コノート城陥落!
 その報は、トラキア王国にとって進攻開始の合図でもあった。
 王都であり国王ブルームの居城であるコノートが陥落すれば北トラキアはこれ以上の抵抗は不可能になる。マンスター城が残りはするが、解放軍とトラキア王国軍の挟み撃ちになって守りきるのは至難であり、グランベル本国に確固たる拠点があるフリージ家はマンスター城で玉砕戦をやる必要が無い。コノートを落とされれば撤退しかない。崩壊した北トラキア王国、残されたマンスター城――まともな防衛力があるわけなく、奪取するのは容易である。
「竜騎士隊進撃!マンスター城を確保せよ!」
 先発隊の指揮を任されたアルテナ王女の号令が下り、北トラキア情勢を伺いながら山間で待機していた竜騎士たちが空を舞い北を目指す。
 コノートを陥落させた解放軍もまたマンスター城を抑えに来るだろうし、城内の抵抗もあまりないだろうという観点から、陸上戦力を伴わず竜騎士のみでマンスター城を制圧することを選んでいた。
 速度勝負なら竜騎士に適う戦力は存在しない。目論見どおり動けばマンスター城はトラキア王国軍が制圧し、コノート城との中間地点で睨み合いとなる筋書きだった。

「コルータ、斥候からの報告が届いた。マンスター城から市民が脱走しているらしい……どうやらコノートに向かっているようだ」
 マンスター城を眼下に捉える山頂に陣取るアルテナが副将にそう告げた。
 マンスターからコノートにかけては平野部が続き見通しがいい。上空から戦場を観察できる竜騎士の斥候の報告は迅速かつ正確である。市民が流出している情報は確かなのだろう。
「姫様……マンスターはレジスタンスが蜂起したのでは? なぜ市民が脱出しているのですか、私には解せませぬ……偽装かもしれません」
 レジスタンスは市民が支持あってこそ存在意義を保てる。そのレジスタンスが蜂起して市民が脱出するのは筋が合わない。レジスタンスと軍との衝突に巻き込まれるのを嫌って逃げるケースはあるが、コノートが安全というわけでもないし、竜騎士に捕捉されてまで逃げるのは危険を伴いすぎる。
 それ以前にコノート城が陥落し北トラキア王国は崩壊、軍は精神面で不安定になっているはずである。国がなくなった以上、マンスターは無法地帯と化してもおかしくなく大荷物を抱えて脱出を図れば暴走した兵士たちの獲物になってもおかしくない。
 もしレジスタンスが本当に蜂起したのなら、城内の主要部を抑える一方でまず市民の安全を守りに行くべきである。
 ただでさえ対トラキアの最前線なのに城門が開かれること自体がおかしい。もし蜂起の混乱中にトラキア軍に襲撃されれば元も子もないのだから防御を考えた動きをするべきである。わざわざ斥候が報告を上げてくるほどの規模で流出が起こることはあり得ないのだ。
「偽装とな? するとあれは市民ではないと……見逃せぬ! ただちに追うぞ」
 市民が流出することがあり得ないのなら、あの群れは市民ではないことになる。解放軍がコノートを陥落させたのと連動しているのならば、あの群れは解放軍に何か関係がある。
 市民でないのなら、市民に偽装した何かということになる。
 これが軍需物資を満載した補給部隊だったらどうだろうか。トラキア王国軍もマンスターを狙っていることぐらいは解放軍も承知しているだろうし、トラキアに先んじてマンスターを抑えることが難しいと判断していればあり得る話である。
 蜂起に大成功してレジスタンスがマンスター城を奪取すれば解放軍が駆けつけるまで懸命に守る。手間取るか失敗するようならばマンスター城をいったん諦めてトラキアに譲り、流出する市民に偽装して軍需物資をコノートの解放軍に届ける……という狙いではないかとアルテナは読んだのである。
 トラキア軍は市民に手を出さない高潔の騎士団というわけではないが、速戦速攻を要求される運用の都合上、無抵抗の市民にまで手を出している暇がないのである。抵抗を続ける戦力を叩き潰して無力化することを優先しなければならないのだから、市民を装っておけば襲われないで輸送できると踏んでの作戦ではないだろうか。
「しかし姫様……追えばおそらく解放軍と鉢合わせになります。戦力が整っていないうちに戦端を開くのは自重すべきです!」
 仮にアルテナの読みが正しく、あの市民がレジスタンスから解放軍に託した軍需物資を運ぶ輸送隊だったならば、トラキア竜騎士が襲い掛かるのを黙って見過ごす解放軍ではないだろう。せっかくの物資を灰にされたくはないだろうし、仮に物資と知らなくとも市民を守りに出撃しなければならない立場にある。どちらであってもトラキア王国と解放軍は衝突しなければならない。
 アルテナが率いる竜騎士たちはあくまでも先発隊である。任務はマンスター確保であり、国王トラバントが本隊を率いて来るまでの繋ぎでしかない。
