北トラキア中央部山中某所――

 十字行軍でマンスター城への奇襲攻撃をかけるリーフ軍。僅かな兵糧と軽装過ぎる装備で山に入り込んだ彼らを支援するために、解放軍本隊は2つの部隊を派遣していた。
 その指揮官の名は、一人はアミッド、もう一人はリンダと言う。この二人、つい数十日前まで生き別れの兄妹であった。
 母エスニャはシレジアで兄アミッドを、グランベルで妹リンダを産んだ。父親は同じなのであるが、フリージ公女であるエスニャがシレジアの地に留まることを許されるはずもなく、リンダを宿したまま連れ戻されたのであった。
 そしてエスニャはリンダを産んだ後すぐにアルスター王妃として輿入れしたため、リンダは父親や兄はもちろん、母親の顔すら覚えていなかった。
 リンダの名はフリージ家の系譜にこそ載っているが、あまり大っぴらにできない名でもあった。アルスター王妃となる女性がどこかの馬の骨と結婚して子供も産んでいた事実は好ましくない。よってできるだけ隠蔽することになったために、エスニャとリンダは会う機会がほとんどなかったのである。
 一方のアミッドだが、父親はシグルド軍との関与を疑われ、投獄されて帰らぬ人となった。兄もまた孤独の人生を歩むことになったのである。家族を引き裂いたグランベル帝国への復讐心から解放軍に参加することになる。
 北トラキアの地で敵同士として巡り合った二人はリンダの寝返りという形で決着がついた。リンダはそこまでフリージ家を恨んでいたわけではなかったが、王女として相応しい待遇がなかったことから来る身寄りの無さがそうさせることになった。

 解放軍本隊はブルームが守るコノートを攻略すべく軍を進めている。その途中、リーフ王子の十字行軍に対する支援のためにこの兄妹が外された。この人選はレヴィンによるものだったが、ブルームと戦うことを忍びなく思ったからではない。
 二人に共通する「身寄りが無い」ということは、誰とも繋がりが無いということである。つまり状況的に秘密が漏れにくいことをレヴィンは重視したのである。支援作戦に関わって何かを知り得ても、それを利用するだけの政治的コネクションを持っていないという安全性を買われたのだ。

「こんな山奥に屋敷……いや、砦……?」
 アミッドは北トラキアの地理に暗いが、この場所に何の戦略的価値も無いぐらいは分かった。リーフ軍が突き進む山岳ルートからも外れ、ここはもう隠れ里と言ってもいいぐらいだ。確かに安全な補給基地と言えなくもないが、わざわざこんなところに造る必要があるのだろうか。
 補給もまた一種の流通である。交通の便が悪ければ物資のやりとりに支障をきたすのは商品であっても兵糧であっても同じことだ。ここをあくまで基地と仮定するならば、通常の補給基地として使用するのには都合が悪すぎる。
 ではここを常時稼動しているのではなく、普段は姿を隠し、特定のときにのみ機能する秘密基地ならばどうだろうか。この位置ならば敵に発見される可能性は著しく低い。通常考えられない場所にあるのだから、何らかの偶然でもない限りこの辺りを捜索する理由がないのだ。
 ならばこの基地を設営したのは誰で、想定している敵は誰なのだろうか。ここから直線距離で最も近いのはマンスターになるが、マンスターの軍が利用するためにあるのか、あるいはリーフ軍がこれからそうしようとしているかのようにマンスターに攻め込むことを想定して築かれたものなのか――どちらもありえなかった。
 北トラキアはその内部で争いが起こったことはほとんどない。少なくとも秘密基地を造ってまで軍事行動を起こす必要がなかった。彼らにとっての戦いは、南のトラキア王国による北進を防ぐことだったからだ。その戦いにおいてこの基地を利用する必要性は皆無である。
 残った可能性は2つ。本当に人目を忍ぶ隠れ里なのか、あるいはトラキア王国が北進のために密かに築き上げていたものなのか。
 隠れ里ならば、ここに住む人々は何らかの理由で帝国支配から逃れる必要があり、レヴィンと協力体制にあるということになる。解放軍にとっては外部の支援団体を得たということであり心強い。
 一方でここがトラキア王国の基地ならば、レヴィンはトラキア王国と繋がっていることになる。それがトラキア全体なのか、この基地を統括できる有力者とだけの関係なのかで対応が変わってくる。そもそもリーフ軍の十字行軍すなわちマンスター城奇襲攻撃は北トラキア軍事介入のタイミングを伺っているトラキア軍を出し抜くためのものであり、その補給を支援するということはトラキア軍の軍事プランを妨害することになる。もし一部の有力者による協力ならばその人物は内通者に等しく、北トラキア解放後に迎える対トラキア王国の戦略に深く関わってくることになる。戦うにしろ結ぶにしろその人物が鍵となるのは間違いなく、その手札を持っているレヴィンは強い発言力を持つことになる。

