「敵襲ーっ! ルテキア城に敵襲ーっ!」
「来たか! 数は!

 ペルルーク城を攻撃中の解放軍は、後背の城が襲われた報告を受け取ったが驚愕の表情は無かった。

 この地でトラキア軍と決戦を――というセリスの要望に応え、オイフェは解放軍を北進させた。ペルルーク城を攻めることであえて背中を見せてトラキア軍を誘い出そうという作戦を採ったのである。そして勝てるかという問題には何ら不安は無かった。
 航空戦力の最大の武器は地形を無視できる点である。トラキアの山々を飛び越えて後方の拠点を襲えるという利点がいかに大きいか、正確に想像できる人間はそう多くない。軽く見れば手痛い奇襲を食うことになるし、過大評価すれば竜騎士の航続距離全体をカバーした迎撃体制を敷かなければならない。解放軍の今の戦力ではどちらも許容できない。
 だがオイフェはこの運用法と初めて向き合うわけではなかった。16年前、シレジア内戦の際に天馬騎士による後方奇襲作戦を見せつけられた経験がここで生かされた。
 ザクソン公ダッカー配下の天馬騎士隊が王妃ラーナの軍を破った際、そのままシレジア城に雪崩れ込むかと思われたが、ここで天馬騎士隊は意表をついて山を越えてトーヴェ城を急襲するという大胆な奇襲策を決行した。当時シグルド軍はシレジア城救援のため兵を進めており、完全に不意を突かれる格好になった。結果としては何とか死守したものの、あのシグルドが「しまった」と零すシーンに遭遇できるという極めて異例の副産物をも生み出した。
 天馬騎士にできることは当然ながら竜騎士でも可能である。オイフェは対トラキア戦のために当時の経験を土台にして徹底的に竜騎士の運用法を研究していたのだ。
 常識が通用しない相手に対する知識を得たオイフェにとって、竜騎士のみの編成など欠点だらけの脆い集団でしかない。ミーズ城、カパトギア城、ルテキア城のどこが襲われてもいいよう少数兵力ながら万全の迎撃体制を敷いた燕返し作戦は、対竜騎士に特化した最小限の戦力に絞り、がら空きの後方を見せることでトラキア軍をい出し壊滅させる狙いがあった。 そしてその通りに食いついてきたわけだが――急報の詳細がオイフェの目を点にさせた。

「そ、それが……トラバント王が、単騎で……っ!」
「…………なに?」

 
完全に予想外である。
 トラキア側から見れば、ルテキア、カパトギア、ミーズの三城を攻撃するわけであるが、攻撃対象が3つだからといって単純に戦力を三等分すれば良いと言う話ではない。当然の話、解放軍主力に最も近いルテキア城への急襲が最も成功率が低く危険に満ちている。だからルテキア城には優秀な将軍に率いられた精鋭部隊をぶつけるか、あるいは逆にカパトギアとミーズへの成功を確実なものとするためにルテキアにはあえて足止め程度の捨石が放り込まれるのではないか……というところまではオイフェの想定内であった。だが国王自ら、それも配下の竜騎士を率いず単騎で特攻してくるなど予想できるわけがなかった。

どうするの?」
「……何にしても、軍を返すわけにはいきません。ルテキア城へ救援を送りつつ、ペルルーク攻略を続行します」

 
オイフェはそう答えるしか無かった。
 そもそもこの作戦は隙を見せてトラキア軍をおびき出すという解放軍主導の流れであったが、いつのまにかオイフェの手元にあったはずのこれ以外の選択肢が全て消失していた。
 トラバント王と名付けられた釣り針に対し、無視するか食いつくか。
 慎重な選択肢は、全軍が引き返してルテキア城の守りを固めることだろう。だが、ペルルーク城攻略を放棄すればあの小うるさい帝国軍部隊に背中を見せることになる。あれだけ状況把握が巧みな相手に追撃の権利を与えるのは危険が大きい。解放軍にしてもオイフェ個人にしても、勝ち戦は数多く経験しているが撤退戦と言うものは縁が無い。勝つ自信はあるが被害をどこまで抑えられるか確証がない。
 
加えて、ペルルーク城は国境の際の際とはいえ、解放軍にとって初めて踏み込む帝国領である。背後が危ういと判断してものであったとしても、その初戦で背中を見せて退くというのは今後の勢いに影響するかもしれないのが気になるところだ。
 それ以上に問題なのがトラバントである。相手が単騎ではなく密かに軍を率いていれば全軍転進の選択は正しかったことになるが、これで本当に単騎だったならトラバント1人を畏れ慄いたことになり、覇王を目指すセリスにとって不名誉な戦果が残る。しかもこれでもしもトラバントを討ち漏らして空に逃げられるようなことになればいい笑い者である