 もしもアルテナが解放軍に敗れれば軍需物資はもちろんマンスターまで奪われることになり、状況は悪くなる。軍の強さに勢いは欠かせないものであり、緒戦で躓くと最後まで響きかねない。ましてやほぼ確実に手中にできたはずのマンスターを奪い損ねたのならば士気が下がるのは目に見えている。むしろこんな大チャンスを逃して明るい未来が見えて来る者の方がおかしい。
 マンスターのレジスタンスはそれを狙って物資を流したのかもしれない。釣り出された竜騎士隊を解放軍が撃破すればマンスターは守れるし、少なくとも偽装市民に対してトラキア軍が戦力を割けばそれだけ防衛の負担が軽くなる。気を逸らすにしては高価な餌であるが、マンスター城を解放軍が抑えるならやってみる価値はある。
「みすみす渡してしまってはそれこそ機を失う! 何としてでも叩かねばならぬ!」
 アルテナが危惧するのは、軍需物資が解放軍の手に渡った場合である。
 もともとマンスター城は対トラキアの最前線ということもあり大量の物資が備蓄されていた。これは旧4王国時代からの名残である。
 トラキア王国軍の侵攻に対してマンスターで防衛線を張って支えつつ他の3王国とグランベルからの援軍を待つ格好になる以上、マンスターが物資を供給できなければ意味が無い。そのためマンスターには普段から大量の物資を備蓄するのが慣習になっているのである。
 もしもこれが解放軍の手に渡れば、彼らの強さは跳ね上がり撃破は簡単にはいかなくなるのだ。
 北トラキアにおけるグランベル勢力は壊滅したが、本国からの援軍が来る可能性は否定できない。それまでに北トラキアを掌握しておきたいトラキア側にすれば解放軍との戦いに時間をかけたくないのだ。
 コルータの言い分はおそらく正しい……だが、見過ごすことが正しいとは言い切れないのがアルテナとコルータの意見が分かれた理由になっている。負ければコルータの言う通りになるが、トラキアと解放軍はマンスターとコノート間で対峙することになり戦線は膠着する。速戦速攻を必要とするトラキア軍にとって場が落ち着くことはあまり望ましくない。
 逆にもし負けなければ輸送隊を叩いた上にマンスターも奪取できる。別にアルテナが解放軍を全面的に撃破する必要はなく、物資さえ渡らないようにするだけでいいのだから多少の戦力差は気に病まなくていいのではないか。竜騎士は空高く舞い上がってしまえば追撃を恐れる必要は無く、一撃離脱に向いている。
「分かりました、では攻撃隊は私が指揮しますので姫様はマンスター城奪取を願います」
 それぞれの言い分を考えれば、アルテナが市民攻撃でコルータがマンスター城奪取であるが、副将はあえて逆を提案した。
 アルテナは王女ではあるが養子であり、それどころか元々はレンスター王女として生を受けた。これはトラキアの悲願のための戦いであると同時に、アルテナ個人にとっては祖国進攻の第一歩となる戦いでもある。アルテナ本人がどれだけ自覚しているのかは分からないがその先発隊を任されるのはプレッシャーと葛藤による重圧やそれに伴う焦りが少なからずあるだろう。アルテナが指揮官として竜騎士として良いパフォーマンスを発揮できるように気遣うのは副将として大事なことだ。
 トラキア市民はアルテナを熱狂的に支持している。慎重派の王太子アリオーンと比べるとアルテナの若い性急さは悲願を追い続けるトラキアの性格に重なって好ましく映ったからだ。
 それだけに、コルータは博打に出るアルテナを危険な目に遭わせたくなかった。地槍ゲイボルグを引っさげたアルテナの強さは折り紙つきだが、弓という致命的弱点を抱える竜騎士の単独運用は危険を伴う。本来ならば地上戦力との連動運用で弱点を突きにくくするのだが、今回はマンスター奪取を目的とした速度重視の作戦であるから竜騎士のみの編成になっている。解放軍も対竜騎士の対策は考えてあるだろうし、なまじよく知らない分だけ短絡的に偏った弓編成で組んで来る可能性もある。
 そもそも、敵を倒すのではなく偽装市民を叩くのが目的なのだから地槍ゲイボルグは必要ではない。アルテナの代わりにコルータが指揮をとっても問題はないし、万が一敗れた場合でもアルテナが健在であれば軍は立て直せる。よってコルータはより危険度の高い任務の方をあえて引き受けたのだ。

 ……もしもコルータのこの逆転提案がなければ、トラキア半島史は変わっていただろう。あるいは、提案があったからこそ歴史は変わったと言うべきか。
 本人は知る由もなかったがコルータは転機をもたらせた重要人物に違いない。
 これはあくまでも偶然に過ぎず、コルータの判断は非難されるべきでも過度に賞賛されるべきでもない。彼は自分の立場の範囲内で最大限の努力をしての結果なのだから。
 そう、アルテナは十字行軍でマンスター城に雪崩れ込んだリーフ軍と接触することになったのである。偽装市民がリーフ軍の存在を隠す囮の役目も兼ねていたことまでは気付けなかったからである。

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