「ふーん、アンタたちがレヴィンの言ってた部隊かい? 物資は揃えてあるから適当に持って行くといいぜ」
 ところが基地の統括する男は重要人物そうな雰囲気も醸し出さず素っ気無い態度だった。リーフ軍を支援してマンスターを攻略し、トラキアを出し抜くという計画に乗り気というわけではなさそうだ。
 一方のアミッドもあまり友好的な態度を示さなかった。極秘任務とはいえ、解放軍主力から外されてこんな山奥にまで来させられたことについて不満がなかったわけではない。任務を終えて戦線に復帰したいと思っていても不思議ではないし、となると無理して友好的に振舞う気も起こらなかった。
 物資の積み込みが終わって出発準備が整うと、アミッドは一言だけ礼を言うためにリンダを連れて再び男を訪れた。今後、この男が解放軍を支援し続けてくれるかもしれないため、一応の礼儀は通すつもりだった。
「……行くぞリンダ」
 型通りの挨拶が終わって退出しようとしたとき、男の態度に異変が起こった。
「リンダ!? いやぁーいい名前だなぁ、お嬢ちゃん将来きっと大物になるよ! あっそうだ、この魔除けやるよ! おーい、アンナ!アンナー!」
 リンダの名前を聞いた男の態度が一変した。急ににこやかな顔になり、勢いで押し切るかのように古惚けた魔除けをリンダに押し付けると、隣の部屋に誰かを呼びに行った。
「……知り合いか?」
「……違う」
 アミッドとリンダが面食らっていると、隣の部屋から一人の妙齢の女性が入ってきた。赤が特に似合う、快活かつ神秘的な感じを漂わせていた。
「話は聞いたわ、貴女がリンダちゃん……素敵な名前ね。私はアンナ、そこにいるのが恋人のジェイク。こんな所にまで訪ねて来てくれて嬉しいわ」
「んん? あんた……確か見たことあるぞ。こないだレンスターの村にいただろ?」
 リンダの瞳を覗き込むアンナの顔を、アミッドは知っていた。踊り子レイリアがダーナの巫女として解放軍に参加してある村を訪れた折、祭事の剣を贈った人物である。解放軍が村人から物を贈られることは過去に何度かあったが、このときはやけに大仰なセレモニーが行われた。贈呈式そのものは解放軍と光の皇子セリスの正義をアピールするパフォーマンスになったわけだが、その人物がここに居るということは少なくとも解放軍とアンナは友好関係にあると考えていいだろう。恋人のジェイクと見比べても、将来的にアンナが尻に敷くことになりそうな感じであり、この基地の実質的リーダーはジェイクではなくこの女なのだろう。
「あらぁ、バレちゃってたのね。やっぱり人目につくところに出ちゃダメねぇ……」
 雰囲気だけ見れば敵ではないようだが、なぜリンダの名前に反応したのか。
 公には明かされていないとは言え、リンダはフリージのブルーム王の姪である。解放軍の中では(セリスやユリアを除けば)帝国中枢に最も近しい人物と言えなくもない。ティルナノグに隠匿していたシグルド軍の遺児たちに比べれば、同じ非公式の存在であってもリンダの方はまだ知名度があると言ってもおかしくない。ましてや北トラキアはフリージの勢力圏内である。
 アミッドは猜疑心の強いタイプではなかったが、この極秘任務を命じたのが自分たちの国王だった点にきな臭さ満点を感じるのも無理はない。レヴィンは同じシレジア人だからアミッドを選んだわけではないのだが、アミッドから見れば無気力で国を投げ出した国王が特別に指示を出してきたことに引っ掛かりを感じていたのだ。