「どちらかに賭ける、とはいかんな。厳しいが両面で受けるしか無い」

 レヴィンも同調したように、片方に対応するためにもう片方を捨てるのは難しい。ペルルーク城から退くことが好ましくない一方で、トラバントを完全無視することもできないのである
 
単騎の国王という、この上なくあからさまな囮なだけに、囮と思わせておいてその裏をかこうとしているという読み方もあ
 トラバントが本当に1人であれば大きなことは出来ないので問題ないのだが、間違いなく単騎だという確証が無い。姿を見せたのがトラバント1人なだけで、実際にもトラバント1人のみとは限らない。密かに軍を率いていてどこかに伏せさせ、隙を見てルテキア城に一斉に襲いかかる――という作戦の可能性もありうるのだ。
 
ルテキア城の迎撃体制『燕返し作戦』は少数であっても十分な対応力を備えてはいるが、トラバントが最強の部隊を率いて来られてはさすがに分が悪い。解放軍が解放者として迎えられていないこのトラキアの地において、城の真上でトラキア国王が奮戦する姿を見せた場合、ルテキア城の民衆に平静を求めるのは不可能に近い。ただでさえ城壁が脆い内地の城でもし民衆が蜂起すれば防衛は至難となる。そしてもしもルテキア城が陥落するようなことになれば、解放軍本隊はカパトギア城やミーズ城と分断され孤立してしまう。
 もしトラバントは単騎だと読み違えてペルルーク城攻撃を優先してルテキア城に救援を送らなかった場合ルテキア城は窮地に陥り、落城すれば解放軍は帰る場所を失って壊滅することになる。
 
そういう最悪のケースを想定して対処するならば、ルテキア城に軍を返すのが妥当な判断なのであろう。ペルルーク城の帝国軍に背後を見せることは危険ではあるし今後にも響くだろうが、それで解放軍が壊滅するわけではないし、オイフェの指揮ならば被害を抑えることも挽回も可能だ。
 
とすればペルルーク・ルテキア両城を同時に成果を挙げるのを無理して狙う必要はない。多少の不利をきっちりと計上して堅実な手段を採ればいい話なのだ。
 
だがそれが正常な判断というか標準的な価値観となるのはあくまでも常識の範囲内である。解放軍はこれまであまりにも勝ち過ぎたこと、そしてオイフェはセリスが統治する次の時代を考えた勝ち方を念頭に入れているのもあり、僅かとはいえ解放軍に傷が入ることに神経質になっていたのだ。
 
よって、ペルルーク城攻めもルテキア城救援も捨てられないのである。となると戦力を分割するしかないわけであるが、実際には両プランともに失敗する可能性を抱えた危険な賭けである。もしもペルルーク城を奪取できず、そしてルテキア城を奪われるような結果になれば解放軍は全滅を免れない。
 解放軍が罠を仕掛けたはずである……が、蓋を開けてみればその解放軍が厳しい手を迫られている。聖戦士と神器は戦況を覆す力があるが、まさにトラバント王1人によって解放軍は精神的劣勢に追い込まれてしまったのである。
 トラバントが本当に単騎なのか否か、これを見切れさえできれば対処は難しくない。本当に単騎なら無視してもさほど問題にならないし、竜騎士隊を連れて来てどこかに伏せているのなら軍を返すのが正しい判断となる
 だがオイフェはどちらかに絞ることができなかった。王の心情についてその立場に立って考えることが出来なかったし、考えてもまったく説明がつかなかったからだ。

「トラバント王……よく分からない人だね」

 話を聞いていたセリスの感想がよく物語っていた。
 解放軍の運営を全て配下に任せている呑気なセリスであるが、それでも自分が旗頭であることと、自分の死が解放軍の消滅となることぐらいはさすがに自覚している。
 それがトラバント王となるとどうだろうか、数十年に渡りトラキア王国を背負い続けてきた偉大な国王が死地に赴く意味は重過ぎる。セリスと違ってアリオーンという後継者がいるが、だからと言って死の淵に立たせていいはずがない。空高く飛び立てば安全が確保される竜騎士といえども、天槍グングニルを持った聖戦士といえども、単騎で敵城に飛び込んでも生還できるだろうと楽観視するのは不可能だ。
 だからこそ、この垂らされた釣り餌を無視できないのである。トラキア側が何を考えて国王を囮にしたのか見当がつかないが、死の覚悟に値するだけの戦果を挙げる何かがあるはずなのだ。そして、もしそれが存在するのだとしても、やはり王の命を賭けるだけの思い切りが理解出来ないのである。
 現状、トラキアは劣勢に立たされているが、王の命をも賭けなければならないほど劣勢でもない。国土の半分を占領され、宿将を失った……戦況だけ見ればトラキアは滅亡に瀕していると言えるが、竜騎士団は健在であり、険しいトラキアにおける地の利は計り知れない。挽回と逆転のチャンスと戦力が残っているのだから最後の切札を使うには早過ぎるのだ。
 セリスがトラバントを「よく分からない人」と評したのもそれゆえだろう。しかし人物を推し量っている時間は無い。

