない――そういう物資が確実に存在する最も近い城はクロノス城だが、今の城主は皇太子派の筆頭とも言えるフリージ王妃ヒルダであり、皇帝直属のムーサー隊としてはあまり頼りたくない相手である。
 もともと不仲な二派なうえ、この遠征自体がもともと皇帝の独断専行で行われたものである。皇帝が何を考えてトラキア救援のために自前の軍を派遣したのか謎のままであり、皇太子派にとってその真意を探る意味でムーサー本人から情報を引き出したいところだろう。下手に入城すれば何が起こるかわからない。

「とは言ったもの、迂闊なことはできんか……」

 最悪の話、捕縛されて尋問ということまで考えられるが、それを嫌ってクロノス城を無視することもまたできなかった。兵にこれ以上の無理を強いるわけにいかないことと、「ムーサーは皇太子派に漏れてはいけない情報を握っている」などと思われれば皇帝の腹まで探られることになる。
 事実、ムーサーの手元にはシャルローとトラキアの難民もいる。戦闘を離脱したのち先ほど合流したわけだが、彼らをどこまで連れて行くべきだろうか。非戦闘員の彼らを連れてシアルフィまでの強行軍は不可能である。
 シャルローが本当に亡きクロノス侯家の者ならば、クロノス城に入れば帰郷ということになるが、里帰りさせたくて連れているわけではない。ロプト教会によって破滅させられたクロノス侯家の遺児ならば皇帝派にとって政略面で大きな意味があるからであり、シアルフィに追いやられて皇太子にいいようにされている皇帝の反攻に役立つに違いないからである。
 
「将軍、あれを」

 副官が空を指差す。
 ムーサーが見上げれば、曇り空に混ざって白い天馬が数騎舞っている。解放軍の背後を襲った彼女らも無事に離脱できたようである。
 しばらく円を描いて旋回していたその編隊は、やがて矢印を形作るように並んで見せて、北の空に飛び去った。

「あの山のむこうに村があったな……よし、全軍転進、今の矢印の方角に向かう」

 あの天馬騎士隊の参戦は戦闘開始直前に知った。
 ペルルーク城にあてがわれた部屋で自分の装備を整え、まさに出撃する直前にいきなりバルコニーに飛び込んで来たのである。
 彼女のその破天荒ぶりと兄と慕って飛びついて来る甘えん坊ぶりと、人前での冷徹ぶりが何年経ってもイメージが合わないが、貴重な援軍となったのは間違いない。ムーサー隊単独では解放軍を止めることも撤退することもできなかったに違いない。その点ではムーサーは解放軍の強さを読み損ねていたわけだが、遠い地から彼女らを送り込んだ主の眼力に畏れ入るほかなかった。
 
「帰って来れぬ遠征だと思っていたが……陛下はまだやることがあると仰るか」

 空を仰ぐムーサーは何も知らない。
 彼は騎士であり、忠実な駒にすぎない。任務以外に何も聞いていないし、尋ねるつもりなかった。
 ただ自分の主が重い腰を上げ、何かに向けて動き出しているのは感じる。自分の命を操る糸がもう1本あることには気付かないままに。

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