 となれば、リンダに関心を抱いてきたのはフリージ家絡みということになる。フリージ公家のことなのか、あるいは母親エスニャの嫁ぎ先であるアルスター王家に関する線も考えられる。なにしろリンダがフリージ家を裏切ったのはつい最近のことである、過去を完全に払拭できたわけでもないし、何があってもおかしくはない……が、アンナとアミッドの態度を見る限りは打算的なものは感じられない。
「……なぁ、なんでこんな辺鄙なところに潜んでいるんだ? 帝国だけじゃない、まるでトラキアや一般市民からも隠れているみたいだぜ!? というか……あんた達、何者なんだ?」
 どう考えても、この山奥に隠れ住む理由が思い当たらない。リンダに友好的態度は示しても、魔除けを押しつけた以外に何かしようともしない。彼らは何のためにここにいるのか、なぜリンダの名前に反応したのか。
 帝国から隠れているにしては辺鄙すぎる。帝国に抵抗する勢力は大陸中にいくらでもあり、言い換えれば帝国も他に手が回らない状態である。大人しくさえしていれば追及される心配は少ないはずだ。もしかしたらそれすら危ういほど帝国に警戒されている組織なのだろうか。
 ロプト教が復権した今、善良な市民からも忌避されて大陸レベルでの隠匿を強いられる勢力はもう無いと言っていいだろう。仮にあったとしても、そんな組織がレヴィンと繋がっていて解放軍にこっそり手を貸すのもおかしな話である。もしもセリス皇子に帝国を打倒してもらって協力した功績で復権を果たすつもりならば、リンダの名前が出るまでの無愛想な態度と話が合わなくなる。
 結局のところ謎ばかりだ。謎が謎のままでアミッドが困るわけじゃないし、知ったからと言って何ができるわけでもない。強いて言えば当事者であるリンダの肉親としての立場が繋がりの全てだろう。とにかく知りたくなった、それだけである。
 アンナは、口元に指を当てて考え込むような仕草を見せながら身体をくねくねと揺らしている。シレジア育ちのアミッドにとって馴染み薄い、どこか異邦人的な雰囲気を醸し出す彼女。言うか言うまいか悩む様子を見せていたが、チラリとリンダと目が合うと意を決したのか自分たちの正体を明かした。
「ここはね……秘密の店"ゲッシュ"よ」

 最終的には特別にアミッドも魔除けを押しつけられ、軍需物資を運びながら砦を後にした。
 ゲッシュと名乗る彼らが何のために隠匿していて、レヴィンとどう繋がっているのか……分からないことばかり残った。この物資でリーフ軍はマンスター城奪取の装備を整えなおせる、手応えを得られたのはそれだけだった。
 アミッドとリンダの兄妹は以降にレヴィンから特命を下されることはなく、アンナやジェイクと再会することもなかった。他に仲間はいるらしいが、誰がどこにいるのかは教えてもらうこともなかった。
 そしてゲッシュが解放軍に協力したのも実質この一件のみであり、彼らはこれ以後の歴史の表舞台に立とうとせず表面的には再び姿を消したのだった。

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