「兵を分けるなら俺がセリスを補佐しよう、どのみちセリスがペルルークに乗り込まなければ次に続かん」
「……お願い致します」

 
トラバントの真意を読みかねて引っ掛かりを覚えたままのオイフェは、レヴィンの提案に頷くしか無かった。
 ペルルーク城攻撃とルテキア城救援、両方に対応するならば戦力を二分するしか無く、片方がオイフェ、もう片方がセリスを率いるしかない。レヴィンの隠された野望と陰謀を警戒しなければならないとしても、セリスの軍師として補佐できるのはレヴィンしかいない。レイリアがいくら聡明であっても司令官の真似事ができるわけではないのだ。
 
ではどちらを担当するべきか。
 
帝国の最前線で戦上手な援軍もいる防衛体制充分なペルルーク城の攻略、国王トラバント自らの襲撃で竜騎士隊も来ているかもしれない占領したばかりのルテキア城への救援――どちらも簡単な話ではない。
 
オイフェがレヴィンの提案に従ったのは、この2つを天秤にかけた場合に優先度に差をつけるのがセリスとトラバントの存在だった。
 
ペルルーク城は帝国領に初めて踏み込む場であると同時に、これからミレトス地方を解放していく際の拠点となり、さらにメルゲン地方を経て北トラキアや聖地ダーナとの補給路を繋げる重要な城である。この城の解放の際に旗頭である光の皇子セリスがいるかいないかの差は大きい。
 
攻略だけオイフェが担当して落としたらセリスと交代するという手も使えなくもないのだが、交代の最中は司令官が不在になるということである。とにかく不気味なトラバントに対応して、その結果どうなるのか確証が持てないために持ち場を離れる手段を用いる踏ん切りがつかなかった。
 
もちろん、オイフェにとって自分がセリスを補佐してもう片方の指揮権をレヴィンに委ねるのは論外である。解放軍の運営に悪影響が出るほど足の引っ張り合いをしているつもりは毛頭ないのだが、自由と権謀術数を備えたレヴィンにさらに力まで渡すつもりもなかった。

「フッ……甘いな」

 
軍議が終わり、オイフェに率いられた救援部隊が南に向けて駈け出していくのを見送るレヴィンの口元に冷淡な笑みが零れた。
 
オイフェの軍事的センスは師であるシグルドに匹敵、あるいは凌駕していると言っても過言ではない――が、優柔不断な部分があり、決断しきれないときは悲観的な発想に流れてしまうのが欠点だと見ていた。
 
国王トラバントの奇襲、それも単騎――こんなこと、レヴィンにも読めるわけがない。仮にも同じく国王の身分であるレヴィンにとってもなお、トラバントの真意は測りかねた。
 
だが、レヴィンが感知できないことはレヴィンにしか知らない話である。オイフェから見て解放軍の内外で発生する物事がレヴィンの影響下で動いているかどうか見分けられるわけではない。つまりトラバントの動きは実際には完全にアクシデントだったわけだが、レヴィンは伏せたままの見せ札としてしれっと活用したのである。レヴィンの暗躍を止めようとするオイフェならば、トラバントという大きな動きに対しての対応は自分でするに違いないと。
 
そう、自分で提案したペルルーク城攻撃を担当するこそレヴィンが次に打ちたかった一手であった。感知しないトラバントを陽動として堂々と勝負手を切って通したのである。


『……激しい戦いの末に帝国軍を追い払い、ペルルークを救った……』

 
このペルルーク城攻略戦、激しい戦いと書かれているにも関わらず、戦闘の内容については細かい描写や記録は存在せず、多くの書物はこのように極めて素っ気なく記されている。
 
シグルドとセリスが軍を率いて大陸全土を戦い抜いた歩みの中で、唯一ペルルークについてのみ抜け落ちているのは何故か。
 
書物で触れられなかった理由、明かされない真実……それは、ユグドラル大陸全土を勝ち抜いた、シアルフィ家にとって好い記録の反対の事柄が起こったからに他ならない。

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